655.輝蒼鉛鉱 Bismuthinite (ボリビア産)

 

 

Bismuthinite 輝蒼鉛鉱

輝蒼鉛鉱 -ボリビア、タスナ鉱山産
(産地は少数の元鉱夫らが採掘するナゾの鉱山で、ビスマスが高度に濃集した
鉱床と思しい。2000年冬に産出した有名ロット中の一品。cf. No.199)

 

メソポタミアやギリシャ・ローマ、ヨーロッパの古い世界観によれば、天上にある星辰に対して地上の物質は従属関係にあった。人間の内なる肉体や精神は、外なる自然物のありようと呼応していた。
それゆえ天体の運行を観察しその相を読むことは地上の出来事を解析することであり、人間の運命を占うことに繋がっていた。
空に7つの主たる天体(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)があるように、地上には7つの主たる金属(金、銀、銅、水銀、鉄、スズ、鉛)が存在する(cf. No641)。 当然しかあるべき神理であった。
しかるに13〜16世紀にかけてのどこかの時点で、ヨーロッパでは周期表XA族の3つの半金属、砒素アンチモンビスマスのレグルス(金属質)が、次々と公に知られるようになった。それは単なる新金属の発見に留まらず、新しい精神の発見と呼んでもいい視野の広がりをもたらす星々だったといえる。
古い7つの金属に対してこれらがどんな位置を占めているのか、その性質が何で、人間とどんな相互作用を持つのか、物質と世界の成り立ちを説明する原理は見直しを迫られるのか否か、こうした探求が錬金術師と呼ばれるきわめて瞑想的な人びとによって進められたのは感慨深いことである。

とはいえ砒素やアンチモンと比べると、結果的にビスマスは錬金術的香気に乏しい物質であった。アグリコラの著書から窺えるように、この金属(半金属)は鉱夫たちによって古くから実践的に知られたが、一般には長い間、鉛やスズと混同され続けた。固有の性質が明確に示されたのは18世紀半ばのことで、それというのもビスマスに薬効が見出されず、医学的な興味を惹かなかったからである。ビスマスはスズ細工師がスズを白くし響きをよくするために用いる程度のマイナーな用途しかなく、化学者の間でも研究がなおざりにされていたのだ。(その後、次硝酸ビスマスは消化器官の潰瘍や慢性胃炎の治療薬として用いられた)

ヨーロッパの歴史にビスマスが登場するのは15世紀半ばである。1450年頃、グーテンベルクの発明した印刷機の活字にビスマスの合金が使用された。ただ、その鋳造法は秘密にされ、地金がどうやって得られたのかも分からない。もちろん鉱夫や冶金師たちは知っていたに違いない。
ゲルマン国立博物館に、ビスマスの地金に彩色した金属器が何点か収蔵されているが、これらは 1480年頃に作られたものとみられている。ビスマスについて記された最古の文献は 1505年にフライベルクで書かれた鉱山書で、すでに知られている金属として「Wysmuderz ビスムデルツ」の名が挙げられている。16世紀には白く美しいビスマス装飾細工の需要が増え、ニュールンベルクでは1572年までに専門職が現れて、1613年にギルドを結成した。

アグリコラは「デ・レ・メタリカ」第9書に、ビスマスのさまざまな精錬法を記している。また「ベルマヌス」では、古代には知られていなかったと思われるいくつかの金属の一つに bisemutum があり、plumbum candidum (白い鉛=スズ)とかnigrum (黒い鉛=鉛)と呼ばれているが、実は別の、第三のものだ、と教えている。ちなみにNo.149に述べたが、同時代のパラケルスス(テオフラストス)は、通常の黒色ではない白色のアンチモンについて記し、この物質はマグネシアまたはビスマスと呼ばれ、スズに親和性があり、黒いアンチモンに混ぜると銀を増量する、とした。(cf. No.525 付記1)

そして17世紀、アルバロ・アロンゾ・バルバ神父は「冶金術」(1640年)に次の見解を述べるのである。
宝石や金属の成長が星辰の影響を受けて進むという古いテーゼに対して神父は、「この従属と対応の関係は不確かである。金属が7種だけだとする考えも同じく不確かなものだ。地中にはまだ知られていない金属が何種類も存在していると考えるべきだ。数年前、ボヘミアのスドノス山地で、スズと鉛の中間的な性質だが、どちらともはっきり区別できる金属が発見された。世間が見逃しているこうした金属はほかにもあるに違いない。一方、もしかりに金属と惑星の間に従属と対応関係があるとしても、現在では新しい望遠鏡によって7個以上の惑星が存在することがはっきりしている…(cf. ガリレオによって木星の衛星が報告されていた)

17世紀になってもビスマスとスズ系(シロメ)金属との混同は続いていた。
フランスの化学者ニコラ・レムリー(1645-1715) は、ビスマスは「硫黄性のマルカジット(マーカサイト)で、スズ鉱山に産する。一般に砒素を多量に含む不完全なスズと考えられている。」「またビスマスによく似た別の種類のマルカジットがあり、亜鉛と呼ばれる。マルカジットは金属の排泄物あるいは金属のしみ込んだ土状の物質である。スズ細工師(シロメ加工職人)はスズにビスマスと亜鉛を混ぜて見栄えをよくする」と書いた。のちにはビスマスが天然の産物ではなく、「イギリス人が人工的に作ったスズのレグルスだと信じられている」「優れた錫ガラス(スズのレグルス、実はビスマス)はスズ、酒石、硝石から作られる」とつけ加えた。
当時のフランスではビスマスは(スズも)専らイギリスから輸入されるもので、国内に産地がなかったのだろう。実情は、コーンワルのスズ精錬業者がスズを硬くし光沢を増すために、わざと天然のビスマスを加えたスズ製品を作っていたということらしい。
かたやドイツのカスパー・ノイマン博士(1683-1737)は、「ビスマスの鉱石はザクセンのシュネーベルクに大量に産し、ボヘミアやイギリスにもかなりの量が出る」と述べているから面白い。ノイマンはスズのレグルスと天然のビスマスの化学的性質の違いに言及した。

