527.緑鉛鉱 Pyromorphite (スペイン産ほか) |
Pyromorphite 緑鉛鉱は緑色を示すことの多い鉛の二次鉱物で、鉛鉱床や、方鉛鉱を伴う金、銅、亜鉛などの鉱床の酸化帯に生じている。どうかすると、苔かなにかの植物にみえて、とても無機物とは思えない。「鉱物の生物化」説の一翼を担っていたのではないかと想像される(cf.No.280)。
目立つ鉱物なので、鉛鉱石への水先案内となる。とはいえ、緑鉛鉱と方鉛鉱とが直接共産している標本はあまり見たことがない。むしろ褐鉄鉱を母岩にしている場合が多い。そしてしばしば白鉛鉱が共産している。成分的にはフッ素燐灰石のカルシウムを鉛に置換したものにあたる。
学名は、火に炙ると融け、冷えると再び結晶形が現れることから名づけられた(結晶の集合した形が溶融物からの生成を推測させたことによるとも)。一番上の標本など、そうして出来た形のようでもある(いわゆる骸晶式の成長を遂げたもののよう)。
上2つの標本はスペインのエル・オルカホ鉱山に産したもの。鉱山はシウダード・レアル地方の南端に位置し、銀に富んだ方鉛鉱を掘った。また自然銀、白鉛鉱、緑鉛鉱も掘った。同地方の銀と鉛の鉱脈は、古くローマ時代に採掘された形跡があるそうだが、近代的な採掘が始まったのは1859年である。短期間のうちに新しい鉱脈が次々と発見されて産出量が増え、盛時の村の人口は2,000人を超えた。1911年に下部坑道が水に漬かったため、以後は上層の水平坑道でのみ採掘が行われた。1960年代まで断続的に稼行された。
19世紀の終わり頃に美しい緑鉛鉱が大量に出た。巨大なものでは数十センチに及ぶ群晶があった。良質で量も十分に採れたので欧州のコレクターに広く愛され、
Les Farges産やBad Ems
産などとともに古典的標本となっている。
閉山後もズリでの採集が可能だったが、良品はあまり採れなくなっていた。しかし、マドリードからセビリアへ向かう高速鉄道の路線が鉱山跡とズリの上を通ることとなり、1990年に行われた工事により、再び幾多の良品が世に出た。同時にそれまで報告されていなかったいくつかの燐酸塩鉱物も発見された。
工事の後ズリは均され、崩落防止のために植樹された。今はまた採集が難しくなっているらしい。標本は95年に堀博士のお店で買った。工事中に出たものではなく、古い標本が市場に還流したものだそうだ。通販リストにいわく、「1900年の採集品という。しかしみずみずしくきれいで、そんな骨とう品には見えない。よほど保存が良かったのだろう。」
実際、とてもきれいな緑〜黄緑色をしている。あるいは1990年産か? cf.
ヘオミネロ博物館3
3番目の標本はフランス、カップ・ガロンヌ産である。フランスの緑鉛鉱といえば、こんな言葉が脳裏に浮かぶ。「そのみずみずしい緑色はフランス印象派のパレットにしかない」
数ある堀語録の一だ。博士はキャッチコピー作りの名人で、当否はともかく、こう告げられれば誰だって心がわくわくし、いつかフランス産の緑鉛鉱を見てみたいと思うようになる。フランス産の緑鉛鉱とはそういうものなんだと意識に刷り込まれる。
ある人にとって鉱物趣味は学問であり、ある人には審美であろう。しかしまた、ある人にとっては好奇心の発露そのものであり、同時にイマジネーションの庭である。抒情的なエピソードや観念がそれを支える。好奇心をくすぐるウィットを湛えた言葉や夢のあるフレーズが、鉱物趣味に温かい生命を通わせる。
博士の標語は分かりやすく、鉱物志向でない人たちにも通じる。口の端に乗せたくなるような言葉(と美しい標本写真)の魔力が、彼らの目を鉱物に振り向かせた。いいかえれば、博士によって、そういう在り方としての鉱物趣味が提案され、鉱物愛好家の裾野が格段に広がったのである。標本商の本懐であろう。
カップ・ガロンヌ産の緑鉛鉱。繊細な苔の絨毯のような結晶が褐鉄鉱の空隙を巻いている。色は瑞々しく、濃い。博士が印象派のパレットと呼んだ標本は、あるいは古典的な
Les Farges産のものだったかもしれないが、カップ・ガロンヌ産もまたフランスらしい美しい標本である。
ここに Les
Farges産も紹介したいところだが、僕はまだ持っていないので、例えばTAKさんや加藤さんのサイトなどをご覧下さりたく(リンクあります)。
下の標本はイギリス産の銘品、カンピ石。丸っこい独特の形と色の結晶をなす。ギリシャ語の Kampulos(曲がった)に由来し、樽形を示すという(それなら、エムスの樽もカンピ石と呼んでよさそうなものだが…)。左半分がタール様の黒い物質で覆われ、侵食されているように見えてあまり美しくないが、結晶(集合体?)の径が3センチほどもあるのがいいところ。これも95年に堀博士のお店の通販で買った。つまりお店が私に「この標本」を選んでくれたわけ。
今回はどういうものか、博士べったりのページになった。たまにはいいよね。
cf.ひま話「楽しい鉱物図鑑標本展」
追記:余談ながら、ときどき引き合いに出す奥本大三郎氏は、「虫を見ながら感動したり、考え込んだりする元昆虫少年は本来「昆虫学」には向いていない」と書いている。それは鉱物愛好家と鉱物学の間でも同じことだと僕は思っている。少なくとも僕にとっての鉱物学は、「楽しい鉱物学」の域を出るべきではないものだ。