517.方鉛鉱 Galena (ペルー産) |
アンテナと簡単なコイルやコンデンサ、それに鉱石のカケラとイヤフォンがあれば組み立てられる鉱石ラジオ。子供の頃、少年向け科学雑誌の付録についてきた組立てキットを手にした時の喜びは忘れがたい。(そのキットは実際にはゲルマニウムダイオードを使ったゲルマラジオと呼ぶべきものだったようだが)。
電気も電池も要らない。ラジオを手に空き地に座っていると、クリスタル・イヤフォンからかすかにラジオ局の音が聞こえてくる。青みわたる虚空を、目に見えない電波が無数に飛び交い、そのひとつが今確実に原始的な回路に拾われて、未知の働きにより耳元の振動板を鳴らし、人の声や音楽になって流れる。それは今まで手の届かない世界にあった科学が、自作の、複雑なことが出来そうにはとても見えない装置を介して、突然身近な世界に降ってきたことの象徴であった。
10年ほど前、「ぼくらの鉱石ラジオ」という本が刊行されたとき、かつての理科少年はまっさきに手にとってその昔の感慨にふけった。同時にひとりの鉱物愛好家として、鉱物の魅力をまたひとつ認識することが出来た。同じような懐旧に誘われた人も多かっただろう。
しばらくしてNHKテレビが鉱石ラジオの自作法を紹介する番組を放映した。
シリーズの初回では、こぶしほどもある方鉛鉱の塊を抱えたゲストが、鉱石ラジオのレトロな魅力をとつとつと語った。ほんの小さなカケラがあればいいのですと彼は言い、へき開を語りながら方鉛鉱を両手でもぐように割ってみせた。あああ…。なんと気前のいいひとであろう。
鉱石ラジオにおける鉱石の役割は検波である。前段の同調回路を通過してきた特定波長の電波から音声信号成分を分離し、後段に控えるイヤフォンに送り出す。方鉛鉱や黄鉄鉱、紅亜鉛鉱などが代表的な検波鉱石で、小さなカケラの局部にひげ状の金属触針をあてると、ショットキー接合によりダイオードに似た働きをして音声信号を取り出すことが出来る。とはいえ、その原理は今もって確かなところは分かっていないそうだ。
「ぼくらの鉱石ラジオ」によると、まだ無線通信が知られない1873年、フェルディナント・ブラウンという科学者が鉱石の単偏導性を発見した。さまざまな天然・人工の金属硫化物や鉱物の結晶で電流の方向や大きさ、流した時間によって抵抗値が大幅に変動する場合があることを知ったのだ。そうした半導体的な挙動によって整流・検波作用がもたらされるらしい。また、鉱石には光や熱を受けて微小な電位差を生じる性質があるが、この起電効果も検波に一役買っているようだ。
ブラウンは1897年に鉱石検波理論を発表し、1901年には実際に検波器を製作した。かくて鉱石ラジオの時代が始まり、性能のよい真空管やゲルマニウム・ダイオードが量産化されるまでの四半世紀、ラジオといえば鉱石ラジオのことであった。
鉱石検波器は鉱石に当たる触針の位置がわずかでもずれると感度が大幅に変化する。衝撃は厳禁で、もし針がずれた場合、もう一度その位置を調整し直す必要があった。
こうした鉱石の不思議さ、あるいは装置としてのわずらわしさもまた、理科少年の心には、実験室的好奇心をそそるディテイルなのである。