ひま話 テラ・ミネラリア2   (2019.11.23)


世の自然史博物館の所蔵品は、たいてい誰か昔の金満家の蒐集品が基礎にあって、年代とともに拡充していったものである。18〜19世紀頃なら王侯・貴族のコレクション、それから20世紀にかけては資産家・実業家一族のコレクションが寄贈されたり貸与されたり(米国はたいていこちら)。
大学付属の博物館では、こうした目玉・看板コレクションに加えて、研究者グループが採集したり交換・購入した標本が集積されていることもある(但し一般公開されないものがほとんど)。

見物する我々の方も自身コレクターであるけれど、博物館にあるような立派なものにはまあご縁がないので、所蔵品を見て感嘆することしきり、また自分のコレクションを省みてため息しきりの態である。鉱物標本は本来的に稼働中の鉱山や、その時たまたま現れた露頭などから採集されるもので、一過性であることが多い。古い時代の標本(クラシック標本)はどだい市場に並んでないので、わりと和やかに見ていられる。一方、現代ものはどうしても自分のコレクションと引き比べて気持ちが乱れる。

それなりに収集暦のある人がテラ・ミネラリアに行けば、目に入るのはいずれもどこかの鉱物ショーで見た覚えのある種・産地の標本であろう。ただしグレードがうんと高い。自分のコレクションなど、どれをとっても敵わない。所詮自己満足の趣味とはいえ、こうまで彼我の差を見せつけられると、なかなか心穏やかではいられまい。蒐集とは業(ごう)だなあ、とつくづく思わされる。金が敵の世の中か。

とまあ、それはそれとして、目についた逸品をばパチリと撮ってご紹介。なにしろ我々はその値打ちがたいへんによく分かるのだ。(私の感想て、この何年、いつもおんなじです。耳にタコですね。)

紫色のアダム鉱。オハエラ鉱山産。
楽しい図鑑@にも珍品として言及されている。
二酸化マンガン鉱上に族生する標本がまとまって
出回ったのは1980年代初の一時期だけ。 
無論、先のことは分からないけれど。
cf. No.796

南アフリカ産のアホー石入り水晶とパパゴ石入り水晶。
産地は、かつてボーア人の住むトランスヴァール共和国が
あった頃(20世紀初にかけて)、盛んに銅が採掘された地域である。
(トランスヴァールはそもそも産金によって
植民が進み、侵略戦争が起こった)
20世紀後半まで稼働が続いて、1996年に最後の鉱山が閉じた。
アホー石入りの水晶は 1985年7月にメッシナ鉱山に晶洞が発見されたのが
事始めとみられ、続いて91年の夏に大晶洞が見つかり、
数百個の標本が出回って声価を決定づけた。この時期に出た大型品だろう。
市場ではその後長く品薄状態が続いたが、2007年夏にメッシナの廃鉱山の
いずれかで新たな産出があり、標本が大量に流通した。
cf. No.557

モロッコ、トゥイシット産の黄色の硫酸鉛鉱。
20世紀初に鉛・亜鉛鉱石を掘り始めた鉱山地域で、
1980年代に大量の美麗標本を提供し、「モロッコのツメブ」と呼ばれた。
世界最良と謳われた硫酸鉛鉱を出したのもこの時期。
ビビッドな黄色の大型標本は最近の市場にほとんど見ない。

cf. No.524

アクアマリン。ブラジルのヴィルジェム・ド・ラパ産。
村の近くのペグマタイトで商業的に宝石鉱物が採掘され始めたのは
二次大戦頃といい、70-80年代にかけて規模を拡大して
エルバイト、トパーズ、ベリルの類を宝石用に提供した。
六角柱状のアクアマリンはこの時期によく出たもので
80年代後半には平板状の結晶も出回るようになった。

ツメブ産の藍銅鉱。内核が孔雀石になっている。
孔雀石の方が風化の程度の高い鉱物だから、
一見生成順序が逆に見える。cf. No.726
ということは孔雀石からの還元反応によって藍銅鉱が出来たか?

