新緑の美しい季節になった。見るからにやわらかそうな新芽若葉が一斉に萌え出す。葉うら越しに振り仰ぐと、空まで若々しい緑色に染まるようだ。勢いがあって、いかにも生命に溢れている。昔の人は、植物が生い茂るその様子を指して、「みどり」といった。
岩波古語辞典を翻くと、「緑」の項に次のようにある。「@草木の新芽A色の名。青、萌黄(もえぎ)などに通じて使われた。▽本来色の名であるよりも、新芽の意が色名に転じたものか。」
続けて、「みどりご(緑児):新芽のように生まれたばかりの児の意」と説明がつく。すなわち、色としては本来新芽の色が緑なのだが、同時にその言葉には、新芽に象徴される若さ、新鮮さ、生命に膨ちた気配がこめられている。原始的な宗教では、植物はつねに生命力の顕現を端的に表す存在である。その色は豊穣をもたらす霊的な力の象徴でもあった。
◆長くつややかな美しい頭髪を形容して「みどりなす黒髪」と言う。日本人の髪の色はもともと漆のようなつややかな黒−烏の濡羽色−だから(だろう? 「グリーンレクイエム」じゃないもんね)、この表現はもちろん色の緑でなく、髪から発散され、横溢する溌剌とした生気を「みどり」としているのである。ある柔肌の歌人が詠んだように、その女の子は数え二十歳で、梳る如く豊かに流れる黒髪は、若さと生命の驕り昂ぶりを体現していて、ああ私ってなんて美しい、ラックス、シューパーリッチ(super rich)! と思わず自画自賛してしまうくらいなのだ。
ついでながら、中国(華北)では髪(や爪)は成長が早いことから、体の中でも最も生命力の凝集した部分と考えられていた。従って、髪の毛を人身御供に捧げる行為には真実味が具わっていた(参考)。中国人(華北の漢民族)の毛髪信仰は根深く、髭の生えてない仙人は考えられない。
生命の充ちた様子が「みどり」であり、新芽の色のみどりは「生命に満ちている」。緑色⇔生命の色。そうした巫術的思考が日本人に(あるいは古代の中国人に)あったということだ。
◆さて、「みどりなす」(黒髪)と同じ意味で使われる言葉に、「翡翠立つ」という語がある。例えば、「髪さはらなるほどに落ちたるなるべし、末すこし細りて、色なりとかいふめる、翡翠だちて、いとをかしげに、糸をよりかけたるやうなり」(源氏物語椎本)。翡翠めく、翡翠の髪状(かんざし)という表現もある。
我々石好きは、翡翠と聞くとすぐ白地に鮮緑色のつややかな石を思い浮かべる。確かにヒスイ(石)は中国では生命信仰と不可分だから、その発想は正しい。しかし、ここでいう翡翠は、実は鳥のことなのである。
新村出の広辞苑を見ると、翡翠とは、「@カワセミなどヒスイ科の鳥の総称、A鳥の尾の長い羽、Bカワセミの羽の色のように美しくつややかなもののたとえ。C硬玉」と載っている。(※硬玉は鉱物学用語で
Jadeite/ひすい輝石を指す)
古代の日本には新潟・富山の県境あたりで採れるヒスイを使った玉文化が存在し(ひすいの話1)、卑弥呼の後を継いだ台与(とよ)が、3世紀頃、魏に朝貢した青大勾珠はヒスイ(硬玉)だったとの説がある(青真珠説もある。
cf. C18 真珠2)。しかし、奈良時代以降、玉文化は次第に廃れ、18世紀に流行したミャンマー産のヒスイが中国(清朝)から入ってくるまでの千年、日本ではほとんど誰もこの石を知らなかった。名称についても、越後国風土記の逸文にある青八坂丹玉の名が示すように、本邦のヒスイは古くは青玉、青瓊(あをぬ・あをに)、沼名玉(ぬなたま=ぬのたま、色のついた玉の意か)、などと呼ばれたと思しく、「翡翠」ではなかった(付記3)。石の翡翠は中国渡来の言葉(商品名)で、19世紀の書、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」は、「かわせみの鳥の羽の青みどりに似ていて、うす浅黄色の玉すなわち白質青紋の玉の名となった」と、その由来を明かしている。
