651.紅安鉱 Kermesite  (チェコ産ほか)

 

 

Kermesite 紅安鉱 カーメサイト

紅安鉱(マルーン色)−スロバキア、ペジノク産

Kermesite 紅安鉱

紅安鉱 −カナダ、ケベック、ラック・ニコレット産

 

アンチモンはヨーロッパでは古代から知られた7つの金属に次いで15〜16世紀頃(再)発見された新しい金属であった。原料の硫化アンチモン(輝安鉱)は加熱による化学反応の過程でさまざまな酸化状態をとり、赤、白、黄など多彩な色に変化する性質があった。金を精錬する効果、あるいはまた医薬的な効能によって、当時の錬金術師の間で盛んに研究された。(No.641以降の各項参照)
変成物のなかでも調製が難しく、しかし高い化学反応性が期待されたのは赤色系の酸化物だった。アンチモン・ガラス、アンチモン・オイル、そして炎の石へと進化してゆく錬金術的成果物である。赤は血の色であり、根源的生命力を象徴すると考えられた。(付記1)
原料となるカーメス・ミネラルはアンチモンのオキシ硫化物で、自然界では紅安鉱 Kermesite として産する。輝安鉱は酸化が進むと最終的にすべての硫黄分が酸素に置換されるが、紅安鉱はその中間生成物なのだ。

紅安鉱は古くは古代エジプト王国の第6王朝期の遺物から見つかっており、赤色を与える化粧品または工芸品の着色剤として用いられたとみられる。
ヨーロッパではかつてレッド・アンチモニー、アンチモニー・ブレンドなどの名で呼ばれ、のちに(1843年までに)Kermesite と命名された。赤色染料に用いられたカーメス(ケルメス)に因むといい、本鉱の粉末が赤〜チェリー赤色を示すことによる。ただし、どちらかといえば稀な鉱物で、錬金術師はむしろ輝安鉱からの変成物として実験室的にこの赤色物質を得た。そうであってこそ、すなわち錬金術的な純化・変成の過程を経てこそ、得られた物質はほかの(未熟な)物質の進化に貢献できるのである。

本鉱はまた、本邦の鉱物愛好家及び一部の標本商の間で、その標本を持てば「コレクターとしてはまず一人前ということになる」免許証として知られている。現代においてもなお、この赤色物質はイニシエーション的役割を担い、秘教的であることをやめない。標本産地はスロバキア西部のペジノク・アンチモン鉱山と、カナダのラック・ニコレット鉱山が2大巨頭であったが、この頃は中国から素敵に透明度の高い大きな結晶標本が出て、愛好家を唸らせている。

日本では鹿児島県の吹上温泉あたりにあった日之本鉱山(複数の坑口があった)の第一坑に、かつて赤色針状の美晶を産し、発見者の九大・木下亀城博士が「日本第一の鉱山とはここのことだよ」とおどけてみせたエピソードがある。「日本の鉱物」(1994)に標本が載っており、「古くから知られていたが、長い間幻の産地となっていた。」と意味深なコメントがある。

参考までにアンチモンに関わる錬金術用語を以下にリストアップした。各物質の詳しい解説や調製法はネットを検索すれば簡単にアクセスできるだろう。錬金術不死。
(ちなみにアンチモンは化学的毒性が知られており、今日では服用に供されない)

 