ウラル産のブルース石(水滑石)
その名もアスベストという、世界最大のアスベスト鉱山地域。
カナダ、ケベックのアスベストに地質が似るという。
ただブルース石はこちらにあってあちらにないもの。
1990年代前半に出回った。
自分の持っている標本(cf. No.335)と比べて思わず落胆のため息。

貝殻の内面に方解石がびっしり生えたもの。フロリダ産。
同州には堆積土壌中に貝殻化石やサンゴ化石、これらに方解石や
玉髄・メノウの類が付加したフォッシル(地中物)が随所に見出される。
小さなものは私も持ってるんだけど(cf.No.34)、
大型品は流石に産状がよく分かる。なるほどこんな風にばこばこ埋まってるんだな。

ひと目で分かる、ツメブ産の翠銅鉱。
方解石の結晶面上に(選択的に)着床した微晶集合。
いいなあ。

ルベライト(エルバイト)。カリフォルニア州サンディエゴのヒマラヤ鉱山産。
19世紀末、旅回りのセールスマンが、地元に一軒の雑貨店前で
「おはじき」をして遊んでいたネイティブの少年から求めた石が、
回りまわってトルマリンと分かり、ティファニー宝飾店が開発した伝説の鉱山。
当時、清国にはピンク色の宝石彫刻品に夢中の太后があり、
空前のルベライト・ブームが起こっていた。
ブームは 1912年の中華民国成立とともに終ったが、
ヒマラヤ鉱山はその間に約10トンのルベライトを掘り出して良品を中国に送った。

1980-90年代にはパラ・インターナショナルが積極的に開発して、
宝飾・標本市場に提供、「ヒマラヤ」はルベライトの代名詞となっていた。
この標本もその時期に入手されたものだろう。

中国雲南省産のエメラルド。産地からマリポ・エメラルドの通称がある。
1980年代初、タングステン鉱脈の探査中に発見され、
84年に Dayakou鉱山が開かれてからぼちぼち出回るようになった。
欧米市場にあふれ始めたのは 90年代中頃から。
宝石質ではないが、緑色がきれいで結晶が長い。
cf. No.123

ダルネゴルスクのウルトラクリアな蛍石。
「インビジブル(不可視)」と言われる透明さ。
これも 1990年代を飾った標本でしたねえ。
cf. No.24

エロンゴの緑色蛍石。いつもながら、
エロンゴのこの色は実になんとも私の好みであります。
cf. F.33

ペルー、ワンサーラのピンク蛍石の良品。
あるところにはあるんだぁ、と思う。
(このホタルもどこに行っても撮ってる気がする。)
cf. No.59

ウクライナ、ヴォロダルスク・ボリンスキー産のヘリオドール
この産地はピエゾ素子の素材とする水晶を掘っていた地域で(1931-1995)、
ペグマタイトの中にベリルに富むゾーンがあり、時に巨大な結晶を産した。
出る時には一つの晶洞にトン単位の宝石質ベリルが採れて
宝石にカットされたという。巨大ヘリオドールは 1980年代中頃から
閉山までの95年が流通期。その後はサイズが小さくなって、
お値段はぐんと上がった。
私はこの産地のヘリオドールを見るといつも、
ツーソンショーで購入を見送ったことを後悔する。
初期は露天掘り、後に坑道掘りになり、閉山後は水没した。

上のヘリオドールと同じ産地のトパーズ。トパーズはベリルを産するより上層の
ペグマタイト帯に出た(晶洞によってどちらか一方が水晶に伴うことが普通だった)。
ペグマタイトは延長22キロ、幅2キロ。
トパーズの色は水色、ピンク、黄色、橙色などさまざまで、
この標本のように2色混じりもあった。ピンクや黄色のものは
太陽光で退色しがちという。
宝石質のトパーズは量が多く、いい副業になったらしい。
80年代はポーランドの業者経由で西欧市場に標本が出回った。
閉山後も10年ほどストックが流通していた。

アフガニスタン産のクンツアイト。
1978年頃に美麗結晶が発見されて話題となった地域。
マウィ鉱山は宝石質のクンツアイトを多産し、
大きなものは60cmに達した。(宝石質でないリチア輝石は
2m長のものが出たという) 今も現役の産地で、
最近は母岩付の良品がよく出回っている。

cf. No.63

 リロコナイトのヒト。
どこの博物館へ行っても、私の目はついこのヒトを探している。

cf. No.88

スウィートホーム鉱山の菱マンガン鉱。
This is America.
いつかエピソードを書こうと念じて、すでに20年近い…。

cf. No.700

出た! アフガンローズ。
やっぱり持ってらしたかぁ、と唸る。
cf. No.600

こちらはブラジル産のローズクオーツ。
私のNo.600(上掲)に似たタイプ。
アフガンローズが出回った頃、産状がブラジル産に
似ると言われていた。

ルーマニア、ヘルジャ産の輝安鉱。
一世を風靡しましたねえ。
値段もリーズナブルで、「ま、とりあえず買っとこう」と
手に取ってるコレクターさんを見かけたり。
cf. No.71

ルーマニア、バイア・スプリエの水晶。
この国の水晶って雰囲気あるんだよなあ。

ダルネゴルスクの人参水晶。
一時期だけのボナンザでしたねえ。
こういう衣がついているのは俗に天麩羅という。

cf.No.Q02

 

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