従ってCは比較的新しく加わった語義であり、「翡翠立つ」の解釈は、Bが正しいと見てよい。この場合も髪の毛の色がカワセミの羽の(青)緑色なわけはなく、やはり羽根の色→緑色→生命力→豊かな髪、といった一連の発想が流れていることが分かる。
◆カワセミは、「雀より大型で、尾は短く、クチバシは鋭くて長大。体の上面は暗緑青色。背・腰は美しい空色。水辺に棲み、水中の小魚をとる」鳥だという(広辞苑/左の画像は山登功・尚子氏のホームページより借用)。
その羽の颯爽とした鮮緑色(若竹色というのか)に、古人は新芽の場合と同様、生命力の宿りをみたのだろう。ここにはカワセミ自体に対する信仰が輻輳しているかもしれない(後述)。カワセミの羽が一種の巫術的な魔力を持ったアイテムとして珍重されたということもありうる。昆虫屋(むしや)の奥本大三郎氏は、「現代人は人工的に造り出された原色を呈するもの、金属光沢を放つもの、そして透明なものに囲まれて暮らしているが、自然界にはそのようなものは本来少ない。従って古代人は、タマムシの翅、カワセミの羽毛などを貴重なものに思いなしたに違いない。」(虫の宇宙誌)と書いている。
まとめると、日本の翡翠は緑色の羽をしたカワセミで、ここに、「植物の新芽の緑⇔若々しい生命力⇔翡翠の鮮やかな緑」という巫術的相関が看て取れる。
しかし、話はこれで終わらず、中国に渡ってもう少し続く。
◆カワセミを指す翡翠という語は、(石の場合とは別に)、かなり古い時代に中国から伝わったものと考えられるが、本国では翡は緋色(赤色)、翠は翠色(緑色)の謂いである。従って、中国の翡翠のイメージには、緑色だけでなく赤色が加わってくる。
左の画像は、故宮博物院発行の「玉器の話」に載った翡翠の絵である。
『皆さん、「翡翠」の二文字をよく見てください。ともになぜか「玉」の字ではなく、「羽」の字が入っています。この「翡」と「翠」の二文字は、本来それぞれ左図のような、朱色の羽と緑色の羽をしたかわせみのことを表す文字だったのです。それがいつしか朱色と緑の輝玉のことをこの二文字を用いて翡翠と呼ぶようになったのです。』と説明がついている。
以前この画像を当サイトの掲示板で紹介した時、あるばとろすさんから、「あの絵は同じカワセミ科のアカショウビンと思われます。」とご指摘を戴いたが、その通りだ。
中国(中原)では、緑色の羽のカワセミと赤い羽のアカショウビン
Halcyon Coromanda(Latham) が南方に棲息することが知られており、同じ種の雌雄であると考えられた。「説文」羽部に、「翡は赤い羽根の雀で鬱林(広西省貴県あたり)に産する」「翠は青い羽根の雀で鬱林に産する」とある。アカショウビンの方がカワセミより大きいので雄とされたらしい。
16世紀の医師、李時珍の「本草綱目」は、「爾雅」を引き、@「その身は前が翡で後身が翠」といい、あるいはA「雄を翡といって赤い、雌は翠色だから翠という」と、二つの説を挙げている。中国に棲むカワセミは日本のものと同種で、華北に3種、華南に9種いるそうだが、時珍はそこまで考証を細分化したわけでなく、過去の通説に従って解釈を示したようだ。@の説は、上の(山登氏の)写真のような、一羽で翡色と翠色を併せ持つカワセミを想定しているのだろう。Aの説は、下の絵のように、雄は胸も腹も赤いが、雌の羽はみどり色だとする、雌雄番いの考えに立っており、陰陽一対を好む中国人らしさが出ている。どちらも翡翠の語源としてもっともらしく、無理に一方が正しいと決めることもあるまい。
