478.軟玉  Nephrite (カナダ産)

 

 

Cassia jade (Nephrite) BCジェード 軟玉

ネフライト −カナダ、BC、カッシア産
(左側は切断面)

 

北米大陸の西海岸は、北はアラスカから南はカリフォルニアに至るまでの広い範囲にジェードの産地がある。そのほとんどは軟玉だが、カリフォルニアには加えて硬玉も出る。
海洋性地殻を形成するチャートほかの変成堆積岩や珪長質火成岩と、超塩基性〜塩基性岩(多くは蛇紋岩)とが接触する領域で、珪酸を含む岩石と苦鉄質の岩石との間に接触交代作用が起こって生成したと考えられている。
別の言い方をすれば、東に向かって移動する太平洋プレートの東端が北アメリカプレートの西端にぶつかり、その下に潜り込んでゆく現場のあちこちで、温度・気圧といった環境条件が揃い、必要な成分が折りよく供給された結果、大陸内部にはむしろ珍しいこれら玉類の大塊を生じたのである。(硬玉は高圧低温環境で生成するといわれる。軟玉(透・緑閃石)はより広い条件範囲で広域変成岩中などに産するとされている。ただ、造岩鉱物としての透・緑閃石と貴石たる軟玉とを質的に区別するなら、軟玉の生成にはやはり高圧環境が必要なのではないかと思う。)

その中で、現在もっとも潤沢に軟玉を産出しているのはカナダのブリティッシュ・コロンビア州(以下BC州)だろう。1938年に最初の発見があって以来、カシアー、クライ湖、ディーズ湖、マウント・オグデン地域、そのほか州南部地域(フレーザー川流域)に産地が知られ、その数15を越えるという。かつてはフレーザー川など漂砂鉱床での採掘が盛んだったが、現在は初生鉱床を掘ることが多くなり、産地はより僻地へ向かう傾向がある。しかし鉱床は巨大でも地理的に鉱石を運搬するのが困難な土地が多いことと、軟玉の需要は宝石質のものに限られるので、稼動中の鉱山はさほど多くない。北方の産地は冬季の気候があまりに厳しいため、採掘はたいてい短い夏のシーズン(6月中旬〜9月いっぱい)に限られている。
主力となっているのは、1960年代に発見されたカシアーのアスベスト鉱山とクライ湖・ディーズ湖地域だ。この四半世紀、BC州は年平均約200トン強の軟玉を輸出してきたが、カシアーの鉱山は1982年単年で650トンに上る軟玉を産出したというからスケールが大きい。当時100トンを越える巨塊も珍しくなかったらしい。
BC産の軟玉は通称ビーシー・ジェードと呼ばれて、そのほとんどが、台湾、中国、ニュージーランドなど、歴史的に軟玉を愛好してきた国に向けて出荷されている。台湾産ジェードよりやや良質で、台湾で加工されればタイワン・ジェードの表示で取引きされるそう。カナダ国内の需要は年4〜5トン程度。(世界の総生産量は約300トン/年と推計されている)

BCジェードの始まりについて、上に1938年と書いたが、1850年代、フレーザー川の流域で砂金を採っていた中国人鉱夫たちが、川床から大量の軟玉を浚って上海に送り出していた、という資料もあり、実はあまりはっきりしたことが分からない。
春山行夫著「宝石2」には、次の言及がある。
趣味でジェード探しを楽しんでいたアメリカ人で、J.L.クラフトという人物が、1920年代のある日、趣味を通じた文通相手であるブリティッシュ・コロンビアに住む友人から大きな包みを受け取った。 「中には、若干の暗緑色のジェードでつくったものや、それを研磨する初歩的な道具や約4.5キログラムの腎臓の形をしたジェードの原石が入っていた。これは古くからその地方でジェードの原石が発見されていたことを物語っているように、彼には思われた。しかし、そのころまで、北アメリカからジェードがでるということは、専門家たちも想像していなかった。彼はそれを自分で調べてみようと思い立ち、アラスカ、カリフォルニアその他の地方でそれを発見し、思いがけない功績をのこした」
このエピソードは、ジェードの最初の(再)発見がこれより数十年早かったとしても、20世紀前半期には一般にはまだあまり知名でなかったことを示しているようだ。

話は逸れるが、BC州に白人がやってきたのは、18世紀にロシア人が毛皮を求めて遠征したのが歴史上の嚆矢で、ついで英仏人が貿易拠点を開いた。1858年には州南部のフレーザー川流域に金が発見され、ゴールドラッシュが起こった。(バンクーバー発展の始まり。ちなみにカリフォルニアのゴールドラッシュは1849年⇒参考:ブラックヒルズ
1872年にチベルトとマックローチという人物が、北方のスティッキンに金が出るとのうわさを聞いて、荒涼とした原野に足を踏み入れ、ディーズ湖付近で実際に金を発見した。こうして、ユーコン準州に近いカシアーあたりでもゴールドラッシュがはじまり、2年後には1500人の砂金掘りが集まった。1874年に発見されたマカダム・クリークは、エリア随一の富鉱で、今日なお金を産するという。 そして1896年にはクロンダイクでさらに大きな金鉱が発見され、ボウケンジャー、じゃなかった、トレジャーハンターの熱い眼差しはさらに北のユーコン地方に向かった。
BC州の開拓は毛皮の採集・取引に始まり、鉱産資源の採掘によって進展した。北部地域の産業は現在でも金やアスベスト、銀、タングステンなど豊かな天然資源に依存している。

