831.ランタン石 Lanthanite-(Ce) (スウェーデン産)

 

 

Lanthanite-(Ce)

ランタン石-(Ce) 、セル石上に生じた被膜 
- スウェーデン、ベストマンランド、リッダーヒュッタン、バストネス鉱山産

 

 

1803年、ヒーシンゲルとベルセリウスは(またクラップロートも)新元素セリウムを発見したが(No.827)、その後もバストネス産のさまざまな鉱石の研究を続けていた。本鉱はその一つで、 1824年にベルセリウスが「酸化セリウム(セリア)の炭酸塩」 kolsyrad ceroxidul と呼んで報告したものである。物理的性質や吹管反応は後にヒーシンゲルによってまとめられた(1826年)
1824年はベルセリウスが珪素やジルコニウムを単離した年である(翌 25年にはチタンを単離している)。かつて彼が指導した C.ギュメーリンの教え子 F.ヴェーラー(1800-1882)がストックホルムに滞在して、終生にわたる師弟の契りを結んだのも同じ年だった。(cf. No.829

さて、ヴェーラーと共に学んだ仲間に C.G.ムーサンデル(1797-1858)があった。20代にしてすでに老成した雰囲気を醸していたらしく、仲間うちから「モーゼス親父」と呼ばれていた。二人はよく連れ立って長い徒歩旅行に出かけた。ヴェーラーは1年でドイツに戻ったが、ムーサンデルは長く師の下に留まった(多年、同居したという)。1825年に理学博士となり、1829年に新築された科学アカデミーの鉱物収集館の管理人として隣接する宿舎に住んだ。カロリン大学の化学実験室の責任者を務め、1835年にベルセリウスの跡を継いで教授となった。
彼は1825-26年にセリアの酸化還元実験(硫化物の調製や金属質の単離)を行った時、すでにその性質に疑問を抱いていた。純粋なセリアと信じられている物質はどうやら混合物であるらしかった。それから12年経った 1838年11月、彼は再びこの問題に取り組んだ。実際、硝酸セリウムを加熱して得た(酸化)分解物を希硝酸で処理すると、溶解しないセリアに対して、溶解性の(より塩基性の強い)成分の存在が認められた。しかし純粋なセリアともう一つの元素の純粋物を得ることはきわめて困難で、ムーサンデルは作業が完成するまで何も発表するつもりはなかったらしい。
しかしベルセリウスの考えは違った。その年のクリスマスの頃、彼のかつての教え子のひとり N.G.セフストレムの下にあった A.J.エルドマン(1814-1869)が、ノルウェー産の未知の鉱石から新元素と思われる物質を発見したと考えて、少量(5mg)の試料を送ってきた。ベルセリウスに吹管試験を依頼したのである。その試料を見せられたムーサンデルは初めて、彼もまたセル石の中に新しい土類を発見したとベルセリウスに話し、(不完全に)分離したセリアともう一つの酸化物(1g)を示した。ベルセリウスは後者が新元素を含むことを自らも確認し、またエルドマンの試料とは違うと考えたらしい(このあたりの事情はあまりはっきりしない -sps)。そして、新元素にランタナム(ランタン)、その酸化物にランタナ(ランタンエルデ:ランタン土)の名を提案して、ムーサンデルを強いて発表させた。その名はギリシャ語のランタネイン(隠れている)に因む。セリウムの陰に隠れていた理屈だ。エルドマンが分析した新鉱物は翌年ムーサンデルに献名された。

その後もムーサンデルはセリアの塩の結晶化を繰り返して純粋物を得ることに努め、ランタナの中からさらに未知の元素を含むと考えられる(バラ色の)酸化物を抽出した。1841年という。彼はこの物質をジジミア、未知の元素をジジミウム(ジジム)と名づけた。ランタンと分離し難い双子の元素として Didymos (双子)に因んだのだ。(No.822
こうしてバストネス産のセル石にはセリウム、ランタン、ジジムの3つの希土類が含まれることが分かった。ムーサンデルは同じ方法でイットリアを調べて、イットリアもまた(セリア)、ランタナ、ジジミアを含んでいることを確かめた。これらは化学的性質が似通っており、いつでも共存しているのだった。
ジジムには塩を桃色にする性質が認められたセリアやイットリアの塩が示す青白いピンク色はジジミアが混合していたためで、ジジミアを欠くセリアは青白いレモン色、イットリアやランタナは白色を示すことが分かった。(この時代のジジムはサマリウムとプラセオジムとネオジムとの混合物で、桃色を与えるのは実は後者の性質)