ただ指摘しておきたいのは、緑のカワセミも赤いアカショウビンも、古代中国では、ともにある種の信仰を担っていたことである。また、またもうひとつ含んでおきたい点は、緑と赤の組み合わせが自然界の森羅万象を象徴しうるということだ。緑はもちろん新芽であり、生命と結びついているが、赤は花の色であり(血の色であり)、やはり生命が旺盛に咲き誇る様と結びついている(実をいうと、赤、青、黄、白、黒の5色は中国ではどれも形而上的に生命活動と関っているのだが)。この国の禅語に「柳緑花紅」という言葉がある。人間を含めた天然世界の美しさをわずか四語で尽くす。翻って翡翠という語も、特定の鳥(カワセミ)を描写する一方で、広い意味では色とりどりの美しい鳥たちを総称しているとみて間違いでない。いろいろな色の美石が、かつて翡翠という語で総称されていた事例も、そうした思想に拠ると思われる(鉱物ギャラリー No.70参照)。
話がちょっと散漫になったが、通常の意味の翡翠は、赤と緑の羽を持つカワセミだという見解に還って、後を続けよう。
◆中国史書における翡翠の記述は、かなり古くまで遡ることができる。
漢の武帝が版図を拡大した時代(BC110年前後)、南戟を破って以後、竜眼やレイシなど南方の珍しい動植物が中原に入ってきた。その中に翡翠の羽もあった。現存する中国最古の地方誌とされる「華陽国志」、永昌郡古哀牢国の条には、「明帝の永平12年(AD69年)蜀郡の鄭純を太守とした。」の文に続けてこの地の産物を並べ、「黄金、虎魄(琥珀)、翡翠、孔雀、犀、象…」などが記されている。「後漢書」西夷伝にも、「哀牢に翡翠と孔雀が有る」と記され、以来、越南(ベトナム)、広西あたりに棲む翡翠の極彩色の羽は、中原でひっぱりだこになったようだ。「被うに珠玉を以ってし、飾るに翡翠を以ってす」と漢書にあるし、前漢末期、西域の匈奴に嫁された薄命の佳人・王昭君は、翡翠の扇を持っていたと伝わる。春秋、晋代の書には、「背に彩色のある翡翠の碧は鮮やかで可愛い。…日ごとに水中でその羽を洗っている。いま王公之家で、婦人の首飾りにしているが、羽の価は千金である。」とあって、高額な貴重品だったことが伺える。
◆とはいえ翡翠の羽は、単にその美しさが目的の、お洒落な装身具に過ぎなかったわけではない。少なくとも春秋期以前の祭祀社会では、雨乞いの儀式に欠かせない重要な巫術的アイテムに列していたのであり、漢代以降の嗜好にしても、その記憶や伝承を幾分かは含んでいたと考えるべきだろう。それは古代の人々が、鳥の羽と水の気との間に通じ合う特性を認めていたことに関係するようだ。
林巳奈夫氏の論考によると、月が放射する水の気は、良渚文化(紀元前3千年に遡る)において羽根で表されており、龍山文化でも同様だったという。雨(う)と羽(う)は中国では同じ音なのだが、「釈名」に、「雨は羽であって、鳥の羽のように動けば散る」と、両者を関連づける記述があり、漢代の人は雨というと羽を連想したものらしい。羽をもって扇げば、雨が散るのであろう。
氏は「周礼」に記された雨乞いの祭にも触れ、「皇舞を教える。舞者を帥いて雨乞い祭の際に舞う」(地官、舞師)を引用している。皇舞とは羽を被って行う舞い、あるいは五色の羽根を裂いて作った皇という道具を使って行う舞いである。「周礼」春官、楽師の注に、「皇舞とは羽をもって頭の上をすっぽり覆い、衣にも翡翠の羽を飾るものだ」とあり、ここに翡翠が出てくる。被り物の方も翡翠の羽を使ったに違いないとの見方もある。(前述のように、翡翠を色とりどりの(五色の)羽と読むことも可能だが、次節を根拠に、具体的にカワセミと考える方がもっともらしい)
