ひま話 テラ・ミネラリア1   (2019.11.16)


ドイツ(旧東ドイツ)のフライベルクは12世紀に遡る古い鉱山町で、ドレスデンの南方、電車で30-40分ほどの距離にある。1168年に銀鉱が発見されたのが始まりといわれ、以後消長を繰り返して今日に至る。詳しい歴史は機会があれば、ということにさせていただくが、1765年に開設された鉱山学校は、コングスベルク(1757年)、バンスカー・シュチャヴニッツア、プラハ(1762年)に続く近世ヨーロッパ最初期の鉱山学・鉱物学専門学校で、技師育成の傍ら、設立当初から標本交換・販売事業に力を注いだことで、ドイツ中に鉱物収集ブームをもたらした。かの鉱物収集家ゲーテ(1749-1832)は、学校が若い学生に与える体系的な教育を激賞している。(cf. No.756 補記)
元素ゲルマニウムは 1886年に同校のヴィンクラーが発見したもので、その名もドイツに因み、ドイツの誇りとなっている。(cf. No.518)

21世紀、鉱山・鉱物学のメッカのひとつであるこの町に、新しい鉱物博物館が開かれた。テラ・ミネラリア。フロイデンスタイン城の中がそっくり展示ホールとなっており、数万点の宝石・鉱物・隕石標本が展示されている。現代の鉱物コレクションとしては(特に20世紀後半以降に流通した標本を語れば)、世界最高クラスと思われる。2008年の開設以来、来館者はもうじき 100万人をこえる勢い。

テラ・ミネラリアのコレクションは、一人の富裕なコレクター、エリカ・ポールストローア (1918-2016)が蒐集したものである。ドイツの事業家一族に生まれた彼女は化学と生物学を学び、後者で博士号をとった。若い頃バッド・ガシュタインのスパでお土産に買った水晶に魅せられて、鉱物標本に興味を持ち始めたという。子育てが終わった頃から蒐集熱に火がついて、アルプス地方や旧東独・チェコに跨る鉱山地方(エルツ山地)の標本を追いかけた。やがて東欧やアフリカ、アメリカ産にも対象を広げてゆき、1990年代半ばになると中国、パキスタン、アフガニスタン産の標本も獲得していった。ちょうどその頃、かつてない美麗標本がこれらの地域から市場に流入し始めたのである。気づくと9万点をこえるコレクションが築かれていた。
死後にコレクションが四散することを望まなかった彼女は、フライベルク工科大学のゲオルク・ウンラントらと語らって永久貸与を決めた。これを管理する財団(博物館)の整備プロジェクトが 2004年頃から立ち上がり、4年後にテラ・ミネラリアとして一般公開される運びとなったのである。

 

最初の展示ホールへの入り口。薄暗い室内に
現代風のガラスキャビネットが置かれ、ライトを浴びている。

お城然とした太い木組みの梁と板張りの床。
これでもかっ、とばかりに並べられた特級標本群。
LEDのライン照明がおシャレ。

でかい。普通の人は持ってても置き場に困る標本が山ほど。

広いホールを埋め尽くすキャビネット。薄暗さがなんともいえないよい雰囲気。

お城の中庭。鉱山のシンボル、タガネと槌のマーク。

中国産の緑鉛鉱だけで、これだけ集めるとは。
好いものは買ってしまおうほととぎす、てか。

インド産の沸石類のキャビネット。大型品がずらり。
エリカ博士のお家は、随分広かったんでしょうね。

銘花、カバンシ石。後ろに映ってるスニーカーで、サイズがお分かりでしょう。
見事な母岩といっておく。

一点一点見てると、いつまで経っても終わりません。

オーストラリア産の紅鉛鉱だって何点もある。
「コレクターだねえ」の一言に尽きる。

広い広い城内。とてつもない宝の集積。

蛍光鉱物の展示室。意外にマルチカラー標本が少ない。

情熱ですなあ。奥に見える剣状の巨大な輝安鉱は中国産。

孔雀石

当然、コンゴ産、と思ってみると、中国産だって。
陽春の付近には 2,000年前から採掘されてきた銅山があるそうで、
Shilu 鉱山は花弁状の美麗藍銅鉱の産地として有名。(cf. No.222)
この鉱山は 1960年頃から採掘が始まり、80年代にすでに標本が出回っていた。
(90年代の中国産標本大躍進より以前から)
1998年に閉山したが、コンゴ産に匹敵する孔雀石標本が流通したのは
その後で、2006年頃かららしい。2010年代初にあふれた。
してみると開館後に加わったコレクションなのだろう。
多分、お亡くなりになるまで集めてたね。

モロッコ産のモリブデン鉛鉱と重晶石。
あまり見た覚えがないので調べてみると、
1983年にゼリジャ鉱山の第11縦坑から、このタイプのものが出たそうだ。

 

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