英 名 説 明
アンチモニー・グランス
Antimony Glance
輝安鉱
ループス・メタロルム
Lupus Metallorum
「灰色の(金属質の)狼」、輝安鉱、金の精錬に用いた
アンチモニー・レグルス
Antimony Regulus
(アンチモニー・ブラック)
金属(質)アンチモン
アンチモニー・クロッカス
Antimony Crocus
不純な硫化アンチモンソーダ、黄褐色、
アンチモン精錬時に生じるスラグ(鉱滓)
アンチモニー・サフラン
Antimony Saffron
黄金色(黄橙色)の五硫化アンチモン
アンチモニー・オーカー
Antimony Ochre
黄安鉱、顔料として用いられた黄色系のアンチモン粉末
(まれにセルバンテス石などの黄色アンチモン鉱物も用いられた)
アンチモニー・レバー
Antimony Liver
硫化アンチモンの熔融物、アンチモン鉱石とナイタ(硝石)とを
反応(爆発)させて調製する
アンチモニー・ブルーム
Antimony Bloom
白色のアンチモン三酸化物、(バレンチン鉱
アンチモニー・フラワー
Antimony Flower
昇華によって生じる三酸化アンチモン、白色(バレンチン鉱)
ターター・エメティック
Tartar Emetic
酒石酸カリウム・アンチモン、吐酒石(催吐剤)
透明結晶または白色粉末 金属的な甘味
プリマー塩
Plimmer's Salt
酒石酸アンチモンソーダ、ターター・エメティックの一種
アンチモニー・バター
Antimony Butter
三塩化アンチモン(油脂状、ワックス状)
アルガロスのパウダー
Powder of Algaroth
オキシ塩化アンチモン、
アンチモニー・バターから調製する白色粉末
アンチモニー・ブレンド
Antimony Blende
紅安鉱、オキシ硫化アンチモン、深赤色(チェリーレッド)
カーメス・ミネラル
Kermes Mineral
紅安鉱または同成分の人工調製物、催吐剤、発汗剤
アンチモニー・バーミリオン
Antimony Vermilion
赤色(橙色)のコロイド状の硫化アンチモン顔料
アンチニモー・レッドフラワー
Antimony Red Flower
硫化アンチモンの一種
アンチモニー・ガラス
Antimony Glass
ガラス質の酸化アンチモン(硫化物との混合物)、三硫化物と三酸化物とをルツボ中で溶融して作る
アンチモニー・ビネガー
Antimony Vinegar
酢酸性のアンチモン(?)、ヴァレンティヌスの書に現れる不安定な溶液
アンチモニー・オイル
Antimony Oil
カーメス・ミネラル(紅安鉱)をアルコール(ビネガー)に溶かす等の方法で得られる赤色系のオイル。炎の石の調製に用いる。
ファイヤー・ストーン
The Fire Stone
炎の石。ヴァレンティヌスの書に初めて現れたとされる物質。
「賢者の石」に共通する特徴をいくつか持っているが、さほどの効力は持っていない。きわめて高い治癒効果があり、高い化学反応性を持つ。5つの基本金属を金に変成する。(賢者の石はほとんどすべての物質を金にする)
賢者の石
The Philosopher's Stone
錬金術師の夢。最終錬成物質。あらゆる物質に働きかけて金に変える能力を持つ。
また生体に永遠不死の活動を許す。この石自体が不滅であり、石ある限り効能が永続するかのように伝えられているが、さすがにそれは物理法則に反していよう。赤色系の石である(No.461参照)。
ハリー・ポッターシリーズに拠ると、魔法史上、石の錬成報告はいくつかなされている。しかし20世紀末にはニコラス・フラメルが保有するただ一つの石きり存在せず、敵との闘争を有利に運ぶべく錬金術研究のパートナー、ダンブルドアに破壊されたため、もはや現存するものはない。また石に関する製作資料は失われたとみられる。もっとも製作者が魔法使いであったとすれば、マグルが成分や製造法を知っていても錬成の成就はまったく保証の限りでないと言わねばならない。この石にはあきらかに死者を甦らせる力はないが、千切れとんだ魂のカケラと破滅した肉体の残滓が存在すれば、復活を与える魔力を有すると推測される(しかし実証はされなかった)。

錬金術の最初の作業に必要となるケオティックな第一原質(プリマ・マテリア)は寡婦と呼ばれ(孤児と呼ばれることも)、これをもとに多くの錬成過程を経て造られる賢者の石は「孤児」orphanus と呼ばれた。この石は故郷なき孤児、寡婦の息子、誰にも省みられないがゆえに孤独であり、何者にも優って抜きんでるがゆえに孤独である。あらゆる場所にあり人から何の値打ちもないと卑しめられる物質の中にあるがゆえに孤児であり、原質(寡婦)の死に拠って生まれ完全な純化を経て現れるがゆえに孤児である。
賢者の石は物質を化成させる反応剤であるが、それ自体が完成された物質であり、すべての元素が完璧なバランスで合一し調和された原初のものであると考えられた。
その意味では賢者の石は第一原質と共通の性格を持ち、第一原質の中にすでに隠れて存在していたものである。
賢者の石とプリマ・マテリアは円の始まりであり終りである。すなわちウロボロスの蛇の頭が尾を喰らう位置であって、錬金の反応が一巡して開始点に戻った段階である。
余談にわたるが、プリニウスの博物誌巻10-82に、陸棲動物のうちヘビだけが卵生だという記述があり、「ヘビは抱擁しあって交尾する。非常にかたく絡み合っているので、二つの頭のある一匹の動物かと思われるほどだ。雄マムシは雌の口の中へ頭を挿し込む。そして雌は愉悦に夢中になってその頭をかみ切ってしまう。」(マムシは卵生で)「その卵は一色で魚の腹子のように柔らかい。二日して子宮の中で子を孵し、そして一日一匹の割合で生み、20匹まで生む。その結果、残っている子供たちは遅れることにひどくじれったくなって母親の腹を破って出てくる。そうやって母親殺しの罪を犯す」とある。錬金術の錬成過程にダブらせると実に興味深いエピソードである。
(現代の分類ではマムシは「卵生」でなく、「卵胎生」。)

