324.ラピスラズリ Lapis Lazuli (ロシア産)

 

 

濃紫色の部分を含むラピスラズリ (研磨面)  
−ロシア、イルクーツク産

ラピス・ラズリ−ロシア、シベリア、バイカル湖産
(半透明・粒状)

 

ロシアにとってシベリアのラピスラズリ資源の開発は、高価で貴重なバダフシャン産にとって替わるべき見果てぬ夢であるように思われる。
1786年(85年とも)に鉱物学者ラクスマンがスルジャンカ川の畔で青い石を発見した時から(ラクスマンと光太夫2)、より良質のラピスラズリ鉱脈を求める鉱物学者たちの巡礼は、現代に至るまで執拗に繰り返されている。

19世紀の前半、スルジャンカ産に優るラピスラズリとしてマラヤ・ビストラヤ(マラヤは山地の意)の産地が発見された。この大鉱床は1852年から65年にかけてパーマキンの手で盛んに開発され、サンクト・ペテルブルクの聖イザーク寺院では、柱石の化粧張りにここの石が使用される計画になっていた。しかし最終的に採用されたのはバダフシャン産のものであった。シベリアのラピスラズリは美しい青〜紫〜薄青であるが、概して色目が暗く、またたいてい方解石その他の鉱物を多く含んでいるために、均質な大塊が得難かったのである。
パーマキンはこの時期、イルクーツク川流域のカマール・ダバン地方やスルジャンカ川の流域でもいくつかの鉱床を発見したが、いずれもマラヤ・ビストラヤを凌ぐものではなかった。

この後、しばらく鉱山の開発は中断されたが、野望に満ちた地質学者たちは、いつか掘り当てる鉱脈の夢を紡ぎ紡ぎ、バイカル地方を訪れ続けた。年譜には10〜20年ごとに探索の記録が見られる。その情熱は20世紀に入っても衰えることはなく、最近では1987年に系統的な探査が行われ、また92年にマラヤ・ビストラヤ、スルジャンカ、ツルチュイ、チェルニュシカなどの鉱床の再評価がなされたという。
しかし均質な大塊を安定供給出来そうな鉱床は依然見つかっていない。ロシア人の探索はこれからも続くのであろう。

とはいえ、バイカル産のラピスラズリはその挟雑物ゆえに表情豊かである。鉱物標本としてバダフシャンのものより、むしろ好ましくさえ思われる。
美は多様なものだ。何も二番煎じを求めるにあたらない。ただ大地の恵みをそのまま受け取り、味わえばいいではないか。そういう気がする。

上の標本はイルクーツクの博物館ショップで扱っていた品が、日本まで回ってきたもの。この博物館は少し前に閉鎖され、所蔵標本の多くは、ごたごたにまぎれてアメリカに流されてしまったという…って、なんか話作ってないかい?
当地の人たちは、青地に清々しい白の混じる地元産ラピスの色彩の妙を高く評価していると聞いた。

下の標本は、半透明粒状のラピスラズリ。この類の標本はほかに見たことがないのだが、扱いの標本商さんが念のためX線粉末回折分析をされたので、ラピスラズリに間違いない(MR誌 Vol.45 No.3 (2014)の知見によるなら、透明タイプのこの石はむしろアウインと呼んで然るべきだが。cf.No.250
光に翳すと透きとおり、陰影に沈んだ「アイフェルのサファイヤ」といった風情がある。ラベルに記載はないが、スルジャンカ産だろうと言う。
どちらの標本も一部に紫色の部分があり、バイカル産の特徴ならんと思われる。

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