916.軟玉 Nephrite (ロシア産)

 

 

 

Nephrite Jade from Russia

ネフライト(研磨面) - ロシア、ブリヤート共和国、Hoytinskoe deposit産

 

 

シベリアのバイカル湖は、元朝の祖ジンギス・カンが生まれたブルカン嶽から北西に直線距離で約400kmほどにあり、世界でもっとも透明度の高い湖として知られる。ユーラシアプレートとアムールプレートの境界をなす地溝帯の陥没部をなす。
アムールプレートは相対的に南東に動き、地溝は引き裂かれて今も少しずつ広がっているため、湖は流入する堆積物に埋もれることなく、太古から存在し続けているという。
2万年前には寒冷気候に適応した人類が生活していた。彼らの子孫は後に中国東北部(〜黄河、江南へ)、朝鮮半島、日本列島へ渡っていったと考えられている。
ジンギス・カンの氏族ボルギジンの祖もまた大海(バイカル湖)を渡って、東方のオノン川上流に勢力を張ったと伝わる。

バイカル地方の住民はモンゴル帝国の版図となった11-12世紀頃からモンゴル化し、元朝以降は中国の山西商人が隊商を組んでウランバートルを経由して往来した。
一方、17世紀中頃になると「タタールのくびき」を脱した帝政ロシアが良質の毛皮を求めてシベリアに進出した。バイカル湖西岸に注ぎ込むアンガラ川畔のイルクーツクは毛皮商人の集まる町として発展し、やがて欧州よりも中国に大きな販路を見出すようになる。(cf. ラクスマンと光太夫2
ロシアと清との貿易は当初、毛皮と南京木綿との物々交換だったが、18世紀以降次第に毛・綿織物と茶との取引が増えていった。中国の茶は 1638年に贈答品として初めてロシアの宮廷に届いたという。イギリスやポルトガルに茶が送られて上流社会を括目させた時期に等しい。その後、ロシアは独自の喫茶文化を持つ国となり、大きな消費市場が形成された。

No.913-915で述べたように、バイカル地方産の玉(ネフライト・ジェーダイト)をロシアが知ったのは19世紀半ばのことで、採集が本格化したのは 20世紀後半である。しかしロシアの研究者は、周辺の住民が古くからこの地方の玉を使って石器を作っていたことは確実だと述べている。古代シベリア玉器のスタイルは、後に紅山文化に発展する中国東北地方の玉器との類似性が仄めかされている。(cf. 軟玉の話1 追記2
また日本では、北日本とバイカル地方の旧石器時代の石器の類似に注目する考古学者が増えているようだ。北海道湯の里4遺跡から出たダナイト(ダン橄欖石)製石器はバイカル湖周辺に産した原石を加工したものとみられる。
三重県出張遺跡に出た石製円盤は、ロシアのレンコフカ遺跡の墳墓から発見された額飾りと同様のものと考えられている。日本の玉文化の淵源の一つは、あるいは遠くバイカル地方に求められるのかもしれない。

今日、ブリヤート共和国ではジェード・ブームが興っているという。中国での玉需要の急速な高まりと、投機の絡んだ白玉価格の高騰、新疆産地の玉資源の不足を背景に、中国商人がロシア産の玉を買い付けたのが始まりだったようだが、ほどなくロシア系の人々も積極的に玉ビジネスに乗り出した。北京オリンピックのあった 2008年時点で 13の露天掘り鉱山が稼働していた。
玉の産量は公称年産 200トン前後といわれるが、中国市場へ流入する量はその 2-3倍に達し、過半は密輸(非課税)品であるという。1992年の原石出荷量は 50トン、2009年には 909トンという数字が上げられている。宝飾級の石はその1/3以下だが、そうとしても大変な量である。中国市場の懐の深さを物語っていよう。アムール川を越えて黒龍江省あたりから入ってゆくらしい。

ヴィチム産の淡色玉は品質が優れ、新疆産の玉によく匹敵する。採掘コストは 1kgあたり 2ドル、国外での売価は品質により 10~16ドルの建値だが、実勢価格は 60-1,000ドル(~3,000ドル)に達するという。1,000ドルを超える値はもちろん最高品質の羊脂白玉につくもので、そう矢鱈とあるものではない。
加工された玉器の価格は数十倍に膨れる。ロシア人としても原石より細工物にして売りたいところであるが、中国の玉商人だってなかなか儲けを譲るものではない。

画像はホイチンスコエ鉱山産の淡色玉を切断して磨いたもの。この鉱山は 21世紀に入って開かれた。中心部は質のよい半透明の青白玉。周辺部は風化したのか、変成作用によるのか、灰化したような不透明の玉質となっている。
中国の玉器に魅せられた初めの頃、私は玉器の写真集を眺めて、漢代以前の(墳墓から出た)玉器はどうしてまったく透明感のない、玉と思えない質感をしているのだろうと疑問を持ったものである。長い間土中に埋没して有機物に接していたために変質したのであり、製作された当時は半透明の美しい玉だったのだ、と解説されていたが、あまり信じる気になれなかった。
しかしこの標本を見ていると、外周の様子は正しく中国古代玉器のそれである。やっぱり風化してああなったのかもしれない、という気がしてくる。あるいは、もともとこんな感じの原石を加工したのかもしれないが。

ジンギス・カンに話を戻すと、その一代記や祖族の伝承を記した中世モンゴル史「元朝秘史」は冒頭に次のように述べる。
「上天より命ありて生まれたる蒼き狼(ボルテ・チノ)があった。その妻に美しき白き牝鹿(コアイ・マラル)があった。大海(テンギス)を渡って来った。オノン川の源のブルカン嶽に営盤(いえい)して生まれたバタチカンがあった。…」
狼祖伝説はモンゴル系だけでなく、古くチュルク系民族にも伝わる伝承だという。「蒼き(ボルテ)」とは毛色が灰色(暗灰色の斑のある白地)であることを意味する。
してみると蒼き狼と白き牝鹿の毛並みの艶は、ちょうどバイカル湖の東方に出る青白玉や白玉のようであったのだろう。

補記:ダナイト Dunite は かんらん石を 90%以上含む岩石で、ほかにクロムスピネル、クロム鉄鉱、磁鉄鉱、磁硫鉄鉱などを含む。1857年に F.V.ホクステッターがニュージーランドのダン山から報告したのでその名がある。北海道では日高山系南西端の幌満川下流域にダナイトが分布し、巨大な塊状岩体をなしている。