511.軟玉 Nephrite (USA産) |
アラスカに住むエスキモーの祖先が、大昔、ヨーロッパとアメリカ大陸とが陸続きだった頃にベーリンジアを渡って、あるいはベーリング海峡で隔てられた後はその浅い海を渡って、アジアからアメリカにやってきたという説は、エスキモーと(さらには内陸部のインディアンと)アジア人との間に潜む民族文化的な共通性を想起させ、私たち日本人にはロマンが感じられる。
この説は仮説であって、ほんとうのところは分からないのだが、環太平洋エリアの島嶼や大陸沿海部に伝わる文化には単なる類似以上のものがありそうに私には思える。
例えば、ニュージーランドのマオリ族が伝えるトーテムポールの文化がアラスカにもあること(立ち姿や手の位置、股の間に人が挟まるデザインなどの類似⇒軟玉の話3参照)、中国(四川省など)から日本、シベリア、そしてアラスカに亘って広がるワタリガラスの信仰が挙げられる。アラスカ、クリンギット族のトーテムポールの先には、鳥(カラス)の姿が彫刻される例があるが、これは朝鮮半島の鳥竿(ソッテ)、また中国揚子江流域の稲作家屋に見られる鳥柱や四川省三星堆の遺物に通じるものがありそうだ(⇒ひま話 太陽と鳥の信仰1)。
とはいえ、アラスカン・エスキモーの軟玉石器が古く中国の玉文化に通じるものだ、とまでは、さしたる知識もない私は、さすがに言うことが出来ない(調べてみたいが)。
ただコバック川の軟玉が大陸の北部地域、すなわちベーリング海峡から太平洋岸にかけてのアラスカ各地、さらに降ってカナダBC州、そして東方のカナダ極地方の古い先住民集落に供給されていたということは、特に否定する向きがないようである。
No.510で述べたように、アメリカ人は19世紀の終わりにジェード・マウンテンで軟玉の初生鉱床を発見した。その後1943年から45年にかけてアラスカ鉱山局がその付近の、ほぼコバック川に沿って北に伸びる蛇紋岩帯に石綿の探査を行った(ジェード・マウンテンを西端とし、コゴルクツク川の沖積地を東端とするエリア)。このときも軟玉が発見されて、1945年には約200トンの石綿(戦略物資とされていた)と約11トンの軟玉とが採掘された。アラスカで二番目に大きな軟玉産地ダール・クリークはこのエリアにある。
先般、同州アンカレッジ市を訪れたとき、ビジター・ビューローの建物前にダール・クリーク産の大きな転石が置かれてあるのを見た。⇒参考画像 数十年前からあるらしい。軟玉は州の大切な資源のひとつと考えられており、1968年に州の宝石に指定されている。
ちなみにダウンタウンで覗いた土産物屋さんでは、美しい深緑色の軟玉細工が沢山売られていたが、ほぼすべて、カナダ、カシアー産のブランドマークがついていた。
上の標本はわりと古いラピダリー用のスラブ片。裏面に産地を記したシールが貼ってある。業者さんによれば、"Alaskan Jade Yukon, Culver"と読めるとか。Yukonまではいいとして、その後の綴りは私にはまったく違って見える。産地の詳細は定かでないが、アラスカ産(ユーコン川流域)ではあるだろう。
ユーコン地方で最初に発見された軟玉産地はワトソン湖北方のキャンベル・ハイウェイで、1968年にカール・エブナーが発見した。
BC州の産地の延長線上に蛇紋岩帯が長く伸びており、キャンベル・レンジやアンヴィル・レンジに多くの初生鉱床があるし、ほかにも無数の産地が眠っているとみられている。ユーコン川沿いのいくつかの地点では水磨礫が発見されている。もっとも質のよい石はホワイト・ホースに近いマイルズ・キャニオン付近で採集出来るという。
アラスカのゴールド・ラッシュで有名なクロンダイクでも、金鉱のひとつサルファー・クリークから軟玉が採れたようで、ニューヨーク・メトロポリタン美術館のビショップ・コレクションに標本が収められているという。