109.ユークロイト Euchroite   (ハンガリー産)

 

 

Euchroite

ユークロイト−ハンガリー、ヌーソール、リベセン産

同 −スロバキア、ルビエトワ、スワトデュースカ鉱山産

ユークロアイト −スロバキア、ルビエトワ(リベテン)産

 

銅の砒酸塩二次鉱物。No.88のリロコナイト同様、鉱物図鑑を見てその美しさに一目惚れ、幾夜寝覚めぬ須磨の関守となった私である。
後に、学名のユークロイトは、「美しい色」を意味するギリシャ語に因んだと知り、綺麗なものは、やはり誰が見たって綺麗なのだと妙に納得した。(中国では艶色石と訳したそうな。妙になまめかしい。ついでにいうと Brunnerite は艶色方解石または美麗方解石だとか)

さて、ここからはかなりあやふやな話。
この標本の産地リベテンは、ドイツ語表記にすると”Libethen”で、銅の燐酸塩、”Libethenite”(燐銅鉱)の原産地でもある。ラベルにハンガリーと明記してあるので、その通り紹介しておくが、本によって、チェコだったり、スロバキアだったり、ルーマニアにあったりする。あちこち、うろうろしているらしい。産地名をルビエトワ”Lubietova”とした図鑑もあるが、おそらく同じ土地を別の言語で呼んでいるんだろう。東欧にはよくあることだ。

この標本を入手して間もない頃、ある図鑑に、「ユークロイトは、非常に珍しい鉱物で、ブルガリアでしか発見されていない」と書いてあるのを見つけた。
「それなら、私のハンガリー産標本って一体…」と、まるちゃん(将棋の名人ではないよ)のように、額にさっと縦棒が並んだ。
ある鉱物商さんが、タイミングよく、ミズーリ州クレーマー・クリーク産の本鉱を扱っていたので、この件について訊ねてみた。
すると彼は、「ブリガリアでしか採れないというのは間違いだろう。現にぼくは、いくつかの参考標本を持っているよ」と産地名を4つ5つ並べてみせた。
「原産地のリベセンは、ブルガリア領だったこともあるし、ルーマニア領だったこともあるし、ハンガリーの一部だったこともある。東欧の産地は、国名も地名も頻繁に変わるんで、どうしても情報が不正確になるんだ。冷戦時代は、裏付け調査なんて出来なかったからね。」

そんなわけで、この産地は、さまよえる幽霊船の如く、以上に挙げた5つの国を経巡ったと思われる。果たして、今はどの空の下であろうか。(フライシャー鉱物種便覧2004では、スロバキアにある)

 

追記:中世が終わる頃、中央ヨーロッパでは国家(都市)規模の鉱山業が始まった。12世紀末、戦乱で荒廃したハルツ山地を離れた鉱夫たちは東方のフライブルクに流れて、マイセン侯オットーの下、ザクセン鉱山町を作った(cf. ゴスラーとランメルスベルク)。13世紀後半、ハンガリー国王ベラ4世はザクセン鉱夫を招請して鉱山業(主に銅山)を興す。これがハンガリー鉱山七都市(クレムニッツ、シェムニッツ、ノイゾールなど)の始まりである。
ルビエトワ(リベテン)はその一つで、古く青銅器時代(BC20-8C)にすでに銅を採掘していたと言われる。15-16世紀にはヨーロッパにおける主要銅産地に数えられた。
鉱物愛好家の間では、本鉱と燐銅鉱(1823年、いずれもブラウトハウプトの報告)、ムラーチェク石 Mrazekite(1992)の原産地として知られる。
ユークロアイトは19世紀の蒐集家の間でモテモテのアイテムだったらしく、一般向けの簡易図譜、クール(クルル)の「鉱物界」(1858)にすでに美しい緑色の絵姿が載せられている。しかし米ソ冷戦時代には東欧圏(東側勢力圏)に入ったこともあり、長らく入手の難しいクラシック標本となっていた。
冷戦後、欧米で鉱物熱がいよいよ盛んになったのを受けて 90年代に若干の標本が現れ、2000年代の前半には地元のコレクターグループが本鉱を探して旧いズリを徹底して掘っくり返し、旧坑上部のアクセス可能なエリアにまで進入してまずまずの収穫を上げた。以降それなりに入手可能なアイテムとなって、今も市場に標本を見る。苦労して探した者としてはちょっと口惜しくないこともない。と言いつつ下の標本はその恩恵に与ったものだ。(2019.6.29)

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