883.石膏6 Gypsum (オーストリア産)

 

 

 

石膏 Gypsum

矢筈形に双晶(燕尾双晶)した石膏 −オーストリア、ザルツブルク産

 

 

「石灰(方解石)と石膏とは、歴史的にいつも近いところにあった」と No.882 に書いたが、実際、両者は蒸発岩や温泉沈殿物、熱水鉱脈鉱床の脈石物など共通する産状が多く、相伴うことが珍しくない。例えば海水を濃縮すると 50%あたりで方解石の析出が始まり、20%くらいから石膏が生じる(cf. No.291)。かつての浅海が隆起して干上がった塩原の周囲には、たいてい両者が見出される。方解石(石灰岩)があれば石膏を伴うとは言えないけれど、石膏があれば方解石も見つかる、ということは他の産状でもあることだ。

中国では石灰(方解石)も石膏も古くから知られていた、と思われる。これらが昔も同じ名で呼ばれていたとは言い切れないが、最古の薬物書とされる神農本草経(2-3C)には「石膏」が記載され、「味辛微寒、生山谷、治中風寒熱(風邪の悪寒と熱気を治す)」とある。
方解石は載っていないが、「石鍾乳。味甘温。生山谷。咳逆上氣、明目益精、安五臟」とあるのは、方解石を成分とする石かもしれない(あられ石かも)。
ほかに「凝水石。一名白水石」、「理石」、「長石。一名方石」の3種はいずれも「味辛寒。生山谷。治身熱(傷寒による体内の熱を治す)」と記述される解熱の石薬で、石膏(硬・軟)あるいは方解石とみられる。長石には後に「方解石」の別名が加わる。

唐代の新修本草では、「石膏と方解石はだいたい相似たもので、砕け方が違うだけ。市中ではみな(薬として)方解石を石膏の代用にする。真の石膏はみたことがない。」と注釈している。また(方解石の)「風を療し熱を去る効果は同じだが、解肌や発汗の作用は真の石膏と同じでない」という。
なにしろ中国の学者は文献至上主義のところがあって、以来、石膏、長石、方解石、理石はしばしば錯綜して用いられた。今日、本草書中の石膏・長石・方解石は形態の異なる硬石膏(綱目)で、理石は繊維石膏(軟石膏)を指す、とみられている。

しかしいくつか疑問がある。まず産出量からすれば石膏(軟石膏・2水石膏)は硬石膏よりずっと多く利用出来たはずなのに、なぜ本草書の石薬を硬石膏とばかり解釈するのか。両者の薬効に違いがあるのか。次に普通の軟石膏は何と呼ばれたのか。上の新修本草の記述からしても、石膏(真の石膏)はやはり軟石膏を指したのではないか。(補記)
また軟石膏よりさらに産出が普遍で入手しやすく、明瞭なへき開が容易に気づかれるはずの方解石が、なぜその性質の記述とともに本草書に現れないかも不思議である(石灰は載っている)。

本草の方解石が今日の硬石膏を指すという仮説は日本の鉱物趣味界の常識だが(cf. No.880)、私としてはむしろ、本草の方解石は今と同じ方解石を指し、(擂り潰して薬にするとき)へき開性に気づかれて方解石と呼ばれたものであり、類似の薬効からより入手性のよい方解石が軟石膏/硬石膏の代わりに(あるいは同列に)用いられるようになった、と考える方が自然に思われる。

益富博士は「石(昭和雲根志)」(1967)に石灰華の一型式として「石花(せっか)」を紹介されている。その石名は新修本草に初めて現れる新薬の名であり、「体を温め全く毒性がなく、腰や脚の冷える病気に効きめがあり」、「その効はむしろ鍾乳に勝るものがある」という。鍾乳とは神農本草の石鍾乳だろうか。この記述から同じ石灰成分の方解石の薬効を、石膏とは逆に体を温めるものと見るのは道理である。
しかし今日の中国医学では方解石(炭酸カルシウム)を指して「清熱瀉火薬」、解熱の薬としており、石膏と似た薬効と見ているのも事実である。一般に炭酸カルシウムを含む生薬(牡蠣殻、珊瑚等)は、鎮静(鎮心)、眼清、制汗といったクールダウン効果が挙げられる。
前述した凝水石は寒水石ともいい、本草網目で李時珍は石膏の別名と注釈して解熱の効を説いているが、今日の中国医学はこれを方解石としている。大理石を寒水石ともいう。
ちなみに東大寺正倉院に現存する薬種のうち、寒水石は炭酸カルシウム(方解石)、理石は含水硫酸カルシウム(繊維石膏・軟石膏)、鍾乳床は炭酸カルシウム(方解石)である。(宮内庁正倉院HPにそれぞれ画像と解説がある。)

石膏と方解石の混同の歴史は長く、おそらく本草の分野でも両者(や混合物)が同じ目的に用いられて異変を起こすことはなかったのであり、時代によっては方解石ばかりが用いられた時期もあったと解釈できる。No.880に書いたが今日の漢方は硬石膏でなく軟石膏を用いるのが普通という。産量的にも成分的にも納得出来ることだ。

画像はその昔、オーストリア、ザルツブルクのレジデンツ(宮廷)を見物した時に露店で売られていたもので、自分が地元で採ったというので土産代わりに求めた。双晶して、いわゆる燕尾形/矢羽形になっている。石膏の自形単結晶は菱形の面が目立つ(cf. No.65)。それは方解石のへき開片の形であり、数多い自形結晶形の一つでもあるから、そんな類似性からの混同もありうると思われる。

補記:石薬の原料としては軟石膏を使用し、(不純物を抜いたり、無毒化するために)焼いて、水分を完全に飛んだ硬石膏を服用した、ということはあるのかもしれない。

補記2:ザルツブルク(塩の砦)はその名の通り、製塩業とその収入によって発展した町である。南部ドイツやオーストリアには各地に塩(ハル)の産地がある。Cf. ヨアネウム2

補記3:雲根志 三編巻二采用類に「方解石」(ほうかいせき)があり、堅いが割ると方々に散ることが名の由来としている。「本草綱目」にも「方解石 硬石膏と相似たり 鼓破塊塊方解 故以って名と為す」とある。水谷豊文「物品識名」は方解石をハウゲセキと読ませる。平安中期の「康頼本草」によれば古名はイシノアブラ。和名は地方により、イイギリ(佐州)、ハブ(播州)、ウマノハイシ(芸州)、アラレイシ(濃州)などがあった。

補記4:中国本草に起源を持つ「長石」は今日の鉱物学にいう長石類 feldspar のことではなく、硬石膏を指した、と益富博士は指摘している。「神農本草経」以来受け継がれた名で、日本では江戸時代に消炎解熱の薬物として中国から輸入していたそうだ。
「長石という名は c軸方向に平行に柱状に伸長し、長大な結晶をつくる硬石膏には肯定できるが、欧米の Feldspar にあっては、バベノ式双晶のみは当てはまるかもしれないが、これより多く存在する結晶形のものには長石の名などつくはずがないので、」「誤認に基づくものであることは明らかである」と。(原色岩石図鑑 全改訂新版 1987)

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