18世紀の中頃になると、いくつかの化学的研究が発表され、ビスマスの固有の特徴が知られるようになった。
C.F.ジョフロワ(1728?-1753)はビスマスと鉛の挙動を比較し、古来金や銀を灰吹きするのに鉛を用いたのと同様、ビスマスが銀の灰吹きに使えることを確かめた(ちなみに金剛砂などの不純物を含む金の灰吹きには大量のビスマスを用いるとよいことが経験的に知られていた)。彼はビスマスと鉛の10の類似点を数え上げたが、同時に両者が明白に区別できることを示した。

画像の標本は輝蒼鉛鉱。BiS2。硫化ビスマス。輝安鉱(硫化アンチモン)と同じ原子配列で、アンチモンがビスマスに置き換わったものに相当する。外観や性質は輝安鉱に似ており、中間物も存在する。
ビスマスは和名に蒼鉛というが、この金属は別に青いわけではない。むしろ白く、やや赤みを帯びる特徴がある。輝蒼鉛鉱と輝安鉱とを比べても、前者は後者のように青味を帯びることがない。この場合の「蒼鉛」の意味は、色の褪せた(明るい)鉛といったところだろう。

付記:16世紀初、アグリコラは、コバルトから作るガラス着色剤ザッファー Zaflre (cf.サフロ鉱)はビスマス(鉱石)から作られるものと信じていた。
ずっと後、J.A.クラーマー(1710-1777)は、「試金術要論」に、ビスマスと砒素、コバルトの親縁性について述べた。「ビスマスはつねに砒素によって鉱石化されている。昇華によって砒素が発生することがそのことを示している(cf.上述のように硫黄性の鉱石の存在も知られていたが -sps)。ビスマス鉱石にはコバルトのようにガラスを青色に着色する土が含まれている。ビスマス鉱石を「ビスマスのコバルト」と呼んでも差し支えないと思われる。ビスマス鉱石にはコバルトに含まれるのと同じ原質が、程度こそ違え、必ず含まれていることを考慮に入れるとなおさらそう言ってよいだろう」

付記2:パラケルススは医術の基本を哲学と天文学とアルケミー(錬金術)、そして医師倫理においた。
「奇蹟の医の糧」に言う、「鉄とは何か、火星である。火星とは何か、鉄にほかならない。…火星を知るものは鉄を知る、鉄を知るものは火星が何であるかを知る、火星と鉄とを知るものは樹脂とは何か、またイラクサとは何かを知る。そうだ、異なるもののなかに同じであるものを知る者、それが哲学者だ」「スズ、銅、金、鉄はどこから成長し、どのように成長するのか、それらは何をなしうるか、どんな病気に苦しまねばならないか、それらに何が起こるか、こうしたことを知れば、人間のある身体部分について知ることが出来るのだ」
彼にとって錬金術とは、「金をつくったり銀をつくったりする」ことでなく、「アルカナをつくってそれを病気に適用」し、病にある人を救うことだった。それは錬金術が完全な金属として金を想定し、ほかの金属は不完全な「病気の」(金の形相を欠いた)状態にあるとみなしたことに対応している。錬金術師が卑金属を金に変える作業は、金属を治療して完全なものとする行為であった。
彼にとって、大いなる作業(アルス・マグナ)は、医薬の成就にあり、哲学・天文学の知識に照らして、その薬効を発揮させることだった(同じ物質が、時刻により星の影響により、異なる薬効を示すと考えた)。
アラビア語に起源をもつ「エリクシール」は、偽ゲーベルにおいて病気の金属を癒して金や銀に変容させる薬だったが、パラケルススは長寿を実現する万能薬として捉えた。

付記3:9世紀以降のアラビア錬金術が硫黄と水銀をすべての物質を構成する2大元素とみなしたのは、ひとつに水銀の医学的効果の重要性が認められたからである。水銀は溶融性、受容性を示す女性原理とされ、対して可燃性の硫黄が男性原理としてもう一方の象徴となった。(この原理の伝統はプトラマイオス時代に遡る)
パラケルルスはこれを古い(誤った)哲学とみなし、硫黄、水銀、塩の3つがあって金属は成長するとした。

付記4:太陽と金との相関はヨーロッパでは古代から明白と考えられていた。フォーブスによれば、「この輝く黄色の金属は、たいへん早くから太陽と結びつけられ、16世紀になってさえもアグリコラは、川砂の中に見出される自然金が太陽によって大地から抽出されたものだという考えと闘わねばならなかった」「その神秘的かつ哲学的な(しかしのちにはより物質的な)想像上の諸性質は、初期の化学と錬金術の原動力であった」と書いている。
1602年、ボローニャの靴職人、カッシャローロはパデルノ山で太陽の色をした石を発見し、卑金属を金に変える賢者の石を作るマテリアたると信じた。太陽石と名づけられたその石は、ある操作をしてV焼すると暗闇の中で明るく光った。(⇒錬金術師のボローニャ石

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