エリアーデの「日記」(1961.6.29)によると、C.G.ユングは死の数日前、山頂でひとつの石を見つけた夢を見た。翌朝彼は幸せだった。その夢は彼にとって、
自分の人生が成就したことの紛れもない徴だった。私は lapis philosophorum 賢者の石を発見したのだ、と。

※ アンチモンの原料鉱石である輝安鉱はまた、これが混じった鉱石の製錬中に他の(有用な)金属の大部分を「むさぼり食う」ので(そのため金を吹き分けることが出来る)、錬金術師たちは「赤いライオン」、「狼」と呼んだ。多くの金属を侵す性質が鉛に似ているので、「聖なる鉛」、「賢者の鉛」とも呼んだ。またさまざまな金属の源であると考え「金属の根源」と、さまざまな形状と色の化合物を持つことから(変幻つねなき)「プロテウス」と呼んだ。

図像を寓意的に用いた錬金術書において、硫黄または黄金は犬の姿で、アンチモンは狼の姿で象徴された。狼にむさぼり食われる犬は、アンチモンによって純化される金を意味した。アンチモンは金の純化剤だったのだ。ちなみに銀の純化には鉛を用いた。

ヴァレンチヌス(ワレンティヌス)の第一の鍵に言う、「…王の冠を純金にすれば、王は純潔の花嫁と結ばれる。我等が肉体によって作業を行い、獰猛な灰色の狼を捕らえるべし。…王の肉体をその餌として狼に与えるべし。狼が王を食らい尽くしたとき、大いなる炎にて狼を燃やし灰となせ。かくて王は救われん。これを三度行えば、獅子が狼を打ち負かし、ことごとく食らいつくす。」
ここに王は金の象徴、花嫁は銀、狼はアンチモンであり、アンチモンによる金の精錬と純化された金及び銀の結合による賢者の石の誕生を示すと考えらえる。獅子にはさまざまな意があるが、この場合は錬金によって生じる土、すなわち賢者の石を表すのだと思う。
(cf.王と女王はふつう男性と女性、硫黄と水銀を象徴し、その結婚によって生まれる王冠を戴く赤ん坊こそ至純の金、もしくは金をもたらす赤色の賢者の石である。硫黄・金・太陽の力はしばしば同一視される。また狼と犬が挑みあうモチーフは男性と女性、硫黄と水銀、金と銀、太陽と月との荒々しい結合として解釈されることもある)

当時のヨーロッパの(あるいはギリシャ哲学の再発見を受けた)自然観では、万物は4つ(あるいは2つ、3つ)の元素によって構成されており、そのバランスの違いによってさまざまな性質の物質に分かれると考えられていた。金属は土の性を多く持つものであり、人間もまた土に属するものだった。というのは、聖書 創世記に記されている通り、人間は主なる神が土(アダマ)の塵で人の形を作り、その鼻に生命の息を吹き込まれて生まれた存在だからである。
もっとも均衡のとれた(至純の)金は、従って霊薬として人の健康に資するものであったし、金を作り出す賢者の石は、当然人を健やかに保つものとなるはずであった。
(「金の医薬としての効用」はプリニウスの博物誌にも述べられており、古い知識だった) cf.No.655 付記2、付記3
創世記にいう土の塊 (リンブス Limbus)は、パラケルススによると、そこから生成すべき被造物が未だ現れていない潜在的状態にある無形の第一物質(マテリア・プリマ)とみなされる。
一方ユダヤのある伝説は、神は世界の4つの隅から、赤と黒と白と黄のチリを集めて、アダムを造った。従ってアダムは世界のすべての端から端まで達するものである、という。この4色に優劣はなく、すべての性質(数字の4はその象徴)が等しく全人アダムを構成する要素として互いに結びついているわけ。また別のユダヤ伝説は、すべての人類はすでにアダムに含まれていた、あらゆる人の魂もまたアダムの中にあった、とする。アダムの魂はいわば無数の撚糸でできたランプの芯のようなものだ、と。