また、「説文」に、「翠は鷸(しぎ)で、鷸は雨が降りそうになるのを知る鳥だ」とあり、後世の注釈に、「カワセミはその羽根を大事にし、雨が降りそうになると巣穴深くこもって出てこない。故に知雨鳥という」とある(現代のカワセミは雨の中でも平気で飛ぶらしいが)。
一方、翡(アカショウビン)は、日本では雨乞鳥と呼ばれることがある。「夏鳥として渡来し、低山帯の林に住む。曇天の日に鳴くことが多く、この声は雨の前ぶれであるともいわれる」ので、中国でもやっぱり雨を察知して鳴いたとみていいだろう。ついでに言えば、アカショウビンは沖縄では豊穣の年の始まりを告げる鳥で、民謡にも歌われているそうだ。(追記3)
まとめると、−おそらく春秋以前−、雨乞いの儀式を行う祭祀者は、雨の気配をいち早く感知するカワセミ(知雨鳥)やアカショウビン(雨乞鳥)の羽を身につけ、その声をまねてキョロロローッと叫ぶことによって、雨を招き寄せたのであった。「雨が降るから鳴く」という因果を逆転させ、「鳴けば降る」と巫術的に解釈したのがミソである。原因が結果を呼ぶなら、結果は原因を呼ぶのだ。
◆ところで、雨乞いを行う必要があったのは、農耕経済が発達していたからである。稲作などの農耕によって食料を調達する定住社会では、作物の生育にあわせた降雨が欠かせない。それゆえ天候をコントロールするための祭祀儀礼が社会的に重要な関心事となっていたのである。それは、降雨ばかりでなく、日照の確保についても同じであった。
新石器時代、BC5000年前後と目される河姆渡(かぼと)文化期の遺物に、「太陽を抱く双鳥」をモチーフにした有名な象牙片があり、中国南方の原始社会では太陽信仰が存在したことが分かっている。この信仰は良渚から龍山、殷周文化に連なる長い系譜を持つ。稲作の故郷といわれる揚子江流域から四川省にかけて、十日神話が伝承されており、東の扶桑と呼ばれる大木に10羽の烏がいて、それぞれ一つずつ太陽を背負って空に上り、西の蒙谷に舞い降りるという。太陽の運行は烏によって象徴されており、鳥を尊崇する傾向が農耕初期にすでに芽生えていたことが分かる。(稲作の始まりは、少なくとも1万2千年前に遡るというが)
この神鳥は降って、西王母の眷属である3羽(匹)の青鳥(烏)−青い鳥⇔緑の鳥−となり、さらに3青鳥が転化して、3足烏(3本足の烏)になったらしい。戦国時代から漢代にかけての石碑や墓所には、月を象徴する蝦蟇(ひきがえる)や兎とあわせて、太陽を背負う3本足の烏の図がよく見られる。3足烏は、日本では熊野大社のシンボルとして有名で(左図)、現在ではサッカーチームの守り神にもなっているが、ルーツは中国にあり、おそらく稲作文化の伝来と共に日本に渡ってきたものと推察される。日本の古い習俗には、もとをただせば、農耕儀礼が形骸化して伝承されたと解釈できるケースが多いらしい。それはともかく、古代の中国や日本では、鳥は太陽の運び手であり、神の使いであり、霊魂の導き手であると信じられたのだ。(古事記に出てくる八た烏)
翡翠の羽による雨乞いは、こうした鳥信仰をバックボーンに、農耕社会の発展とともに儀礼化した祭祀巫術のひとつと位置づけることが出来よう。鳥の羽は霊魂がこの世へ帰ってきたときの依り代とみなされるが、鳥頭を模した冠をかぶり、羽や翼をまとうことで、祭祀者は鳥そのものとなって空を翔け、あるいは神霊と交流し、意を通じることが出来たのである。
