917.タイガーネフライト Nephrite var.tiger  (ロシア産)

 

 

 

tiger nepfrite from Russia

タイガー・ネフライト 磨き石 
-ロシア、バイカル、オノトスコエ産

 

ロシアの鉱物学者 A.E.フェルスマン(1883-1945)は晩年、プラハで長く病床にあった。漸く回復したと感じたある暗い嵐の夜、それまでの半世紀間に経験したさまざまな光景が次々と脳裏に浮かんできた。彼はその中から未来へと繋ぎたいトピックを選んで紙にしたためていった。こうして「石の思い出」(1945)が書かれた。
その一章「二つの値打ち」は、シベリア特急の食堂車で同じテーブルに座った同士が宝石について語り合うお話である。伯母から宝石資産を受け継いだ一人の男は、妻の願いを容れて金色のトパーズをお金に換え、代わりに(安くて美しい)石のブローチを3つ買った。いずれもロシア国内で採れる石で、東シベリア産の紅電気石、スヴェルドロフスク(ウラル中部)産の紅石英、南ウラルのオルスク産の碧玉である。
と、1945年版の邦訳本にあるが、底本に1958年版を用いた新訳では、3つの石は東シベリア産のネフライト、ウラル中部産のロードナイト(バラ輝石)、オルスク産の碧玉となっている。

紅電気石といえばウラル中部のムルジンカやリポフカに産したクリムゾン赤色の「シベライト」(Siberite シベリア石)が古来有名だった。トランスバイカルでは今日マルカン・ペグマタイトに美晶の採掘が知られるが、これは1970年代にウラン・希土類資源の探査が行われたのを契機に事業化されたものである。
とはいえ東シベリアは伝統的にエニセイ川より東方の地域を指す語であり、フェルスマンの念頭にはやはりバイカル地方の石があったものと思われる。
この紅電気石が後の版でネフライトに変わったことにはどんな理由があるのだろうか。
バイカル湖南方のサヤン山地のネフライト採掘が二次大戦前後に途切れたことを No.915に述べたが、あるいは 50年代後半にはその再開発が国家プロジェクトとして俎上に上っていたのかもしれない。

名産地として知られるオスパ(オスピンスキー)の鉱山は 1967年に開かれた。ロシアでもっとも品質のよい緑色ネフライトを産するといわれる。ここではまたキャッツ・アイ効果(シャトヤンシー)を示すタイプの石が出ている。
ネフライトは一般に肉眼では見えないほどの、数〜十数ミクロンレベルの極微小の繊維結晶がフェルト状に複雑に絡まった半透明・緻密な石を指し、肉眼的な結晶の見える透閃石〜緑閃石と区別されるのだが、いわゆるキャッツアイ・タイプのネフライトは平行束をなす直線的な繊維構造が肉眼で観察できる。

オフィオライト帯に産するネフライトは蛇紋石、特にアンチゴライトにカルシウムを含む熱水が作用して、比較的低温低圧環境での交代作用によって生じたと考えられている。その際どのような機序・機構によってフェルト状微細組織が形成されるかはまだよく分かっていないが、元の蛇紋岩の平行束状の石綿組織が残っていたり、あるいはその後の圧力履歴によって片状組織が生じると、キャッツアイ効果を持つようになるらしい。
キャッツアイ・ネフライトの報告は比較的新しく、またどちらかというと産出は稀である。最初に発見されたのは台湾の花蓮県寿豊郷豊田村のネフライト産地からで、1962年に当時高校生だった T.H.ヤンという人が繊維束の見える石に気づいたのが初めという。彫刻を試みるとすぐに欠けを生じて困ったが、カボッションに磨くと美しい猫目効果を示すことが分かった。
適切な研磨法を発見するのに数年かかったといい、1971-72年頃から市場に出回るようになった。当時は台湾玉の全盛期で、年産一声1,000トンと言われたものだが、キャッツアイ・タイプの産量は全体の5%程度で、かつ研磨に耐える良材が少ないため希少価値があった。日本では透閃石猫眼石と呼ばれたが、緑閃石に相当する組成である。石綿の混入によって猫眼効果を示すとされた。起源からすれば、混入というより石綿が元だったかもしれない。
台湾玉は 80年代に資源が枯渇したが、その後を埋めるようにロシア産のキャッツアイ・ネフライトが市場に出てきた。私としては流通は 2000年代からという印象があるが、文献によればその前から知られていたらしい。

画像の標本はこのタイプの平行束組織が見られるタンブル。「タイガー・ネフライト」の商品名で売られていた。猫の上を行ってタイガー(虎)なのかと思っていたが、平面的な磨き面には猫眼効果が現れるわけでなく、ただ光線の具合によって繊維束からの反射光が縞状の濃淡を現わすものなので、その模様を虎の体毛の縞目に擬えたものと思い直している。
ちなみにシベリアにはかつて広い範囲に虎(シベリアトラ/アムールトラ)が生息していた。先住民はバブル(babr)と呼び、聖獣として怖れた。その名残りはイルクーツク市の紋章である「口に黒テンを銜えた虎」に見られる。シベリアトラは現在では極東のアムール川流域など限られた地域でのみ目撃されているが、タイガー・ネフライトの名にはこの聖獣の記憶も一役買っているかもしれない。

No.916 に2010年頃までの白色ネフライトの取引価格を述べたが、その後も高騰が続いているようである。緑色ネフライトも同じで、GIAの紹介記事によると、ロシア産緑色ネフライト原石は 2013年初にキロあたり平均 500-600ドルで取引きされていたが、2014年末には黒竜江省東寧の国境市場で 1,000ドルの値がついた。翌年、最上級の原石価格は 2,000ドルに達した。そしてキャッツアイ効果を持つ最上級の緑色原石は 50,000ドル/kgで売買されたという。
「二つの値打ち」のネフライトは安くて美しいロシア産の好ましい宝石として語られたが、今日ではもう一方の値打ちで語られる宝石となっているようだ。

 

補記:ついでながら、太古のシベリア地方はマンモスが生息した土地で、人々はマンモスを狩って食糧にしたと考えられている。永久凍土帯にはその遺骸が沈んで冷凍保存されており、地球温暖化のためか凍土が解けつつある今日、この種のマンモスの発掘が時ならぬブームとなっているそうだ。
狩りの目当ては牙である。中国では 21世紀に入って象牙の需要もまた旺盛になったが、最近は国際的な取引禁止条約に多少の配慮をしている。そのため代替品としてマンモスの牙が俄かに注目されるようになったのだ。サハ共和国はアジア向けの輸出に力を入れているという。この地域の経済は、やはり地理的・歴史的に中国市場の影響が大きいようだ。

ちなみにマンモスの語源はレナ河流域のヤクート人の言葉 マンマ mamma (土)に由来し、この動物は土に穴を掘って住んでいると考えられたことによるらしい。マンモスはきわめて巨大な動物として 17世紀のヨーロッパに伝えられ、19世紀初には「巨大な」という意味の形容詞になっていた。