882.透石膏 Selenite/ Satin spar (スペイン産ほか) |
白さも白い美しい石膏は古代から愛好された石材で、微晶質の塊が古代エジプトやギリシャ・ローマで彫刻品の材料に用いられた。アラバスターと呼ばれ、語源はエジプトの町アラバストロという(プリニウス)。ギリシャ語にアラバストロスは軟膏を入れる壺を指し、その壺はアラバスターで作られていた。
近代にはイタリアのトスカーナ州(大理石の名産地)やイギリスのダービーシャー(ブルージョン細工も有名)産の石材がよく知られた。
サテン・スパーは繊維状の結晶が平行集合した石で、磨くと絹糸で織ったサテン(繻子)のような光沢を示す。繊維状組織を持つ方解石やあられ石、長石等で同様の効果を示すものもサテン・スパーと呼ばれた(補記)。
古代世界で絹と言えば支那(中国)が唯一の産地で、陸のシルクロードの中継地ホータンを経て西方に製法が(蚕が)伝わったが、宋元代にはアラビア商人の交易船が今日の福建省泉州(刺桐/ザイトゥン)との間を往来し、絹織物をインド・中東からヨーロッパへもたらした(海のシルクロード)。ザイトゥンから来た絹織物はイタリアにザイゥーニと称され、フランス語でサテンと訛った。従って、サテン・スパーの名は中世〜ルネッサンス期以降に現れたと考えられる。
最初にその名で呼ばれたのがどの鉱物だったのか、アラバスターも同様だが、今となってはよく分からない。
透明な結晶石膏の輝きは内面から光が放たれるようで、近世ヨーロッパでは Lapis Specularis (鏡の石、キラキラ輝く石)、Marienglas (聖母マリアのガラス)といった雅称も用いられた。かつて溶融ガラスは均一な厚みの板を作ることが難しく、また泡の内包を避けることが出来なかった。対して一方向にへき開明瞭な石膏や雲母は、一様な厚みの(大きな)透明板を得やすく、採光窓や装飾品の保護板によく用いられた。硬度は雲母の方がやや有利(2.5-3)だが、まあ似たレベルである。マリア・ガラスというのは、お守りとする処女マリアの姿絵に石膏板を被せると独特のフロスト感が加わって神秘な雰囲気を与えたからとも、清浄感のある透明石膏自体が聖母マリアの象徴とされたからとも言われる。(マリア・ガラスと称して雲母を用いることもあった。)
石膏を焼いて作る焼石膏(半石膏)は英語に plaster of Paris (パリの漆喰/練り物)と俗称する。パリのモンマルトルの丘に石膏が大量に採れ、これを焼いた製品が市場を席巻した経緯がある(補記3)。貴石モザイク(ピエトラ・デューラ)の本場イタリアには着色石膏を用いた模造大理石技術(スカグリオラ)があり、素材の石膏を Lumen de Scagliola (スカイヨーラの光)と称した。
鉱物界では J.G.ワレリウスが、石膏の肌の青白い照り返しを月の光に擬えて Selenites
(月の石)とした(1747年)。今日でも無色透明の石膏をセレナイト
Selenite (透石膏)と呼ぶ由縁。
種名としてはしかし、ジプサム Gypsum
が制式で、アラビア語で漆喰を指すジャブスが語源という。ギリシャ語に入ってヒプソスとなったが、これは白亜(石灰)をも意味した。鉱物学は元来実用の学問だから(?)、即物的な名が好まれたのだろうか。石灰(方解石)と石膏とは、歴史的にいつも近いところにあった。
上の画像はスペインのサラゴサ地方にあるアラバスター鉱山で採れたもの。サラゴサ市の南東には塊状石膏の鉱体が数百キロ四方にわたって分布するといい、泥灰土(マール)や泥板岩(頁岩/シェール)の縞状層間に径1m前後の石膏の球塊が埋もれている。フエンテス・デ・エブロはこれを掘る鉱山のある町で、1985年頃から透明度の高い結晶標本を市場に出した。土壌に浸出する地下水が形成した空洞に、自由成長した美しい自形石膏が生じたものといわれる。
硫酸鉛鉱を想わせる山形板状で、無色〜淡黄色。整った結晶面は光輝に富み、紫外線で青白く蛍光する。なにしろヤワい石膏であるから、標本はハンマーで整形せずに鋸歯で切り出したまま提供されている。10年間ほど市場にあふれていたが、1994年にばったり供給がやんだと言われる。理由はよく分からないが(多分、あまり大量に採れたので値崩れして止めた)、その後はぼちぼち出回る程度。鉱山自体は少なくとも
2010年代に入っても稼働していたそうだ。 cf. ヘオミネロ博物館3
下はサテン・スパーの磨きタマゴ。中央あたりに縦に白っぽい筋が見えるが、これは光を強く照り返す部分。タマゴを動かすと左右に揺れて美しい(キャッツアイ効果)。
補記:サテン・スパーの「スパー」は、この場合、へき開性の強い石材を指すと思われる。
補記2:(錬金術師ゾシモスの)「『賢者の石』に関する論説では、アラバストロン(雪花石膏)は『白きが上に白き脳の石』であるといわれている。ペノトゥスの『象徴一覧』では脳は、とりわけ月、『洗礼の神秘』および『冥府の神々』に帰属している。これは満月の状態にある月がアルベド(白)と白いラピスとを意味していること、洗礼が海の王の子供たち(兄妹)と類比関係にあり、この子どもたちが海底のガラスの家で結合させられ変容させられることに関連している。」(ユング「結合の神秘2」p.222)
補記3:「子供のころから私は、それぞれの地名が、私の鉱物学的な魂に、何かを語りかける、ということになれている。…パリが語られる−と、私の心はあの有名な石膏の採掘所へとんでいってしまう。…」(おもしろい鉱物学
p64)
「かつてここにあった小塩湖に、石膏は平坦な層となってたまり、粘土の層に覆われた。いまそれを掘りおこし、次々に層をむきとり砕いている。百平方メートルからの巨大な一枚の石膏板が、まるで巨大な鏡のように太陽に輝いているのを見た、わたしの驚きはいかばかりだったろう。 …石膏は全体が一個の巨大な寸法の結晶だったのである。」(同
p147)
補記4: ヨーロッパが大航海時代を迎えた 16世紀は市場規模がかつてなく増大していた。絹の需要も爆発的に増えた。「大量の絹糸が、ペルシャからアレッポに集り、ヴェネツィアの商人の手を経て、ドイツの絹産業の中心であった、フランクフルトやケルンに流れた。…ヴェネツィアにも、…活発な絹産業が存在したが、ヴェネツィアの絹産業の原料は、オリエント絹ではない。北イタリア産の、より軽い絹糸を使っている。」(海の都の物語 下 p.257)