付記1:錬金術(賢者の石の錬成)には炎の愛による4つの連続する変成段階があった。まず黒色化、小さな男(またはエチオピア人)をシンボルに戴く土のニグレド(原質への下降)、次いで白色化(浄化)、白いバラが象徴する水のアルベド。黄色化(上昇)、空気のキトリニタスは太陽に向かって飛ぶ鷲で示される。そして最後に火のルベド、赤色化(生命・活性)、光を放つライオン(獅子)がこれをあらわす。
さまざまな色の変化を伴うアンチモン(化合物)は、まさに錬金術の思想を体現していた。すなわち輝安鉱から得られるレグルスの黒い自然アンチモン(アンチモニー・ブラック)、白いバレンチン鉱方安鉱(花のイコンで表されるもの)、黄色の黄安華セルバンテス石、そして赤い紅安鉱。
ちなみに、今日、印判に用いられる朱肉は水銀を含む朱(辰砂)ではなく、メタ輝安鉱に相当する合成の非晶質物質である。いうなれば、赤いアンチモン・ガラス。

cf. 「第一質料(プリマ・マテリア)は時には作業過程の最初の状態を示す「ニグレド」という概念と一致することになる。その場合、第一質料は黒き地(土)であって、そこに黄金もしくは石(ラピス)がちょうど小麦の種子のように蒔かれる。それは黒い、まか不思議なほど肥沃な土であって、アダムがパラダイスから持ち来たったものであり、アンチモンとも呼ばれ、また「黒い、黒きが上に黒いもの nigrum nigrius nigro」と形容されることもある。(ユング「心理学と錬金術Up147)

cf.黒化→白化→黄化→赤化の4過程から黄化を省略して、黒化→白化→赤化の3過程とする術書もしばしば存在する。
黄化(サフラン化)は黄金への変化を象徴するものとして想定されることもある。 ⇒No.351 サフロ鉱
黒化→赤化→白化という過程を指摘する術書もある。⇒ひま話 光をもたらすモノ 補記2

付記2:ゲーテ「ファウスト」高橋健二訳 1039行
「そして錬金術師の仲間に入り、黒いくりやに閉じこもって、際限のない処方がきに従い、反発し合うものをまぜ合わせた。そこで、大胆な求婚者、赤いライオンがぬるま湯の中で、ユリにめあわせられた。それから二つを燃え上がる火にかけて、新婚のへやからへやへと攻めたてる。すると、色どりもあやに、若い女王がガラス器の中に現れる。それで薬ができた。病人は死んだ。だれがなおったか、と問う人もなかった。こうして、わしたちには途方もない煮つめ薬を持って、この谷や山の中をペストよりもずっとひどく荒れまわった。わし自身、この毒を幾千という人に施した。彼らは衰弱して死んだ。わしは大それた人ごろしなのに、生きのびて、皆からほめられねばならぬのだ。」

付記3:パリの錬金術師ニコラス・フラメル(1330?-1418?)はその著の中で、1328年1月17日に水銀を純粋な銀に変えた、また4月25日夕方5時頃、赤い石から変成した水銀をほとんど同量の純金に変えた、それは普通の金より純粋で柔らかくよく伸びた、(妹背の)ペルネルの助けを借りてこれを3度作った、と書いている。

付記4:繰り返しになるが、エリアーデは黄金は不死と等価であると指摘しており、賢者の石と黄金を目的とする錬金術は、不死の探求にほかならない。(No.654, No.660
ちなみにエリアーデは、「錬金術師にとって作品は『生命の妙薬』とラピスラズリの獲得を追及する、つまり同時に不死と絶対的自由の征服を追及する。」とも述べている(迷宮の試煉)。賢者の石はラピスラズリ(青色の石)に擬されている。ノヴァーリスの「青い花」!

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