222.藍銅鉱 Azurite (中国産) |
中国の人々は、長い間、自分たちの肉体について風変わりな考えを持っていた。肉体が生きている霊魂を包含し、一方で霊魂が肉体を支配する。両者が結びついて初めて、生命をもった一人の人間が存在するのだと。だから肉体を気遣うと同じように、いつも霊魂を守ることに心を配った。
霊魂と肉体とが結びついているからこそ、人間は健康に生きていられるのであり、何かの原因(病気など)で、魂(のうちいくつか)が肉体から離れることがあれば、早く呼び戻さなければならない。それが、魂呼ばいの風習である。
雲南の少数民族イ族では今でも招魂が盛んに行われている。この習俗の始まりは次のような伝説が説明している。
むかし、ある人が2人の仲間と故郷を離れて働きに出た。3人は雇われて、毎日、銅山で鉱石を掘り、10年以上も家に帰らなかった。母は息子に会いたくて来る日も来る日も待っていたが、一度も帰らない。それで占いの先生に占ってもらった。「あなたの息子は、地中におりていった。凶が多くて吉が少ない」と占い師がいった。母はまた他の占い師に占ってもらった。「あなたの息子は、地中におりていった。しかし、今ならまだ方法はある。あなたは家にもどり、鶏が時を告げたら、息子の名を呼びなさい。あなたの枕元をゆすって、3度、大声で叫ぶと呼び声が伝わり、息子は戻ってくるでしょう。」
老母はそれを聞いて家にもどり、占い師の指示どおりにした。鶏が鳴くと、母はまず一声、息子の名を呼んでみた。だが、地下の息子には聞こえなかった。続いて二度目を呼んだ。息子はその声を微かに聞いた。最後の三度目、息子は母の声を銅鉱山の地下ではっきりと聞き、慌てて坑道からとびだした。ちょうどそのとき、坑道が崩れ落ちた。仲間の2人は中に閉じ込められて死んだ。彼は急いで家にもどり、母にこのことを話した。母子は無事を喜んだ。ここから魂を呼ぶ習俗が発生した。(馬学良「イ族の招魂と方蠱」)
この話は史実でないかもしれないが、イ族の世界観や生活感覚を反映しているのは確かだ。生まれた村で生活の糧を得るのが難しい若者は、この息子のように鉱山に出稼ぎにいくことが多かったのだろう。鉱山の仕事は命にかかわることがしばしばである。両親は決して喜んで送り出したのではなかったろう。
母が息子の名を呼ぶと、遠い国の地下の坑道であっても声が聞こえたということは、魂を呼ぶ行為は有効だという考えを示している。しかも凶を吉に変えて悪運を避ける、より積極的な意味が与えられている。
失った魂を呼ぶことで取り戻せるという理解の上に、魂呼びが行われる。災難や病気に見舞われた者はもちろん、元気で平穏に暮らしている人も、必ず毎年あるいは数ヶ月おきに儀礼を行う。巫師か家人が1碗の米を手に持って捧げ、その上に鶏卵1個を置き、村はずれの山神の廟に行って、跪いて祈る。それから魂を呼び戻したい人の名前を叫ぶ。「○○さん、戻っておいで。○○さん、戻っておいで」と家に着くまで道々叫ぶ。そうすることで元気を取りもどし、寿命を延ばすことが出来ると信じられているのだ。
追記:広東省西南部の陽春市一帯は約2000年前の漢代にすでに銅を掘っていた、古くからの鉱山地域であるという。市の西方20km
の石菉 (シールー Shilu)銅山は、1960年代に中国政府の肝煎りで開発された露天掘り坑で、1980年代に生産のピークを記録した。採算にあう鉱体を掘り尽くして
1998年に閉山を迎えた。
花弁状の美しい藍銅鉱は、往年のシェシー産(フランス、シェシーライトの語源)やアリゾナ州ビスビー産に優るとも劣らない逸品で、80年代から90年代にかけて膨大な数の標本が出回った。閉山して暫く鳴りを潜めたが、2006年になって再び、鍾乳状の孔雀石とともに優品が市場に流れた。「広東産」「陽春鉱山産」と標識される標本は、実際はみなこの石菉銅山から出たものという。(2020.12.30)