735.セレン化ビスマス鉱 Bismuth-Selenide (スウェーデン産) |
1780年代、後にテルルと呼ばれる未知の金属を使った実験を繰り返していたミュラーは、この物質を加熱すると白煙とともにハツカダイコンのような臭いが漂うことに気づいた(おそらくテルル化水素の臭い)。1798年にクラップロートは新元素を確定したが、この臭気はテルルの存在を示す特徴とみなされた。
その頃、スウェーデンのファールンでは鉱山で採れる黄鉄鉱を焼いて硫黄を製造していた。二酸化硫黄の臭いに混じって、時折ハツカダイコンの臭いがするのだったが、しかしテルルを含む鉱物は見つからなかった。
ストックホルムにほど近いグリプスホルムに、硫黄を燃やして硫酸を製造する工場があった。硫黄の原料にファールン産の黄鉄鉱を使うと(硫酸を製造する)鉛室の底に少量の赤い粉末が沈殿するのだったが、この現象は他の産地の原料では起こらなかった。経営者は砒素が含まれているに違いないと聞いてファールン産の使用を差し控えた。
1800年に設立されたこの会社は諸々の理由で 1816年に破産したが、競売に出された工場施設はすぐに買い手を得た。ストックホルムの化学者イエーンス・ヤコブ・ベルセリウス(1779-1848)、鉱山監督官のJ.G.ガーン(1745-1818)、H.P.エゲルツ(や投資家)たちが共同で資金を出し合ったのである。
ガーンもエゲルツもファールンの人間だったので、工場ではまたファールン産の黄鉄鉱が使われるようになった。しかし事業はほとんど利益を生まなかった。翌年の夏、ベルセリウスら化学畑の人間が工場に集まり、数週間にわたって技術上の問題を検討した。
その時、ガーンとベルセリウスは、鉛室に溜まる赤いスラッジの成分を分析したのだったが、結果はテルルの存在を示唆していた。しかしファールンではテルルを含む鉱石はまったく出ないはずなのだ。
ストックホルムの実験室に戻ったベルセリウスはもう一度分析を繰り返し、硫黄混じりのこの粉末は、硫黄に似た、しかし金属性を持った未知の新物質を含んでいると考えるに至った。その金属質(レグルス)を熱すると濃紺色の煙とともに強いハツカダイコン臭がたちこめた。ちょうどテルルを熱したときと同じように…。
ベルセリウスは物性や原子量を見極め、1818年初に新元素セレニウムを発表した。
地球(テルス)を意味する元素テルルに似ているため、兄弟星の月(セレーネ)に拠って命名したのである。
そしてファールン産の黄鉄鉱を定量分析すると、セレンが0.15%だけ含まれていることが分かった。セレンはきわめてありふれた鉱物から発見された元素なのだった。
画像はファールン鉱山の鉱石スラブ片。セレン化ビスマスと標本ラベルにある。この鉱山にはさまざまなセレン化ビスマス鉱が産するが、代表的なのはライタカリ鉱(Laitakarite)あるいはセレン輝蒼鉛鉱((para)guanajuatite)で、まれにネフスキー鉱(Nevskite)がある。含セレン硫化ビスマス鉱を視野に入れると、生野鉱(Ikunolite)、Junoite, Weibullite, Wittite なども報告されている。そのあたりの鑑定は目視では不可能で、つまりはセレン化ビスマスと呼んでお茶を濁したものと思われる。
補記:ハツカダイコン臭を発するテルル化水素とセレン化水素とは共に毒性を持つ。ベルセリウスはセレン化水素を吸い込むと耐え難い刺激を鼻腔に感じ、また呼吸器系に炎症を起こしてかなり長期間苦しむことになると警告している。自身、苦しんだのである。
cf. No.356 自然セレン