925.ひすい輝石  Jadeite (グアテマラ産)

 

 

Jadeite princessa

ジェーダイト var. プリンセッサ (左側前面は研磨面) −グアテマラ産

 

 

グアテマラのジェーダイト(ひすい輝石)の初生鉱床は 1970年代にアンチグアのライジンガー夫妻によって発見されたが(cf.No.922)、学術的な報告はなされなかった。同じ頃、アメリカのハーバード大ピーボディ博物館やボストン美術館が共同で産地調査を行ったが、見るべき成果はなかったらしい。調査隊を率いた一人にラッセル・ザイツという人物があり、彼はずっと後 1999年に、久しぶりにグアテマラで休暇を過ごすことにしてアンチグアを訪れた。気のむくまま、町の通りに軒を並べるジェード・ショップを覗いた。ある店で「最近変わったジェードは出てない?」とお決まりの質問を出すと、店主は「じゃあ、屋根裏の廃材置き場を見てごらん」と言った。
そこでザイツは見慣れた不透明のジェードと全く趣きの違う、透明感のある青緑色、古代オルメカ文明の石器に見られる色のジェードに出逢ったのだった。
手のひらサイズのその石は地元のジェード・ハンターが持ち込んだもので、一般に細工に使われる緑色系でなかったため、商品価値が認められず除けてあったのだ。店主はその産地を知らなかった。

ザイツは石がジェーダイトであることを確認すると、産地をつきとめるために翌夏再びグアテマラを訪れた。ジェード・ハンターの案内でモタグア川中流に注ぎ込むブランコ川を遡った。そして草のよく生い茂ったある山腹にジェーダイトの脈を見せられた。ハンターたちがツルハシを使って掘り出していた。ザイツは 100ポンドほどのサンプルを持ち帰り、ハーバードや自然史博物館の学者たちに見せ、高品質のジェーダイト産地を発見することが出来るかもしれないと持ちかけた。
こうしてオルメカ・マヤ文明に造詣の深いカリフォルニア大リバーサイド校の考古学者 K.トービーや、ジェードの産状を知悉する AMNHの地質学者 G.ハーロウらが調査に加わった。商業的な価値はともかく、彼らにとってメソアメリカの古代史に繋がる青いジェードは興味深い研究対象だったのである。

2001年の春、彼らはモタグア川北岸のジェーダイト産地をいくつか巡検した。その時、南岸側でもジェーダイトが出ると聞き、夏にまた遠征を企てた。ジェード・ハンターをガイドにエル・タンボール川を遡って転石を観察し、やはり青色系のジェードがあることに気づいた。これらは 98年の超巨大ハリケーン、ミッチの被害で、上流のどこかから崩落して谷へ流れたものだった。初生鉱脈を探すために水系を辿り、カリザル・グランデなどの山腹にいくつかの鉱脈を発見する成果を上げた。半トンほどの標本を持ち帰った。ただしグアテマラ当局の許可を得て持ち出したわけではないという。その冬の考古学誌に研究成果が報告された。
2002年にはカリザル・グランデの南東、サン・ホセ近くのケブラダ・セカで青色〜淡紫色の半透明上質のジェーダイトと共に、およそ300トンと見積られる巨大な淡青色ジェーダイトのボールダーが発見された。
つまるところ、オルメカ・タイプとされる青色系ジェードは、モタグア川やその峡谷のあちこちで見つかるわけである。

モタグア川中流域の地図

タンボール川は上流ではハラパ川と呼ばれる。ハラパの南の山地に水源があり、東に流れてモタグア川に注ぐが、ハラパでも古いジェード細工の遺物が出るという。一方、サカパ(※上図参照)より東に40kmほど(といっても道沿いに辿れば倍の距離はあるが)にマヤ文明の古代遺跡で知られるホンジュラスの町コパンがある。
王朝の初代の王はキニチ・ヤシュ・クック・モといい、大都市国家ティカルの出身で AD426年に即位した。コパンは 8C初頃に最盛期を迎えたが、その後大国ティカルとカラクムルとの対立に巻き込まれ、カラクムルについた属国キリグアの反乱を機に衰退し、 9C半ばに消えた。(cf. オルメカ・マヤ主要遺跡分布図)
その盛期にはモタグア川流域のジェードをティカルやキリグアなど周辺諸都市に送って富を得ていたのではないかと仮説されている。しかし当時はすでに緑色系のジェードに嗜好が移っていたはずなので、オルメカ文明で好まれた青色系ジェードが採集されていたかどうかは分からない。(緑色系の宝石質のものがどの程度の量採れたかも定かでない。)
また先古典期のオルメカ文明圏に誰が青色系ジェードを供給したかも(仮にモタグア峡谷がその供給源だとしても)やはり謎である。テワンテペク地峡までの距離はおよそ 1,000kmある。青い神像斧(cf. C20)が知られるコスタリカまではさらに遠く 1,200kmほどある。どんな経緯で遠い異土に運ばれ、貴重品として愛好されるに至ったのか、我々が答を知るときは来るだろうか。

画像は青色系ジェードの一種。
サカパ近くのリオ・オンド付近にあるパナリュヤ Panaluyaで採れるもので、地元のハンターはプリンセッサ Princessa と呼んでいる。姫さま。 どうして姫さまなのか業者さんに訊いてみたが、知らないという。姫さまの青といえば、クイーン・メアリーがプリンセスだった頃に褒め倒したカナダ・バンクロフト産の方ソーダ石や、ダイアナ妃(の衣装)に想を得たというダイアナ石が思い浮かぶが、青衣の姫さまは風の谷のナウシカ、「アナと雪の女王」のエルサなどいろいろ控えているので、まあ、よく分からない。
産地はアトランティック・ハイウェイのすぐ北にあるが、摩耗が浅く薄い酸化鉄の皮膜をかぶっていることから、周辺の初生鉱床から出て川の転石として採取されるものと思しい。透明感に優れ、淡色の斑入りも美しい。
この地域ではまた 2002年に、アトランティック・ハイウェイの南 50mほどの場所でブルドーザが攫った土石から 140ポンドの淡青色の転石が採集されている。摩耗が激しいことから上流から長い距離を流れてきたとみられる。この石の色調もまたオルメカ・ブルーの一つという。

 

補記:マヤ文明圏はメキシコのテオティワカン文明(BC2C-AD6Cにかけて繁栄)の影響を受けている。大都市国家ティカルは AD378年にテオティワカンの軍門に下って古い建造物が破壊され、新しい王朝が成立した。即位したヤシュ・ヌーン・アインはテオティワカンの王家の血統とも言われる。(2020年夏の発掘調査によると、征服以前のティカルはすでにテオティワカン文明の影響を受けた器物を使用していた。おそらく友好的な関係にあったのが、何かの理由で反目の日を迎えたのだろう。)
2000年にコパンの神殿から発掘された墓中の遺骸は初代の王キニチ・ヤシュ・クック・モ(在位 AD426-437年頃)と目され、ジェードや貝殻の装飾品を佩びていた。歯の同位体分析により、若年の頃ティカル近辺で過ごしたことが推測されている。彼の後継者たちは王朝がテオティワカンに起源するとの権威づけをした。
してみると、メソアメリカでは早くから比較的広域に人士・物流を繋ぐネットワークが存在したのかもしれない。