926.ひすい輝石  Jadeite (グアテマラ産)

 

 

jadeite var. Mint

Jade var. Mint

ジェーダイト var. ミント (不定形錆色部は原石表面、ほかは切断面) 
−グアテマラ産

 

 

日本では 2010年に「古代メキシコ・オルメカ文明展−マヤへの道」という展覧会が各地で開かれた。その時出た図録の4章はオルメカ文明の交流と拡散についてのテキストで、「ヒスイの道」と題されている。スペイン語の原題は Los caminos del Jade だから、私なら「ジェードの道」あるいは「玉の道」と訳したいところだ。鉱物愛好家にはヒスイとジェードは同義でない。   
しかし執筆者は冒初でジェードを「アルミニウムとナトリウムからなるケイ酸塩から成る鉱物」と定義しているから、彼の関心は(ヒスイでなく)鉱物のジェーダイトにあったようである。とすると「ジェーダイトの道」と訳すのが本筋か。
鉱物愛好家から見ると、メソアメリカのジェードにジェーダイト(ひすい輝石)が含まれるとしても、中華圏のヒスイ(翡翠)とは別のものである(鉱物種が同じというだけ)。そこでひすい輝石と訳して一般読者に宝石のヒスイと同義と受け取られるリスクを冒すよりは、耳慣れないジェーダイトに留めて鉱物学用語であることを暗に示すのが賢明と思われる。

このテキストは古代オルメカのジェード石斧やマヤ古典期の(再利用された)オルメカ様式のジェード器物に始まり、16世紀にアステカ帝国の習俗を記録したサアグン神父のチャルチウィテへの言及に飛び、 20世紀中葉以降のアメリカ人研究者たちによるジェーダイト(ひすい輝石)産地の調査に繋げる。最後は自らの体験談、 K.トービー博士らに招待されて 2006年にモタグア谷のジェーダイト産地を回ったこと(cf.No.925)、その際先スペイン期(先コロンブス期)の石斧加工場を訪れたことを述べて、踏査によってメソアメリカ圏にかつて存在した長距離貿易の一端を窺うことができたとめでたく結んでいる。
私には論旨がごく不明瞭のように思われて、3題話のオチに落ち着かないが、ともかく時代も次元も異なるこれらのトピックを混合してひとつなぎの秘宝としているのが現代のメソアメリカ学であるらしい。そこにはジェードとジェーダイトと(他文化の)ヒスイとの混同もある。(もちろん、メソアメリカ文明のジェードが古代中国のジェード(ネフライト)文化の影響を受けて発展したと説くのであれば、話はまったく別である。)

引用されたサアグンのテキストの中で興味深いことが2つある。チャルチウィテが緑色であること、また石の産地が緑色の草と結びつけて語られていることで、アステカ人の鮮やかな緑色への志向性、草緑色の石に含まれる植物的生気への信仰を示している。彼らは主人の死に際して口に石を含ませた。石が持っているある種の霊魂に援けられて穏やかに死出の旅に向かえるように。
高貴の人々には(おそらく高価な)チャルチウィトルを用い、身分の軽い人には価値の低い(おそらくより入手の容易な)テショショクトリという石を用いた。
また喪心状態になった人や口が利けなくなった人、体内に熱がこもった人、吐き気がやまなかったり心臓が激しく打って止まらない人にもその口に含ませる石があった。同じ石を丸玉に加工して手首につけることもあった。これはチャルチウィテのような緑色に白色の混ざった石で、シワトモテトルと呼ばれ、美しく、かつ磨きやすかったという。 

私の考えでは、これらは種類は違っても同じような草緑色を持ち、その発する効果(生気の授与)も基本的に同じと信じられていたに違いない(供香に高価な伽羅を使うか沈香を使うか、あるいは白檀を使うかといった違いはあっても、期待する効果は同じであるように)。そして、こうした信仰を担った一群の、鉱物種の異なる緑色の石をジェードと総称するのが、古典期以降のメソアメリカ文明圏(マヤ〜アステカ文明圏)に相応しい言葉遣いではなかろうか。
そもそもジェードの語は、初期のスペイン人征服者たちが身をもって経験したわき腹の痛みに発する死病に対するお守り石に、生き残った帰欧者たちが与えた名称だったと思しい。cf. チャルチウィトル-軟玉
ただアステカ人の信仰にかかる緑色の薬石を、オルメカ人もまた使っていたかどうかはちっとも確証がないのではないか。後者が緑色でなく青色(オルメカ・ブルー)の石器材を好んだとすればなおさらである。

死出に赴く人々の口に(死の前に)石を含ませた習俗は、古代中国の含玉の風習を想わせる(cf. 軟玉の話2)。パレンケ遺跡から発見されたパカル王(8C頃)の遺骸は玉を含んでいたから、メソアメリカではこの作法がアステカ時代まで 800年以上の間(あるいはもっと以前から)続いたのかもしれない。cf. No.924
含玉は中国では 2-3C頃に廃れたとみられるが、一方玉(粉)食の風は仙術の流行とともに一層盛んになって唐代に続いた。中国の文化を採り入れた日本では古墳時代から 7C大化の頃まで含玉の礼が続いていた。cf. No.490
太平洋の東西で同じ時期に同じような葬礼が行なわれたことは興味深い。ただし海の西では白色のネフライト(中国)や真珠(日本)が、東(メソアメリカ)では緑色のジェードが用いられた。色彩に喚起される感覚/効能は両者の間で違いがあったと思しい。

画像はグアテマラ・モタグア谷産の淡緑色のジェーダイトで、その爽やかな色合いからミント Mint と愛称されるもの。98年のハリケーン・ミッチ来襲以前には知られていなかったタイプで、来襲以降、地場のジェード・ショップに見られるようになった。
この標本は転石と思しいが、比較的ごつごつした角の取りきれない形状を残し、表面の酸化鉄の皮膜は薄い。川を流れてあまり歳月を経ずに浚い上げられたのだろう。