74.藍銅鉱 Azurite (USA産) |
銅や鉛など金属の鉱石は、マグマが冷えて固まってゆくときに、重たい金属成分が凝縮して出来ることが多く、見た目からして、いかにもメタリックで、金属らしい光沢があり、重たそうである。ところが、そんな鉱物が地殻の変動で地上近くに昇ってきたとき、風化作用を受けて、華麗な変身を遂げることがある。こうして出来た二次鉱物は、最初の地味な鉱物とはまったく別種の、いわば咲き誇る花となる。小粒ながら、色も成分もバラエティに富み、コレクターの興趣をそそる。
藍銅鉱はそんな二次鉱物のひとつである。銅鉱石が地下水に溶け、炭酸と作用しあい、鮮青色の結晶に生まれ変わったものだ。銅鉱床の上部酸化帯に特徴的に出来る。美しい青色は他に類がなく、粉末にしても色が変わらないので、顔料(絵の具)として珍重される。日本画の群青は、この鉱物の粉末である。ただ、もともと産出が少ない上、現在では国内のめぼしい銅山は上層部が掘り尽くされてしまったため、質のよい藍銅鉱の入手はかなり難しくなっている。通常は、合成品で代用しているが、古い絵画の修復や職業画家の作品などでは、やはり天然モノが欠かせない。このテの鉱石は、産地によって成分が微妙に違い、絵画の場合にはその差が決定的な色の違いとなって現れる。合成品とは深みが違う(らしい)。なかなか取り替えの利かないものなのだ。
細野不二彦の「ギャラリー・フエイク」(贋物画廊)という作品に、「孤高の青」という話がある(単行本では第一巻所収)。青をテーマにした日本画の展覧会に出す作品を描くため、最高の群青を入手してくれと頼まれた画商(主人公)が、上質の藍銅鉱を求めて山河に分け入り、誰も知らない産地の川底から、首尾よく意中の鉱石を手に入れるという筋立てだ。話の中で天然の群青は、大画家たちが金に糸目をつけず買い占めてしまうため、普通の人には手が届かない高価かつ希少な顔料として扱われていた。若干の誇張はあるかもしれないが、実情は遠からずといったところだろう。
ちなみに、日本画では、緑色を孔雀石、赤を赤鉄鉱(ベンガラ)、黒を墨、白を貝殻など、顔料を自然界の産物から得ている。これらを極めて細かく砕き、粒度をそろえて用いるのだが、そのままでは、画材に馴染みにくいので、ウシや鹿の骨・皮から抽出した膠成分を水に溶き、混ぜ合わせて画材に定着させる。西洋の絵画を油絵とするならば、日本画は、にかわ絵と呼ぶことができるだろう。
最後になったが、写真の標本は、横幅約20センチくらいの大きさで、藍銅鉱は幅6センチの帯状になって中央を斜めによぎっている。両側を染める緑白色は孔雀石やベイルドン石で、こちらも銅の二次鉱物。赤褐色の岩の表面に吹き出るように出来ているのは、上述の生成条件を反映しているのである。
補記:明治初に金石学が始まった頃は、Kupferlazur を意訳して銅青石と呼ばれていたが、後に青でなく藍が宛てられるようになった。Vivianiteも同様に鉄青石と訳され、後に藍鉄鉱となった。Vivianite を擂り潰した粉末はブルー・オーカー (blue ocher)と呼ばれて、やはり岩絵の具に用いられる。
cf.孔雀石の話1