43.デマントイド  Demantoid   (メキシコ産)

 

 

私たちの産地で有名なのは、ウラルのニジニ・タギルですね。

デマントイド −メキシコ、ベラクルス産 (白熱灯下)

 

草緑色のざくろ石(アンドラダイトの一種)。カットすると、緑色のダイヤモンド(ディアマント)のように輝くことから、名前がついた。

東京ミネラルショーで、ある外人さんがこの標本を出品していた。欲しかったので、店番の女性に値段を聞こうとすると、隣に座っていた彼が、「あいつはこれが何だかわかっていて、欲しいと言っているのか」と、ぶっきらぼうに言うのが聞こえた。こちらには英語がわからないと思っているのだろう、「値打ちのわかる奴にしか売らないんだ。」とか言っている。

そっと、その場を離れたが、30分ほどして、もう一度よく拝んでおこうと思い、ブースに戻って、じっと標本を見ていた。すると、彼が話し掛けてきた。「そうか、戻ってきたか。よしよし。」といった感じだ。聞けば、風変わりな産地の品で、彼が自分で発見して採集したものだという。何年前のミネラロジカル・レコードに記事を載せて、どうたら、と話が続いた。なるほど、それで、ひとしおの愛着があったわけだ。

「これが欲しいか」と彼。「欲しい」と私。でもって、有り難くお譲りいただいたが、こんな場合の常で、値段はちょっとどうかと思うくらい高かった。(1999.3)


追記:メキシコのベラクルス地方ラス・ビガスはアメシスト(紫水晶)の美麗標本で有名だが、鉱物・宝石商のスティーブ・グリーン氏はこれを専門的に扱ってきた業者さんである。とあるヘルスセンターでヒーリングストーンに使われていたアメシストに惹かれた若きグリーン氏は 1981年に初めてこの地にやってきた。地元では70年代末頃から少数の才能あるハンターたちが小村ピエドラ・パラダのあたりの丘を掘ってアメシストの晶洞を探し、一攫千金を手にしていたが、彼はそのビジネスに参入して世界市場へのパイプ役となった。
氏が初めて緑色の灰鉄ザクロ石(アンドラダイト)のサンプルを目にしたのは 1983年のことだった。色調は緑がかった茶色から鮮やかな黄緑色のものまであり、宝石質の透明結晶はデマントイドと呼ぶに相応しいものだった。デマントイドといえばウラル地方が歴史的な産地だが、その頃ロシアはまだ鉄のカーテンの向こう側にあって、西欧市場への流通はなかった。これはイケる、と踏んだ彼の若い血が騒ぐ。友人のクリス・ボイド氏と一緒に野越え山越えピエドラ・パラダへ行き、そこからさらに険を冒して近くの村まで足をのばした。村の有力者に渡りをつけて山に登り、自分たちの手で鉱脈を掘った。スカルンは地表付近にあり、水晶、方解石、アスベスト様の鉱物を伴っていた。彼らはいくつかのデマントイドの晶洞を見つけた。
こうして得られた標本やルースは 1985年のツーソンショーでお披露目された。集合標本にお鉢(ボウル)の形をしたものがあって評判になった。上の画像はデマントイドが薄い板のように平たく繋がっているが、これがぐるりと円を描き、まるで茶道で用いる茶碗のようになっているのである。ヒューストンのNHMで見たことがあるが、ちょっと類のないものである。そして世界に6,7点しかないらしい(採集されていない)。数寄者向けの銘碗といえようか。

この後のメジャーな採集はないようである。デマントイドは結局あまり稼ぎにならず、やはりアメシストの方がいいビジネスだった、とグリーン氏は回想している。ちなみに産地は長く伏せられており、採集の次第と村の名ラ・コンコルディアが公にされたのは 2003年のことである。この時点で見切りをつけた、ということだろうか(2002年にはロシア産のデマントイドが復活した)。 (2016.12)

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