さて、軟玉の話に戻れば、フレーザー川で金が発見されたのが1858年で、1850年代には早くも中国人金鉱夫が軟玉を採ったというのが本当なら、彼らはBC州にやってきた初期の移民であり、入植するなりすぐに軟玉ビジネスを始めたことになろう(しかし、長続きしなかった)。とはいえ当時の加・米人(白人)は中国移民のサイドビジネスについてあまり関知しなかったと思われる。
カナダ産の軟玉についての最初の文献はドーソンが1887年に発表したものだという。
別の本には、BCジェードの採掘はラピダリー産業が勃興した第二次大戦前に始まり、戦後のラピダリー人気に乗って需要が拡大し、ドイツやアジア圏向けの輸出が大きな産業に成長した、とある。この頃から BCジェードが広く一般に知られるようになったのである。

一方、ネイティブ・アメリカン(インディアン)やイヌイット(エスキモー)の文化に目を向けると、アメリカ西海岸一帯にはジェード製の道具を利用してきた長い歴史がある。フレーザー川沿岸を拠点にするサリッシュ族の工芸品には4000年以上昔に製作されたものもあるという。彼ら自身がジェードを用いたばかりでなく、木工用のジェード製手斧を舟に積んで、流域各地で交易を行ったらしい。その証跡はフレーザー川沿いにバンクーバーまで辿ることが出来る。東にはトンプソン川に沿ってアルバータまで。南はコロンビア川からワシントン州に。北は海岸沿いにアラスカ・パンハンドルに。素材にはBC州北西のトリンギット産の軟玉を使ったと推測されている。
さらに北方のブリストル湾沿岸でもジェードが使用されているが、これはアラスカ産の石で、サリッシュ族とは別にイヌイットが自前のジェードを利用したと考えられている。イヌイットの集落には、アラスカ沿岸全域、北西地方から遠く東方のバフィン島まで、広くジェードの工芸品が見られるという。 
なお、カシアー産の軟玉は北西地方の先住民には知られていなかったようだ。

上の標本は、そのカシアー産の標本。カシアーはユーコン準州との州境付近にある、岩だらけの荒涼とした土地で、平均標高2000mの山々が連なる山岳地帯である(森林限界は1200m)。山間には氷河に破砕された岩屑で充満した沼沢の谷間が横たわる。
BC州の軟玉は基本的に透閃石(Tremolite)であり、平均して 21.7wt%のMgO、4.3wt%のFeOを成分に持つ。 組成式は Ca2(Mg4.5Fe0.5)Σ5Si8O22(OH)2に近い。 微量の緑泥石、滑石透輝石灰ばんざくろ石、スピネル族鉱物(クロム鉄鉱、磁鉄鉱)、くさび石などが混じる。

 カシアー鉱山の軟玉の特徴は明るい緑色のスポット(〜0.5mm)があることで、これはクロムとマンガンとを含む灰ばんざくろ石であるという。 資料によって、灰クロムざくろ石とされていることもある。産状的にクロムが入ることに不思議はないが、Grossular(灰ばんざくろ石)-Uvarovite(灰クロムざくろ石)-Andradite(灰鉄ざくろ石) のウグランダイト固溶体中にはマンガンが含まれないのが普通なので、カシアー産の標本はその意味で鉱物学的な面白さがある。
この標本は、"rare variety because of the high percentage of uvarovite in the rock "(灰クロムざくろ石の含有率が高い珍しい種類の軟玉)という触れ込みだった。のだが、特徴的とされる明るい緑色のスポットが見えないので、その通りかどうか、小首を傾げて考える。

cf. No.486 軟玉(ポーラー・ジェード)

 

補記:BC州は南北に超塩基性岩からなる山脈帯が 1,500km以上にわたって伸びており、これに沿って産地が連なっている。1960年代以前は(二次)漂砂鉱床からジェードを得ていたが、その後、初生鉱床での(機械化)採掘が主体になったという。
州南部のフレーザー川流域、中部のオグデン山地周辺、北部のカシアー、クライ湖・ディーズ湖周辺にそれぞれ初生鉱床がある。
北米では二次大戦後にラピダリー趣味が盛んになってジェード熱が起こり、またドイツの貴石産業やアジア圏の玉業者らへのジェード輸出量も大きくなった。

本文と重複するが、20世紀後半、台湾やニュージーランドでは地元産の質のよい軟玉を使ったジェード産業が興った。しかし資源の枯渇や法的問題等で供給が滞り、代わってBCジェードなどを輸入して加工品を作るようになった。たいてい出自をぼやかして流通に乗るようだ(消費者にはどこの産地のものか明示されない)。
中国では80年代の市場開放政策以降、新疆ウルムチ付近のマナシに産する美しい緑色の軟玉が購買力を増した中国人の人気を集めてきたが、これもまたすでに産量を落とし、BCジェードやロシア産ジェードを素材とした加工品が増えているという。やはりマナシ・ジェードとして出回るようである。

BCジェード資源は膨大だが、北方かつ山岳地帯の厳しい環境のため、採掘は普通短い夏季に限られている。初生鉱床ではしばしば数〜数十トンの大塊が産するが、トラックで運び出すため5トン以下のサイズで切り出される。小さいものでも数十kg程度の塊が得られる。貴石細工に適する高品質のものは産量の3~5%程度という。
北部のカシアーは産量を落として採掘を休止したようだが、ディーズ湖付近の高品質の「ポーラー・ジェード」は稼働を続けている。(2020.12.6)

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