416.空晶石 Chiastolite (Macle) (中国産) |
スピリチュアルな人生を歩む人びとは、しばしば万物のうちに予兆を見る。あたかも通りすがりの些細な出来事が、彼の人生に織り込まれた経糸であるかのように。賽を振ることさえ、全霊を込めて行なえば、未来を拓く指針と為る。世界は彼の内奥を映す鏡、いやむしろ彼と不可分の要素として在るのだから。
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」に出てくる羊飼いの少年は、そんなふうにして夢と前兆の風を読むことを知り、空気のようになじんだアンダルシアの平原を離れて、未知の世界に踏み出してゆく。セイラムの王様にもらった白黒の水晶碁石を携えて。
その名をスペインのアンダルシア地方に由来するアンダリュサイト(紅柱石)は、柱状の結晶を折った断面に特別な徴を現わすことがある。それはキアストライト(空晶石)と呼ばれて、模様は白や黒の十字形である。不純物として含まれる炭素が結晶構造に従って選択的に捕獲されるため、あるときには炭素の黒十字、あるときは炭素に縁取りされた紅柱石の白十字が浮び上がるのだ。
学名はギリシャ文字の
χ(カイ、キー chi)の形に因み、昔の人は、「ラピス・クルシファー」(十字架の石)、「クロス・ストーン」などと呼んだ。十字形をマルタ・クロス(Maltese
cross:マルタ騎士団のシンボルのマルタ十字)と呼ぶことから、マルタ石(Maltesite)の名もある。
初期キリスト教徒は、この石をお守りとして大切にした。おそらく神がいつも共にあることを、彼の栄光が万物を照らしていることを想い出させてくれたからだろう。
キアストライトの魔法的な効能について、クンツ博士は、「肌にじかに触れるように身につけると、血止めの効果がある。乳の出をよくする」「首に懸けていれば、どんな発熱もおさまる。石を貫く聖印によって、身につける人の周囲から悪い霊を駆逐する」とまとめている。
十字架を象徴する石としては、Staurolite(十字石)も古来有名だった。貫入双晶が十字(稀に星形)を呈し、学名もまたギリシャ語のStauros(十字)に因む。こちらも Lapis
Crucifer
と呼ばれたので、両者の伝承にはいく分交錯した部分がありそうだ。クンツ博士は、17世紀の神学者で宝石研究家のデ・ブートが記した「Lapis
Crucifer」は空晶石だったと指摘している。
謬見を承知でいうが、空晶石がほぼ常に正十字の形をとるのに対し、十字石は正十字で産するより
χ 字形になることが多い。Chiastolite
の名はむしろ十字石に相応しそうだと思う。
ちなみに鉱物学では、十字石は紅柱石の類縁鉱物として扱われており、どちらも雲母片岩中に産することが多い(つまり変成作用に伴う鉱物)。
これらの石に示される十字架の形はいわば直接的な啓示である。前兆を読む技を持たない人でも、石が(キリスト教的に)特殊なものであることを理解できた。あるいは信じていいと思った。この種の認識の共有、ないし先駆者による発見・提唱の追認行為が、石に対する歴史的信仰の基盤である。
しかしスピリチュアルな人びとは共通の信仰を越え、運命を告げる声を石に聞くことがある。それは体系化することも追体験することも出来ないなにか神聖なもの、当人にとってさえ、いつまでたっても未知の出来事なのだ。 …ああ、でもスピリチュアルであるとはどういうことなのだ?
紅柱石(とくに空晶石)は、アメリカ各地、南オーストラリア州、ロシアのネルチンスク地方、中国、日本など各地に産するが、スペインではアンダルシア地方(補記)のほかに、サンチャゴ・デ・コンポステーラにも出る。ここはキリスト教巡礼の古い聖地で、コエーリョの「星の巡礼」が出版されてから、日本でも一躍有名になったところだ(と私は思う)。
cf. No.667 空晶石 No.552 コンポステーラのヒアシンス石 ひま話 ヘオミネロ2
補記:この鉱物がアンダルシア地方に産すると考えてアンダルサイトの名を与えたのはデラメテリエとヴェルナーで、 1798年に遡る。しかし彼らが調べた石はエル・カルドーゾ(カスティーリャ・ラ・マンチャ州グアダラハラ県)産で、実際はアンダルシア産ではなかった。アンダルシア地方は本鉱の産地に乏しいのだが、コルドバ県シエラ・アルバラーニャに美晶が記録されている。
補記2:使徒のひとり聖アンデレが架けられた磔刑の台は+字形でなく X字形の十字架だった。これを後世にアンドレアス十字と呼び、キリスト教美術では、ひげを生やした裸足の聖人が本とX字形十字架を持っている図像は聖アンデレということになっている。 χ字形の双晶をした staulorite は聖アンデレの表象といえるかもしれない。
付記:空晶石はマクル(Macle:双晶)とも呼ばれることがある。
付記2:18世紀頃、スイスのバーゼルでは洗礼式に十字石が用いられたので、Baseler
