516.緑れん石 Epidote (ロシア産ほか) |
No.515の斜灰れん石が比較的産出の限られる鉱物であるのに対し、これと固溶体を作る緑れん石(エピドート)はさまざまな産状に拠って比較的豊富に産出する鉱物である。造岩鉱物のひとつに数えられる。
学名エピドートは1801年にアユイが命名した。フランス、ドフィーネ産の標本を観察した彼は、柱状結晶の底面(山形/角錐状になっている−正確には底面でなく庇面)の一方が他方よりもつねに長いことに気づいた。への字形の不均等な三角屋根のようである。これがエピドート(ギリシャ語の「増えた」の意)の語源になったというが、どうもうろんな感じのする説明だ。別の本には、柱面のひとつが他方よりも幅が広いことが語源とあるが、これも奇妙で、そんな現象は別にエピドートに限らない。(補記3)
和名の緑れん石(緑簾石)は、緑色のすだれ状の石の意味で、長柱状の結晶がほぼ平行に連晶して、すだれのように雪崩れる平面(曲面)を作る傾向があることによる。これはわりと飲み込みやすい命名で、実際そうした標本はよく見かける。
緑れん石の産地はいくらもあるが、古典的に有名なのはオーストリアのウンターズルツバッハタールで、古くから大型の雪崩れ美連晶を産し、未だに産出が続いている。ただ非常に高価。(cf.ヨアネウム2)
近年これに匹敵する美品を手頃な値段で出しているのがパキスタンのシガール渓谷にある小村アルチュリ。MR誌37−6号(2006年)に特集記事があり、「タンザニアを除けば世界最高品質の灰れん石、世界最高の斜灰れん石の結晶、ウンターズルツバッハタール産に劣らない緑れん石を産する」と絶賛されている。
上から3番目の標本はそのアルチュリ産で、平行連晶にファデン(cf.ファデン水晶)が入ったもの。上記MR誌にも同様の(しかしはるかにハイレベルの)ファデン式標本が載っているが、そちらは斜灰れん石と標識されている。また、灰れん石のファデンも出ると記されている。 −繰り返しになるが、緑れん石グループの分類はむつかしい。⇒cf.
No.515 補記
上の標本は、小さな可愛らしい緑れん石の結晶が苔のように生えたもので、こうした色を見ると、ピスタチオに因むピスタサイトの名が今も残っていることに頷ける。下部中央の銀灰色は方鉛鉱だと思う。
2番目の標本はころっとした柱状の結晶で、No.515の2番目に載せた結晶と似た形をしている。
4番目、一番下の標本は、長野県の特産品で「やきもち石」と呼ばれるもの。明治30年代、信州の奇人ナンバー1と言われた小学校長、保科百助氏が地元で発見した石で、ころっとした球形〜楕円形の凝灰岩(石英閃緑岩)を割ると、中に緑れん石の団球が入っている。世界的に珍しい産状だという。かつては、No.16のあられ石が緑れん石に替わったようなゴージャスな美品が採れたそうだが、今このクラスを採集するのは難しい。
私もひと昔前に採集を試みたが、あまりいいものに出逢えなくて、実はここに載せた標本も後に購入した品だ。
球顆状の空洞の下半分にパウダー状の緑れん石が詰まり、その上に小さな濃緑色の結晶が乗っている。上半分は空洞で、まさに青豆でつくったうぐいす餡を餅につめて焼き、ぷっくり膨らませた按配である。餡餅(あんもち)ともいい、もとは本当の餡餅だったのが、弘法大師にあげなかったから石になったという説話がある。中に緑れん石が入ったものを「黒あん」、水晶が入ったものを「白あん」という。黒姫山産の同類のものは「鬼の餡餅」。
ちなみにエピドートの別名に Acanticone (アカンティコン)がある。ギリシャ語の
Akanthis (金色のヒワ鶸)と Konia (粉)からの語で、粉末の色がこの鳥の羽色に似るためという。命名はアンドラーダ
B.J.d'Andrada(1800)。なかなか詩人である。
緑れん石は伸びの方向に平行な裂開がある。
基本的に酸化条件下で生成するもので、還元状態で生成される種との共存はないとされる。加藤博士によると、変ハンレイ岩などで斜長石固溶体が分解すると、灰長石成分は緑れん石となり、曹長石分子はそのまま曹長石になるという。
補記:ゾイサイトの名はオーストリアの鉱物愛好家でエーデルスタイン男爵だったツォイスに因む。彼に標本の提供を受けたヴェルナーが1805年に献名した。
補記2:ウラル地方 Achmatovsk に産したものはAchmatite
と呼ばれた。命名は R.ヘルマン。ノルウェイの Arendal
産のものは、Karsten によってArendalite と名付けられた(1800)。
cf. No.829
補記1 (アカンティコン Acanthicon)
補記3:柱状結晶の底面(平行四辺形)の一辺が他より長いから、というのがアウイ自身の説明らしい。緑れん石の訳語を作ったのは地質調査所で、ラメテリエの Thallite (葉緑色の石の意)から採ったといわれる(1887年)。
補記4:保科百助氏は「林子平より1つ多く所有するものがあったとかで五無斎と称し、初め小学校に職を奉じていたが、神保小虎先生などの知遇をうけて鉱物趣味に入り職を辞して後、筆墨を行商しつつ全長野県下を跋渉し、標本を採集してこれを県下の各学校に寄贈した篤志家である。」(長島「日本希元素鉱物」)
補記5:「あん」の入った石としては、大分県中津市池永に「ダンゴ石」というのがある。粘土層中にハロイサイトの白い団子状の塊があり、内側に二酸化マンガンの「黒あん」が入っている。江戸期に名物として知られたらしい。