553.モルダバイト Moldavite (チェコ産) |
美しいワインボトルの暗緑色をしたモルダバイトはガラスの一種である。オパールと同様、非晶質鉱物なわけだが、オパールが低温環境下で流動性を失った珪酸分に富む鉱水から物理的に結晶化を制約されて生じるのに対し、モルダバイトは高温によって溶融された無機物が急冷を受け時間的に結晶化を制約されて生じたものである。この種のガラスとしては黒曜石のような火山ガラスがよく知られているが(同様の経緯で生じる火山性のオパールもある)、モルダバイトは一風変わった起源を持ち、隕石の落下が原因となって生じたと考えられている。
薄く割れたガラスの縁は鋭い刃となり、しばしばナイフよりもよく切れる。その目的で丹念に加工された黒曜石が世界各地の石器時代の地層中に見つかっている。同じ伝でモルダバイトのカケラや石器がオーストリアのウィレンドルフ付近で発掘されており、それは約2万9千年前にクロマニヨン人たちが使ったものだという。またモラビアでもモルダバイトの石器が見つかっている。
世界の多くの地域で石器が忘れ去られたように、モルダバイトもまた長く時の彼方に置き去られていた。再び歴史に登場するのは19世紀を迎える頃である。プラハのヨゼフ・マイヤー教授が1787年に「テイン(都市名)のクリソライト(かんらん石)」として報告したのが古い記録で、当時はクリソライトと考えられたようだ。
その後、黒曜石(オブシディアン)に近い物質であることが分かって、擬クリソライト、クリソライト・オブシディアン、ボヘミアン・エメラルドなどの名で呼ばれ、宝貴石の一種として扱われた。モルダバイトの名はプラハのパトリオチック博物館のツィッペ氏が1836年に与えた。モルダウ河の流域や下流の堆積物中に見出されるためだが、この河は現地ではヴルタバ河と呼ばれ、モルダバイトは同じくヴルタビンと呼ばれている。
19世紀は類似のガラス質の石がオーストラリア、東南アジアなどで発見された時代だった。(西洋では19世紀の初めに宇宙からの飛来物−隕石の存在が認識された。→No.140)
これらを分析して同種のものと認めたオーストリアの地質学者フランツ・スースは1900年にテクタイトという総称を提唱した。ギリシャ語の「溶ける」の意で、溶融した粘液が固まったような形状をしていることによる。
モルダバイトには気泡を含むものがあり、その中は真空に近いごく薄い大気成分が封じられている。また含水量に乏しい。このため、融けていたとき真空中にあったか、非常な高温状態にあったと推定され、月から飛んできたとか、地球に隕石が衝突したときの超高温によって出来たと考えられた。月由来説はアポロの月面探査により否定的となったが、一方で世界各地のテクタイトと隕石孔との関連性がおいおい明らかになっていった。
モルダバイトは、ドイツ南部の町ネルトリンゲンの周囲に広がるリース盆地に約1,500万年前に落下した隕石によって生まれたと考えられる。この土地には大きなクレーター跡があり、ノルトリンゲン市街はクレーター(のひとつ)の中におさまっている。(cf.
