656.自然銀 Native Silver (メキシコ産) |
古来、金や銀は貴重品として扱われ通貨価値が認められてきたが、金は砂金のカタチで単体で採集出来たのに対して、銀が単体で(自然銀として)見つかることはむしろ珍しく、鉱石のカタチで、あるいは鉛などの別の金属の鉱石に含まれる状態で産するのが普通であった。従って銀を利用するには製錬(精錬)ないし分離抽出の操作が必要だった。
興味深いことにその方法はかなり古くから知られていた。
エレミヤ書
32,25に「銀をもって畑を買い、証人を立てよ」とあって、旧約の時代に銀を計って売買を決済する習慣があったことが分かるが、同書 6, 29-30
には次の章句がある。「ふいごは激しく吹き、鉛は火にとけて尽き、精錬はいたずらに進む。悪しき者がまだ除かれないからである。主が彼らを捨てられたので、彼らは捨てられた銀と呼ばれる。」
エレミヤはいわゆるバビロン捕囚の時代(BC 6-7C頃)の預言者だが、主の御言葉を信じない徒を、精錬によって不純物を取り除けなかったため放棄された銀に喩えているのである。
また別の個所では、万軍の主は「彼らを溶かし、試みる」と語っている。ゼカリア書
13,
9
には、「わたしはこの(全地の人の)3分の1を火の中に入れ、銀を吹き分けるように、これを吹き分け、金を精錬するように、これを精錬する」という言葉もあり、金属を溶かして精錬する(純度を上げる≒浄化する)如く、神は人に(炎の)試練を与えるとする観念は、大衆にも分かりやすい喩えであったことが窺われる。この精神はまた、錬金術による人間純化の思想に通じているはずだ。cf.
No.651
聖書で語られる銀の吹き分けは、キュペレーション(灰吹き法)と呼ばれる冶金法である。
高温に熱した鉱石(純度の低い銀)にフイゴで風を送りながら鉛を加えて熔かし続けると、鉱石に含まれていた卑金属(鉛、銅、亜鉛、砒素、アンチモン、ビスマスなど)が酸化されて液状の酸化鉛と化合し、捕集されて溶液と共に炉の内貼り材や灰床の中に吸収されてゆく、後には純度の高い貴金属(金や銀)が残る、というものである。炉の内貼りや炉床に灰を用いることと、空気を吹きつけながら精錬を進めることから灰吹き法と呼ばれる。
鉛を用いるのは、酸化鉛(リサージ)に他の金属酸化物を取り込んで(貪り喰らって)溶液やスラグを作る性質があるからで、濡れ性のよい熔解液は毛細管現象によって炉材に吸い込まれ排除される。一方、金や銀などの貴金属は酸化されず、単体または合金(エレクトラム)として残るのである。スラグが生じる場合は軽いため炉の上層に集まるから、これを取り除けばよい。
炉は石灰質の素材で内貼りするが、(粘土などの)珪酸成分があると鉛と反応して粘度の高い珪酸塩を形成するため、溶液の吸収が妨げられてしまう。鉛と反応しない灰材で覆うことが大切で、貝殻、石灰岩、木灰、骨灰など、カルシウムやマグネシウムに富んだ多孔質の素材が用いられた。灰吹きが進むと、酸化鉛の一部は気化して逃れるが、残りは液体として灰材に取り込まれて、リサージケーキと呼ばれる物質を作る。
銀は古く、トルコのアナトリア高原やメソポタミア平原の、BC3-4千年紀の初期青銅器文化圏ですでに用いられており、銀器や鉛器がリサージケーキやスラグと共に発掘されていることから、鉛鉱石から銀を抽出したものと考えられている。おそらく方鉛鉱など、含銀性の鉛鉱石を熱して鉛を溶かし出す操作の延長として、銀を抽出する灰吹き法が発展したのであろう。そして、旧約の時代にはその操作が広く一般に知られていたのだと思われる。
その頃(BC7C頃)には、ギリシャ人も含銀方鉛鉱から銀を取り出すようになっていたらしい。後にアテネ市民は有名なラウリオン鉱山の含銀鉱石から抽出した銀によって艦隊を整え、戦費を捻出し、ついにエーゲ海の制海権を獲得するに至った。(cf.
No.563)
ローマ時代には鉛の大量需要が興ったが、同時に鉛鉱石から抽出された銀を鋳造した銀貨が通貨の基準となった。
灰吹き法の基本は古代からほとんど変わらないが、操作法の詳細は時代によってさまざまだったようである。灰材もまたさまざまに工夫された。
16世紀初のアグリコラの時代には灰吹き法は精錬のほかにも、金属(貨幣など)の純度を分析する手法として用いられるようになっていた。分析作業に用いる小型で底の浅い受け皿は灰吹き皿と呼ばれるが、「最良の素材は燃やした鹿角から得られるが、魚の背骨も同じ程度によい」、とアグリコラはコメントしている。灰を細かく一様な大きさに砕いて均した粉末を、底のない真鍮の型にはめて焼結し、中央部の窪んだ皿を製作した。
灰吹き法を分析に用いたことが分かる最古の文献は12Cに書かれたテオフィルスの
On Divers Arts
で、アグリコラの頃には一般的な手法となっていたようである。
補記:灰吹きで銀鉛を分離する方法は、李時珍「本草綱目」(16C)の密陀僧の項にも詳しい。
補記2:サカテカスのサン・マルタン鉱山は
1990年代中頃に、第16レベルからシート状の自然銀を出した。40cmサイズに達するものがあり、表面は斑銅鉱で覆われていた。やがて大量に産出するようになり、塊状の斑銅鉱や黄銅鉱の中に細い脈になって自然銀が挟まっているものだと分かった。このテの鉱石をボール・ミルに掛けると、銅鉱は砕けるが自然銀は展性のためにボールに巻き付き、機械を傷めることが分かった。鉱山会社は坑夫らに鉱石からシート銀を外すことを奨励し、こうして珍しいシート銀が標本市場を賑わすことになったという。
鉱山ではまた画像のようなヒゲ銀を産し、長いものは15cmに達して、往古の(例えばコングスベルグ産の)ヒゲ銀標本に比肩するものと評された。