922.ひすい輝石  Jadeite (グアテマラ産)

 

 

Galactic gold jadeite from Guatemala

黒色ひすい(黄鉄鉱入り/研磨面) var. ギャラクティック・ゴールド・ジェーダイト 
−グアテマラ、モタグア峡谷産

 

 

15-16世紀初頃のメソアメリカ(中米)文化圏で珍重された緑色〜青色の宝玉チャルチウィテやシウについて、ひま話「アステカの宝石チャルチウイテとシウイトル」に述べた。
また宝石学・鉱物学的素性についての推測を鉱物記「チャルチウィトルの話」に述べた。
中国では清朝以来、カワセミの羽の色に似たミャンマー産の玉を翡翠と雅称したが、アステカ帝国では同様にケツアール鳥(和名:飾り絹羽鳥/カザリキヌバネドリ)の羽の色に似た鮮緑色の玉石をケツアリツトリあるいはケツアル・チャルチウィトルと呼んで殊のほか愛好した。アステカの最後の王は、その種の宝玉をスペイン王に献じて、金塊二山に匹敵する値打ちがあると強調した。ジェーダイトだったろうという説があるが確証はない。(上掲鉱物記ひすいのくだりを参照)。
また征服者(コンキスタドール)と呼ばれた荒くれスペイン人たちがヨーロッパへ持ち帰ったある種の温石は、「腰(腎臓)の石」(ピエトラ・デ・イヤーダ)と呼ばれて、後のネフライトの語源となった。これも実はジェーダイトだったろうと言われるが確証はない。

とはいえ、より古い時代のメソアメリカでは、ジェーダイトあるいはその類似石を用いた玉器が確かに使用されていたのである。マヤ文明やこれに先駆けるオルメカ文明に属する各地の遺跡に多くの出土品がある。
メソアメリカの考古遺物に鉱物学的関心が寄せられたのは 19世紀末から20世紀初のことで(※密林に埋もれたマヤの古代遺跡は 18世紀末頃から発見が始まる)、1881年にダムーアは玉器の素材をジェーダイトと判定している。しかし当時はまだ玉材がどこで採れたものか、少なくとも白人文化圏ではまったく知られていなかった。
転機は 1940-50年代にかけてグアテマラ高地、モタグア川上流南部のカミナルフユ Kaminaljuyu で発掘調査が行われて、マヤ遺跡から玉器が出土したことだった。
一方、エル・プログレッソ地方の小さな村マンザナル近く(ラ・フィンカ・トルヒージョ)の畑で採取された緑色の石が、スミソニアン協会の R.レズリーによって1952年にジェーダイトと判定された。これはトマト栽培園で農耕具として使われていたもので、カミナルフユで見つかった玉器によく似ていた。この後レズリーは付近を流れるモタグア川の漂砂礫中のいくつかの転石をもジェーダイトと判定した。マンザナル村では古い作業工房と思しい場所が見つかった。
1955年、AMNHの W.フォーシャグ博士がグアテマラの断層帯や蛇紋岩露頭との関連性から、モタグア峡谷がメソアメリカ文化圏の玉器素材の供給地(の一つ)だった可能性を示唆した(※フォーシャグは49年にグアテマラ政府からメソアメリカ玉器の出自調査を委託されていた)。蛇紋岩のあるところジェードあり、というわけである。以来、考古学者たちは峡谷から中南米各地に広がる交易ルートを思い描くようになる。63年にはその上流 70km の地点からも転石が報告された。

70年代になると商業的採掘が始まった。アンチグアに住む米人考古学者メアリ・ルー・ライジンガーと夫のジェイが 74年から産地の探索を始め、その年のうちに初生鉱床を発見したのだった。モタグア峡谷の北側(ラス・ミナス山脈の南麓)、マンザナルから東へ 10km ほどの丘の斜面の蛇紋岩体中に、 2x3m大のジェーダイト塊が(メランジェとして)入っていた。
夫妻は他にもいくつかの産地を見出した。採取した大量の原石をアンチグアに運んで加工し、ジェード店を開いて販売するようになった。
80年代初頃までに夫妻が発見したジェーダイトは概ねコマーシャル級(並級)の緑色系で、黒色(濃緑色)や白色の石もまた少量だが販売に供された。彼らは磨くとピアノブラックに光る黒色ジェードに惚れて、「マヤ・ブラック」と愛称して目玉商品とした。

1987年、金色の微粒が散る風変りな黒色ジェーダイトが発見された。微粒はほぼ黄鉄鉱だが、分析によると金、銀、白金、ニッケル、カドミウム等も検出された。世界のどこにもないユニークな品で、磨くと黒漆に金粉を撒いた梨地細工のように輝くのだった。夫妻はこれを夜空に輝く星々、さながらヴァン・ゴッホ描く「星月夜」の幻想的な世界に見立てて、ギャラクティック・ゴールド・ジェード(銀河の金星玉)と愛称した。多様性を誇るグアテマラ産ジェーダイトの中でも珍しい一品である。
画像はこのタイプのジェーダイト原石のスラブで、一面を研磨してある。

またこの年にはもう一つの産地が発見されて、オルメカ文明の彫刻玉器に見られる暗青緑色のジェーダイトが出た。夫妻はこれを「オルメカ・ブルー」と呼んだ。それまでこの色調の玉材はオルメカ期のうちに採り尽くされたと考えられていたのだが、まだ多少は残っていたわけである。
G&G誌の1990年夏号にこれら各色のジェーダイトが紹介されているが、この時点では青色がもっとも希少だったらしい(イーズビーが1968年に「オルメカ・ブルー」と呼んだ純粋な青色の材は依然未発見だった)。なお記事によると、1989年にライジンガー夫妻は彫刻用の上級素材を2万トン抱えていたそうだ。ジェーダイトの比重を約 3.4とすると、径1mの球状塊は約1.8トンの重さ。そんな球を1万個もストックしていたことになる。ひすい長者であるな。

cf. C20 グアテマラ産青色ヒスイ彫、 No.923

補記:グアテマラ産のひすい原石から取れる宝石質の部分は全体の 1%程度で、残り 99%は宝石的価値がない、とライジンガー夫妻は別のところで述べているが。

補記2:モタグア谷の北側で採れる濃緑色〜黒色不透明のジェードはジェーダイトでなく、オンファス輝石やタラマイト岩(ソーダ鉄アルカリ角閃石)に富む部分だ(だろう)との指摘がある。だからなんだっつうの。