758.トパーズ Topaz (カザフスタン産) |
18世紀以前にトパーズが「トパーズ」として、つまり独立した鉱物種ないし宝石種として認識されていたかどうかについては、この2世紀の間、多くの欧米宝石学者たちが考証を重ねてきたが、これまでのところ明快な答えは見つかっていないようである。いくつかの専門書は(extra
Lapis 然り)むしろ、「かつてのヨーロッパではトパーズは知られていなかった」という論調をとっている。
しかし、これは必ずしも正しいモノの見方ではあるまい。現代に続く鉱物学ないし宝石学の分類体系は事実上18世紀以降に発達したものであって、その拠って立つ根拠
-物性(物理・化学特性)、成分、結晶形、結晶構造の概念-
自体が、以前の分類体系ないし自然世界観と一意的には一致しないのであるから。
それはともかく、ドイツのシュネッケンシュタインでは遅くとも
1720年代に酒黄色の「トパーズ」が掘り出されたし、ブラジルのオウロ・プレトでは
1735年に黄橙色の「トパーズ」が発見された(cf.No.754)。
南米大陸では植民地化に伴って17世紀末頃から金やダイヤモンドやさまざまな宝石類が採集されてヨーロッパ市場に送り出された(補記1)。なかでブラジリアン・トパーズと呼ばれた宝石は、今日では黄水晶か加熱処理で黄変させたアメシストを指す場合が多いが、往時は真正のトパーズも含まれていたと考えられる。(当時、オウロ・プレト産の橙系・ピンク系トパーズはまだインペリアルと呼ばれていなかった。)
そしてロシアでもウラル・シベリア地方の開発が本格化した18世紀初以降、各地で「トパーズ」が発見されてきた。エカテリンブルクから北へ
120キロにある、中央ウラルのムルジンカはその嚆矢だった。イルトゥイシ川の支流流域、ネイワ川のほとりにあるこの土地では17世紀末から18世紀初にかけてさまざまな宝石原石が見出され、1744年にドイツ人のベイヤーが率いる調査団が現地を踏査した時は、すでに数百に及ぶ小規模な縦坑が掘られていた。
F.バビンがこの地域で採集して、1738年にエカテリンブルクに持ち込まれた巨大な「緑柱石の色の石」はトパーズだったと考えられている。
次いで南ウラルのイリメニ山地でもトパーズが出た。ムルジンカやイリメニのトパーズは18世紀末頃からシベリアン・トパーズの名でヨーロッパ市場に出回るようになった。
こうしてみると18世紀は世界各地で同時的にトパーズが発見された、あるいはヨーロッパで認知された、始まりの世紀だったと言えよう。ロシアではその後、トランスバイカルや極東地方でも大きな産地が見つかった。その多くはペグマタイト性だが、中にグライゼン性のものもある。19世紀半ばに南ウラルのカメンカ川流域で発見された赤・ピンク系のトパーズは伝説である。
ムルジンカは宝石の故郷としてロシア人の記憶に刻み込まれた土地である。
「ウラルでムルジンカのことが語られる時、すぐ思い出されるのは、深い光沢をもつ良質のチャジェロベース(「重たい石」の意、ウラルの地元鉱夫たちがトパーズを呼んだ名)や金色のトパーズ、あるいは夜になると血の色に燃える美しいアメシストだろう。」「『ムルジンカには何でもありますで。もしないものがあるとすれば、それはつまりまだ掘り当ってないということなんです。』この変わり者の山師、鉱物愛好家は、細い『先達』の脈をたどり、『しるし』を追っていけば、『石炭』(黒色の鉄電気石の意)や『重石』(トパーズ)の『釜』(ペグマタイトの晶洞)にきっと行きつくだろう、という自分の幸運を信じているのだった。」、とフェルスマンは語っている(おもしろい鉱物学)。
ムルジンカのトパーズは(アクアマリンや緑柱石のような)青色ないし煙色をしていた。地元ではこの石をチャジェロベースと呼んで識別した。トパーズの比重が約3.5あり、水晶(2.65)や緑柱石(2.7〜2.9)よりも大きいことを感覚的に把握していたからだろう。上述の金色のトパーズは、あるいは生のままの石もあったろうが、加熱処理をしたものが多かった。ウラルの農民たちは煙色のトパーズをパン生地に包んで竈の中で焼いた。そうして金色のトパーズを取り出したのだった(cf.
No.712 補記2)。
ムルジンカは今日ではクラシック産地で、(水晶を伴う)濃青色のトパーズ標本を一般コレクターが入手することは難しい。
画像はカザフスタン産の淡青色のトパーズ。旧ソ連時代にはあまり西側に知られていなかった産地だが、90年代以降、標本が出回るようになった。当時はグライゼンの脈を追って美しい青色トパーズを採集出来たそうで、入手が容易だった。
ちなみにトパーズの語源をサンスクリット語の topas ないし
tapas (火、熱)に求める説もある。しかしこれも黄色など暖色系の石を連想したものと思われる。青色系のトパーズはむしろ水のイメージである。
補記1:ブラジルの鉱産資源開発は 1693年にミナス・ジェライス州に金が発見されたことに始まり、ダイアモンド(1728年頃)、トパーズ、ベリル、トルマリン、水晶などの宝石が掘り出された。豊かな資源によって"Minas dos Matos Gerais"「万人の森の鉱山」と愛称されたのが今の州名になった。
補記2:インドの宝石学者スリンドロ・タゴールの「マニ・マラ」には、トパーズとして知られる石のうち、黄色がかった赤色のものはカウルンタカ、黄色透明で輝きに浅い赤みの差すものはカサーヤカ、青白色(冷色)で輝きに浅い赤みの差すものはソマーラカ、濃い赤色のものはパッドマラガ(これは赤色のルビーにも用いられる名-sps)、濃青色のものはインドラニーラと呼ばれる、とある。