Taufstein (バーゼルの洗礼石)と呼ばれていた。
ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」に、「十字石」が出てくる。
『「おまえが、この石のあるところへ私を連れていってくれれば、1ドゥカーテンやろう」とモンターンはいった。…「でも、それはできまいな。だって、これはコンポステルの聖ヤコブ寺院から出る十字石なんだから。だれかある旅人が落っことしたのを、あんまりめずらしく見えるもんだから、おまえがちょっと失敬したんだろう」』
という会話が交わされ、この石が聖ヨセフ会堂の祭壇の土台石になっていたことが語られる。
『「この金貨はおまえにくれてやろう」とモンターンは返した、「おまえが見つけたごほうびだ。たいしたお手柄だ。生命をもたぬ自然が、われわれの敬愛する十字架をかたどったものを産出するなんて、まったくもってうれしいよ。自然はまるで預言者の姿をしているように思えるね。永遠の昔からきまっていて、しかも時を経てはじめて現実となるべきものの証拠物を、あらかじめ地下に埋めておくんだからね。それの上に、つまり、一つのふしぎにみちた神聖な層の上に、司祭たちは彼らの祭壇を築いたのだ」』(1巻4章 関泰祐訳)
ここで言う「十字石」は Staurolite
でなく、Chiastolite 空晶石だろう。
付記3:炭素成分の選択的な捕獲は、トラピッチェ・エメラルド等でも知られており、双晶にはままある現象のようだ。
付記4:「アルケミスト」は日本でもベストセラーになったが、ハシズムのある物語をモチーフのひとつとしている。「迷宮の試煉」(エリアーデ 自身を語る)の後書きにロケが記したテキストを引用しておく。
「インド学者のハインリッヒ・ツィンマーがマルティン・ブーバーの「ハシディーム(敬虔者の物語」から引用した、クラクフのラビ、エイシクの物語である。この敬虔なラビ、クラクフのエイシクは、プラハに行くように告げられる夢を見た。そうすれば、王宮に続く大きな橋の下に埋められた財宝を見つけるだろうという。その夢を三回見たところで、彼は旅に出る決心をした。プラハに到着し橋を見つけるが、そこは昼も夜も見張りによって警備されていたために、あえてその下を掘り起こすことはしなかった。繰り返し様子を見に来ていたために、見張りの隊長がついに気づき、何かなくしたのかと親しげに尋ねた。純朴なラビは見た夢について話した。隊長はどっと笑って、ラビに言った。「本当かい、哀れなやつだなあ。そんな夢のためだけで、靴の革をそんなに擦り減らして、こんなところまで来たのかい。分別のある人間なら、夢なんか信じるもんか」。隊長自身も、実は夢でお告げを聞いていた。「それはクラクフについてのお告げだった。そこに行って、イェケルの息子のエイシクというラビの家ですばらしい財宝を探すよう告げられたんだ。おれが見つけるはずのその宝は、暖炉のうしろの埃だらけの奥の方に隠されているとさ」。しかしこの隊長は、その夢のお告げに従うつもりはなかった。分別のある人間だったからだ。ラビは深々と頭を下げてお礼を言い、クラクフに急いで戻った。そして暖炉のうしろのふさがれた奥の方を探して財宝を見つけ、それまでの困窮生活に終止符を打ったのだった。ハインリッヒ・ツィンマーは次のように付言する。
したがって、本当の財宝、つまりわれわれの悲惨と試練を終わらせる財宝は、けっして遠くにあるのではない。われわれはそれを遠方の地に探しに行ってはならない。なぜならそれは、自分の家の、言い換えれば自分自身の中の、もっとも秘密の奥まったところに埋もれているからである。それは暖炉のうしろにある。われわれの実存を司る生命付与、熱を与える中心、炉床の中心のうしろにあり、われわれはただ、その掘り起し方を知っていればよい。ところがしかし、奇妙な不変の事実がある。われわれの探求を導く内なる声の意味がわれわれに明かされるのは、必ず遠方の地、見知らぬ土地、新しい国への敬虔な旅を終えてからなのである。そしてその奇妙な不変の事実に加え、もう一つの事実がある。すなわち、われわれの神秘的な内なる旅の意味を明らかにしてくれる人は、他の信仰を持ち、他の人種に属する、見知らぬ人に違いないということである。」 (住谷春也氏訳による)
この物語はドイツでもよく知られており、グリム兄弟のドイツ伝説集におさめられた話(上巻 212 「橋の上の宝の夢」)では、レーゲンスブルクの橋が舞台となっている。リューベックまたはケンペンの橋のバージョンもあるという。イギリスの民話では「スワファムの行商人」がロンドン橋で同様の幸運を授かる。
ちなみにエリアーデは文芸「ブーヘンワルトの聖者」の中で、「いつもある宝の夢を見ていた」「クラカウのあるラビの話」について、「その話はだれでも知っているよ」と作中人物に語らせている。聖性の顕現は世界をどのように見るかにかかっている、と問いかける作品。
cf. ダイヤモンドの話3 かけらの6