旅のひとコマ No.53
ネルトリンゲン)
推定によると落下した隕石は5キロ立米の大きさがあり、周囲温度は数千〜1万度に達した。その熱で地表面が溶かされ、あるいは蒸発した(落下した隕石も大半は蒸発した)。溶融された部分は吹き飛ばされて空を舞い、大気に急冷され、無数の緑色ガラス片となって、ボヘミヤやモラビアに落下し撒布されたものらしい。モルダバイトの奇妙な形は、まだ固まりきらない状態で大気中を高速で飛翔したための造形とみられる。
一方、表面に見られる複雑な隆起や溝、窪みは地表に降った後、長い年月にわたって浸食を受けたことによると考えられている。
モルダバイトが隕石由来の成分であるか、地球上の物質であるか、議論の余地がないわけではないが、現在は後者だと考えられている。
成分的には流紋岩質のガラスで、通常のガラスと比べるとカルシウム分が非常に少なく、黒曜石と比べるとカリウムに乏しい。含水量も火山ガラスよりずっと乏しい。その分、珪酸分が高く、ある分析によると、珪酸約81.2%、カルシウム2.1%、酸化アルミ10.2%、酸化鉄2.5%、マグネシウム1.1%、ナトリウム2.4%という数値がある。硬度5.5、比重2.36、単屈折性で屈折率は1.51。特徴的な緑色は鉄分によるもので、2価の鉄イオンが多いと緑色を帯び、3価の鉄イオンが多いと茶色がかってくる。ルシャトリエライトという細長い繊維状〜粒状の微小インクルージョンを含むことがあり、これは非晶質の石英ガラスであって、モルダバイトと混じりあう時間のないまま固化したものだ。
ちなみにアメリカにはジョージアイトという約3,500万年前に出来たとみられるテクタイトが、シベリアにはウレンゴアイトという約2,400万年前に出来たとみられるテクタイトが報告されており、いずれも美しいものであるが産出が少ない。モルダバイトは事実上、産量の比較的豊富な唯一の宝石級テクタイトだといえる。
モルダバイトは18世紀頃から地元でペンダントなどに使われ、チェコのある地方では若い男性が末永い絆と幸運を願って結婚したい相手の女性に贈る習慣があった。手に持つと暖かい感じがするので、特別な力が宿っていると信じられたからだという。科学的には、非晶質のため熱伝導率が低いので、ほかの石に比べて熱を奪いにくいということになる。つまりガラスなら(あるいはオパールも)皆同じ効果があるわけで、興ざめな説明である。
19世紀には金銀と組み合わせた宝飾品に用いられ、宗教上のアイテム(聖体の顕示台など)が作られた例もある。1891年にプラハで開かれた万国博覧会ではモルダバイトを磨いて金にセットしたものが展示された。
20世紀になるとガラス瓶の底などを使った偽モノが大量に出回って人気を落とした。それまでモルダバイトは磨いたものが使われていたが、以来、チェコでは天然であることを前面に出して原石のまま使われるようになった。
最近はパワーストーンとしても注目を集めている。「石の神秘力」というムックには、「石を握って瞑目すると、石が脈動し出し、石の発するエネルギーで心臓が膨張してきて、顔がみるみる紅潮し、呼吸が深くなって、わっと泣き出すらしい。これを『モルダヴァイトフラッシュ』という。これを引き起こした石がその人物の石になるのだ。」と紹介されている。
業界のうわさでは、中世の騎士探索伝説に有名なキリストの血を受けた聖杯はこの石で出来ていたという。もっとも軟玉にせよエメラルドにせよ、緑色系の石はどれもその可能性を仄めかされているのだが。(ちなみに淡青緑色のフォスフォフィライトは、「鉱物マニアの聖杯」と、面白がって呼ばれている)
ネットのうわさによると、「キラバグ」という説もあるそうです。(←ヤサコ of 電脳コイル)
補記:ちなみにカナダのサドベリー鉱床は、硫化物マグマが固化して出来た特殊な銅・ニッケル鉱山だが、その生成には隕石が関与したと考えられている。18億5千万年前に衝突した隕石の熱で生じたマグマが隕石孔に溜まり、やがて冷却による表面の固化や溶融したマグマの火山活動、風化が繰り返されて現在の鉱床が生じたという。ただ、硫化物マグマは衝突をうけた基部が溶融したものでなく、衝突で生じた亀裂を伝って地下深部から上昇して隕石孔に溜まったもの(つまり貫入岩)との説が現在は有力視されている。ニッケルの由来が隕石起源か、マグマ起源かと考えたときに、後者の方がもっともらしいということである。(2015.7)