779.珪灰鉄鉱 Ilvaite (ロシア産)

 

 

Ilvaite

イルバイト(水晶を伴う) -ロシア、ダルネゴルスク産

 

珪灰鉄鉱 Ilvaite はカルシウムと鉄の水酸珪酸塩で、組成式 CaFe+22Fe+3OSi2O7(OH)。光沢の強い黒色柱状結晶をなす。結晶の大きさはミリ〜2,3センチサイズが普通なのだが、ダルネゴルスクでは硫化鉱石中やホウ素に富むスカルン中に10cm大に達する美麗標本が出た。1990年代は世界最良級と目されていたが、2008-10年頃から中国内モンゴル自治区産としてさらに巨大なものが市場に現れるようになって首座を譲った。ちなみにギリシャのセリフォス島ではかつて 30cm大の結晶を産した時期(20C初)があり、クラシック標本とされている。ダルネゴルスク級なら今でも採れるようである。
比較的風化を受けやすい鉱物で、露天下では光沢が鈍って茶色がかってゆき、最終的に褐鉄鉱に変化する(cf.No.778)。吹管で吹くと速やかに溶けて黒色のガラス様球を生じる。この球は磁性を示す。

本鉱はフランスのナポレオン(1世:1769-1821)におかしな縁がある。
まず原産地はイタリア本土とコルシカ島の間にあるエルバ島という小島で、古くから島に産する鉄鉱石を使った製鉄が行われたことで知られる。1802年、ナポレオン治下にフランス領となり、この年リオ・マリーナ港の南側の崖から採集した標本をM.ルリエーブル Lelievre が持ち帰って研究した(補記1)。彼はその成果を「イエナ石(Yenite)について」という論文にまとめて 1807年の鉱山ジャーナルに発表した。 当時のフランスでは皇帝ナポレオンは英雄で、1806年のプロイセンを破った「イエナの戦い」の戦勝気分に乗って Yenite (Jenite/Ienite) と命名したのである。ドイツ人は当然これを面白く思わなかった。ゲーレンはデラメテリエ(1743-1817)にあてた手紙の中で抗議しているし、ヴェルナーは発見者に因む リエーブル石 Lievrite の名を示した(1807年)。
こうした経緯の後、おそらくフランスの鉱物学者たちは抗議を容れて産地に因むイルバ石 Ilvaite に替えたのだろうとイギリスのトーマス・トムソン(1773-1852)は述べているが、Dana 8th やドイツ語版の Wiki は、1811年にヘンリク・ステフェンスが Ilvaite と命名したと明言している。この島が、住民イルヴァテス Ilvates 族に因んで、古代ローマ時代からイルバ島と呼ばれてきたことに拠る。

その後、ナポレオンはロシア遠征の失敗を機に没落に向かい、1814年にこの島に送られた。そして名目領主として 300日の間過ごした。その短い期間に彼は島の鉱山開発の計画を練ったという。
かく黒い二角帽子がよく似合った軍神は、Yenite といい Ilvaite といい、なぜだか黒色の本鉱の名に繋がっているのである。
なお、Ilvaite と Lievrite の呼称は20世紀に入っても共存し続けた。例えば「木下鉱石図鑑」や「日本の鉱物」は本鉱を Lievriteの名で、「楽しい図鑑」は Ilvaite の名で紹介している。和名の珪灰鉄鉱は成分に因む。

ついでにいうと島の西側のモンテ(山)・カパンネのペグマタイトには、色とりどりの美しい電気石の出ることが19C初から知られ、長さ10cm に達する結晶は欧州各地の博物館を飾る目玉標本のひとつとなっていた。透明種(アクロアイト)、青色種(インディコライト)のほか黄色、橙色、茶色、赤紫色、ピンクや緑色などのものがある。
リチウム・アルミニウムに富む電気石(リチア電気石)の名として、島名に因むエルバ石 Elbaite が提唱されたのは1913年だった、と English Lapis は述べている(Dana 8th は1908年と)。今日聖地として知られるブラジル、カリフォルニア、マダガスカル、アフガニスタンなどの産地は 19世紀には未だ見つかっておらず、宝石種トルマリンといえばエルバ島が独壇場だったのである。

補記1:トーマス・トムソン(1836)に拠る。English lapis No.8 エルバ島特集号は、ルリエーブルのエルバ島訪問をハインツ(1897)に従って 1806年としている。また本鉱を新種として扱った最初はルリエーブルであることを認めながら、記載年はステフェンスが Ilvaite を提唱した 1811年においている。

補記2:ドイツの町イエナでプロイセン軍を破ったフランス軍の高揚した気分は、パリのエッフェル塔の近くにあるイエナ橋にしのばれる。この橋はナポレオンの命で造られた。

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