1013.水晶 シート状聚形1 Quartz Aggrigate (ブラジル産) |
水晶が脈状に生じている熱水性の産状と思しい標本は、たいてい白濁した脈床の上に多数の自形結晶が思い思いの方向を目指して突出したり、寝そべっていたりする。脈床の部分は水分や気体成分を多分に取り込んで構造の乱れた多結晶質(あるいは非晶質)の微小粒子が集まったものか、あるいはごく緩やかな統合性に支えられた(亜)単結晶質のシートになっているのだろう。
そうした微粒質の苗床から無数の小さな(肉眼的)自形結晶が芽吹き、いくつかの結晶は周囲に比べて随分と大きく育っている。時に周囲を圧するサイズの結晶も見られる。おそらくその根元(フットプリント)付近には、元は方向の揃わないマイクロ結晶が夥しく存在したはずで、いつしか統合されて一つの秩序にまとまり、単結晶の外見を持つに至った、と推測していいのではないか。
その秩序はどのような法則に拠ってもたらされたのだろうか。集合体の最大公約数的な傾向に従った結果だろうか。ただ偶然によって現れた(いわばサイコロを振って出た目のような)ランダムな結果に過ぎないのだろうか。
現れた「単結晶」は、元のマイクロ結晶群が具えていた他の方向性をすっかり失ってしまったのか。あるいは遺伝子のように潜在的に性質を引き継いでおり、何かのきっかけで先祖返りを起こして「単結晶」とは別の方向に向かう(次世代の)枝を生やすこともあるのだろうか。
もし脈床から育った大きな「単結晶」を生物(人間)の頭部に擬えてよいとしたら、錐面のあたりは、進化した(あるいは分化の進んだ−結晶度の高い)比較的あたらしい大脳皮質であろう。而して内部・下部にはより古い、より本能的な性格を持つ小脳があり、脈床付近の底部に始源的な性格の脳幹が包み込まれているだろう。分化の進んだ外部・上部は一つの秩序でまとまっているのだが、奥底の領域にはどのような方向にも成長する可能性を潜めた未分化の元型・生命の原形が横たわっていると言えないだろうか。
人の心に喩えれば、外部・上部は一つの秩序の下に統合され、個体として自らを認識する顕在意識(結晶化した精神)であろう。しかし内部・下部には正体のあいまいな潜在意識が隠れている。深部・底部に進むほどその性格は不明瞭になり、個人の意識から群体的・集合的な性質に遷ってゆく。脈床付近は集合無意識であり、そこで一個の単結晶はほかの無数の(あらゆる可能性を具えた)同胞と繋がっている。…。
さて、脈床はふつう、き裂状の空隙をなす母岩の脈壁に析出・沈殿して付着層を作るのが始めと思われる。が、時に脈床が脈壁から外れて空中に浮いたように見える標本や、脈床自体が空間を架橋して形成されたように見える標本がある。そう見えるだけで自然の(in
situ)状態では空間に粘土質・半流動性の物質が詰まっており、その上に載って脈床が形成された可能性もあるのだが、ともあれこのタイプの脈床には上面下面ともに自形結晶が発達して見られる。(自然状態では左面右面であったかもしれない。)
各結晶の柱軸方向は上下で揃っている場合と異なっている場合とがあるが(というのが私の観察だが)、基本は脈床の片側だけに成長する場合と同じで、各結晶の方向は必ずしも揃っていないし、脈床の見かけ上の法線方向に伸びているとも限らない。
結果として傾向性はいくらか看取されるけれども、全体を律するほどの支配性は認められない。そういう緩やかな、言わば混沌と整然のあわいを辿るような成長経過が観察されるのが普通である。
画像は脈床の両側に成長領域を持つ群晶標本。おおむかし、イダーオバーシュタインの水晶専門店で見つけた一目惚れ品である。もちろん今でも好き。長い年月が経ったが、どういう風に成長したものなのか、今でもあれこれ想像を巡らせて飽きない。
小さな結晶を星々のように無数に散りばめた標本は、それひとつで宇宙に匹敵する拡がりを持つ。私たちの意識がそうであるように。
補記: 「太陽の東 月の西へは いつだって歩いていける なぜなら無限であるわたしたちの意識の拡がりの中は それ以上に遠いとこへだって行けるから」(野田幹子 セカンドアルバムから) cf. ひま話 明治屋の嗜好 旅のひとコマ No.447