というわけで、緑(と赤)の翡翠は、農耕作物の豊穣を祈念して舞われる神事と深いつながりがあり、まさに「みどり」をもたらす瑞鳥だったことを記して、お話は一巡した。このページを終る潮時だろう。鳥と農耕の関わりには、太陽とその運び手、水気と羽の連想に加えて、稲やチガヤなど植物の穂と鳥の羽の類似による連想も寄与しているらしいが、この話は次回にまわす。
◆以上、次は霊の依り代である玉jについて書く、と予告したものの、その前に鳥信仰と農耕社会との結びつき、羽、緑と豊穣をもたらす力の象徴性という話題をクリアしておいた方がいいと思ったので、今回、先に翡翠の話題を取り上げた。お許し願いたい。
迂遠な話に毎回おつきあい下さっている皆様、本当にありがとうございます。
付記1:雨を降らす役どころは中国ではしばしば龍(蛇)に当てられる。これは鳥(鳳凰)をトーテムとする民族と、蛇(龍)をトーテムとする民族の合体という中華思想に対応している。しかしそれとは別に、蛇が水気と関連の深い生き物だからこそ、雨を司る役が与えられたのだろう。鳥と蛇の結婚、すなわち太陽と水の恵みは人間の生存にとって必要不可欠なものであった。
付記2:イランの文化圏では、鳥は万物を生み出す太陽を象徴するといわれ、豊穣の観念と結びついている。鳥の形や鳥の羽根を用いた装身具は多産を願う若い女性に用いられている。(加藤定子)
付記3:青丹よしの青、青葉、青春という語に共通する「あお」と「みどり」の間には、興味深い巫術的関連を見出すことができそうだ。若い黒色をあおぐろい(黝い)というように、「あお」もまた色名プラスアルファの意味−若さと結びついた−を持っている。また、青と緑の色は、中国でも日本でも古来厳密には区別されていなかったのであり、例えば信号機の青は緑色のランプだし、カワセミの羽の色は緑というより青に近いし、中国の緑色を帯びた軟玉は青玉と呼ばれていた。日本の翡翠(石)が青玉と呼ばれていたのは前述の通り。しかし、この件はまだ勉強中だから、これくらいに留めておく。
※岩波古語辞典に「あをに」を引くと、『青土・青丹。ニは土の意。@岩緑青の古名。顔料とした。「あらゆる土は色、青き紺(はなだ)のごとく、画に用いて麗し。俗(くにひと)あをにという」(常陸国風土記)』、また「あをによし(青丹よし)。枕詞。美しい青土を産する意が原義で『奈良』にかかる。また青く、赤くうつくしいことをほめて『国内(くぬち)』にかける。」とある。
※八坂丹(八尺瓊)玉の語義をいろいろ調べて今思っていること。
@丹(に)の原義は赤色/朱色の土質顔料をさした。字形は丹砂(赤土)を採掘する井戸の象形。匂う(にほふ)は「に・ほふ(秀でる)」で赤色が鮮やかに映えること、赤く色づくこと、転じてよい香りがほのぼのと立つことを意味した。丹玉(にのたま)の原義は赤色の石を磨いた美しく光る玉だろう。
A瓊(に・ぬ)は美しく磨いた玉の意で、左の王偏は玉の意、右部は音を表わす形成文字。原義は丹色の玉で、とりわけ赤色の玉の意の古語。
転じて、玉で作った、玉をちりばめた、玉のように美しいなどを意味する形容語。
B丹の語は有色の土質顔料を示して、例えば青丹(あをに)の語は、岩緑青(いわろくしょう)の古名。同様に青丹玉(あをにのたま)は青色の玉と思しい。
「青丹よし」は「美しい青土を産する」奈良の枕詞。同様に瓊の語に色名をつけると赤色以外の色玉飾を指しうる。例えば青瓊。
C八坂丹(八尺瓊)玉は、第一義には赤色の玉と考えられる。他の色の玉かもしれないが、その場合は色名を表わす語が付帯するはず。
例えば、越後国風土記の逸文は、土地に産する青色の玉を「青八坂丹玉」と称している。(おそらくヒスイ)