ムーサンデルがこれらを完全な純粋物と確信しえたかどうか分からない。ただ、彼はさらに研究を重ねて、1843年、セリア、ランタナ、ジジミアを分離したイットリアの中に少なくとも3つの土類が存在することを示した。一つは無色の土類イットリアで、あとの二つは有色の土類である。彼は黄色土をエルビア、バラ色土をテルビアと名づけた。3者はアンモニア水を用いた分別沈殿法で分離された。これらはその後、多くの化学者たちの研究課題となってさまざまな新元素(希土類元素)に分離されてゆく。(詳細は  No.822 補記1 参照)
その過程には1世紀以上の歳月が費やされ、報告された新希土類元素は100を超えた(今日知られているのはスカンジウム、イットリウムと15種のランタノイド)。

話を戻すと、1824年にベルセリウスが「酸化セリウムの炭酸塩」と報告した鉱物を、ビューダン(1832)は carbocerine (炭酸セリン)と、ハルトマン(1843)は hydrocerite (水和セル石) と呼んだ。ランタンを成分に含むことから ハイジンガー(1845)は lanthanite ランタン石と、グロッカー(1847)は hydrolanthanite (水和ランタン石)と呼んだ。組成は 1910年にリンドストレムが決定した。
ランタン石は(セリウム族)希土類(REE)の水和炭酸塩で、組成 (REE)2(CO3)3・8H2O。典型的な晩期・低温生成の二次鉱物である。セリウム鉱石中の亀裂部に潜晶質の薄膜をなして産し、色は白〜ピンク色、ときに板状〜等方結晶を作る。厚みのある板状結晶はほぼ必ず双晶になっているという。画像の標本はセル石の表面に吹き出すようにランタン石の被膜が付着している。

含有希土類はセリウム、ランタン、ネオジムが主で、ほかの元素も若干量含まれる。バストネス産のランタン石は長らくランタンが優越成分とみなされていた (Lanthanite-(La))。
ネオジムが優越するネオジム・ランタン石 Lanthanite-(Nd) はブラジル、キュリティバの炭酸岩・シルト層から発見されて 1980年に記載された。セリウムが優越するセリウム・ランタン石 Lanthanite-(Ce)は ウェールズ、ブリタニア鉱山の風化した銅鉱石から銅の二次鉱物を伴って生じたものが 1985年に記載された。後者の成分分析値を見ると、セリウム 17.6%, ランタン 12.3%, ネオジム 12.7% とあるから差はわずかと感じる。その後、1989年にバストネス産の標本(原標本ではない)が再調査されて、セリウムが優越するとの結果が得られた。以来、たいていのバストネス産標本は Lanthanite-(Ce)として市場に現れる(リンドストレムの頃には希土類元素の比率を精密に決定する方法はなかった)。
ランタン石は8水和物だが、4水和物のカルキンス石 Calkinsite も知られている(モンタナ州原産 1953年記載、USGS の F.C.カルキンスに因む)。普通、両者は共存しており、あるいは固溶体関係にある(結晶構造は相同)とも考えられている。

ちなみに、単純な炭酸塩鉱物は+1価ないし+2価の陽イオンと炭酸イオン(-2価)との組み合わせのみが知られている。+3価を標準状態とする希土類元素の炭酸塩は、結晶水を含む水和物か、水酸イオンを含む塩基性炭酸塩、あるいは他の陽イオンや陰イオンと組み合わさった複雑な化合物のみが成立するとみられている(宮脇博士)。
これは+電荷とイオン半径の大きな希土類元素の周りにはより多くの炭酸イオン(酸素酸イオン)が配位される必要があるからで、水和物では水分子の緩衝によって多数(8〜10配位)の炭酸イオンが希土類元素を囲みうるという。
希土類をイオン半径の(比較的)小さなイットリウム族(重希土類)と大きなセリウム族(軽希土類)とに分けると、イットリウム族の炭酸塩であるテンゲル石が2〜3水和物であるのに対し、セリウム族の炭酸塩であるランタン石は8水和物である(カルキン石は4水和物)。配位数はテンゲル石が9、ランタン石(カルキンス石)が10となり、後者はイオン半径の大きな希土類を安定的に取り込むために、より多くの水分子が介在していると解釈される。

こうした議論は孤立した陰イオン原子団を作る炭酸イオンや燐酸イオンの塩類について言えることで、珪酸イオンがフレーム構造を形成する珪酸塩では成立しない。
なおフッ化炭酸塩のバストネス石(バストネサイト)は、希土類とフッ素との間に層状網目フレームが形成され、その層間を炭酸イオンが占める特異な構造によって、例外的に非水和物が形成されるという。

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