cf. No.930 補記2
D以上から、天照神話中の八坂瓊勾玉(ヤサカニのマガタマ)は、太陽神を呼び戻す役割をも勘案して、太陽のように赤く光る、気分を明るくするような赤玉と思しい。半透明のメノウか、コハクか? (ちゅうことは、水精ではないのだろうなあ)(水精玉のことは何と呼んでいたのだ?水玉(みのたま、みなたま)?) 2021.8.29
付記4:カワセミとショウビンとの関係について、本居宣長の「古事記伝」11巻神代九之巻(37)、「ソニドリノ」の解説。
「蘇邇杼理能(ソニドリノ)は鴗鳥(ソニドリ)之にて、青の枕言なり、そは和名抄に『爾雅の集注に云う、鴗は小鳥なり、色青翠にして魚を食う、江東呼びて水狗とす。和名曾比(ソビ)、文徳天皇録に、魚虎鳥三字を用ふ、魚虎は兼名苑等に見ゆ』とありて、其の色殊に青翠ければなり。… さて天若日子の段に、翠鳥とあるも、書紀には鴗とあれば、此の鳥なり、こは今の世に川世美(カワセミ)と云物にて、壒嚢抄に少微(ショウビ)と云えり、曾比少微川世美などは、みな蘇爾(ソニ)の訛れるなり、緑色と云うも、翠鳥色(ソニドリイロ)の曾を省けるなるべし」
とソニ鳥、カワセミ、ショウビを翠色の羽の同じ鳥を指すとみている。
追記:2007年5月末に石垣島を訪れたとき、午後の通り雨が上がって日が差しそめるなかを、アカショウビンが林を抜けて飛び渡るのに逢った。さすがに雨乞鳥だと感じいった。
ちなみに荒俣博物図鑑によると、アカショウビンは「ミズコイドリ」の異名を持つ。前世の親不孝をした罰があたって水を飲めなくなったため、「水恋し」と空に向かって鳴くのだという。
作家、藤沢周平は山形県荘内平野の産だが、随筆に彼の生まれた村では「雨季には姿の見えないアカショウビンが鳴いた」と書いている。南方の鳥のイメージだが、夏季には日本の北の方までやってきていたらしい。
追記2:まったく余談になるが、イスラム文化のスーフィズム(イスラムの神秘主義的な宗教)では色彩に精神的な意味が認められており、青は「魂の第一層に渦まく欲情の発散する妖気の色」であるが、緑は最高の色で、修行者が瞑想中に見る緑色のイマージュは「魂の第三層が活発に働いている」ことを示す。
瞑想の初めには、深い井戸のような地中の竪穴のなかにいて暗闇に取り巻かれているイマージュが現れるが、瞑想が深まると、やがて闇が固まった濃い黒雲となり、その雲を透して月の光が差し込んでくるイマージュに変わる。それから黒雲は白い層雲に変じる(魂が浄化されて、より深い領域に入る)。魂が太陽のイマージュとなって現れ、身体を昇ってゆく。修行者はまだ穴の中にいるが底ではなく出口の近くにきている。そのとき穴を満たす暗い霧の中心に美しい緑の火が見えてくる。この光は「スーフィズムの神話的な宇宙論において、全宇宙の中心点をなす巨大なエメラルド」であり、「そこから緑の光が出てくる」と考えられている。「このエメラルドは、スーフィズムでは、神の国、神聖な空間、つまり神が直接に臨在する空間の入り口に当たり」、「この超自然的な緑の光に導かれてスーフィーはいよいよ穴の外に出る。これが魂の第三層、寂滅の状態にある魂」である。(引用は、井筒俊彦「イスラーム哲学の原像」(2-3
ズィクル修行)より)
追記3:かつて菱マンガン鉱の美しいものを紅翡翠とも呼んだ。
追記4:瓊(ぬ)の玉、八尺瓊玉(やさかにのたま)の瓊は、丹に通じる音で原義は赤色の玉という。翡色の玉か。 cf. No.930 補記1
参考:鉱物ギャラリー No.221
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