1012.黄水晶(シトリン・複合形) Citrine complex (モロッコ産)

 

 

 

黄水晶 (シトリン)・複合形 −モロッコ、アトラス山脈産
(紫外線で橙色蛍光する)

主となる概形は柱軸が上下に伸びる単晶形と
左右(やや左下がり)に伸びる単晶形の
組合わせで、交差角は約84度。
しかしその他にも別の交差角で交わる副晶形が
複数あり、主晶形自体も揺らいでみえる。

上の画像の裏側の面 やはりさまざまな角度で
交差する結晶面が現れている。
(こちら側では主概形は90度で交差するように見える。)

比較的大きな副晶形は
上下方向の主概形から約24度傾いている

ひとつ上の画像の比較的大きな副晶形。
その下に別の角度で交わる副晶形の錐面がみえる。

 

 

私たちが姿形のよく整った「単結晶形」標本を眺めるとき、自ずと脳裏に浮かんでくるのは、その結晶がきわめて純粋なものに違いないという観念である。
初め極微の単結晶の核が、無から有が生じるように生じた。その周りに秩序を共にする極微の要素が集まって定着していった。結晶は安定した環境に守られてゆっくりと歪みなく成長を続け、ついに今見る通りの「単結晶」に育ったのだ、と想像される。

ある程度まで(あるいはある程度の確率で)真実であろう。しかしそのようなプロセスの存在、持続はむしろ不自然な、特殊な出来事ではあるまいか。これを理想とすれば、揺らぎや乱れが、錯誤や干渉や汚染やが起こり続けるのが、現実の自然ではないか。私たちの人生がそうであるように。
喩えれば、私たちの心が表面上は一個の意識によって統合されているかに感覚されながら、内奥に異性・異質の、無量のコンプレックスを潜めているように、あたかも単一に見える結晶は、実は表面から窺い知れないさまざまな異性質体が複合的に絡まり合うことで成立しており、ただ概形として一つの秩序を、ペルソナを仮装しているのではなかろうか。

一方、例えば No.956No.955に見るような放射集合形の標本を眺めるとき、私たちはその起源として多結晶の核を想定する。初めから今見るすべての放射要素を含んでいたのか、あるいは次第に要素を増していったのか(減らしていったのか)、いずれにせよ一個の中心点、もしくは一本の心糸から多数の単結晶形が対称的に放散して成長していった姿が想像される。その造形はおそらく結晶構造に支配されるというより、空間的・幾何学的な条件で成長プロセスが制御された、(ランダムな)等方位現象ではないか。放射輪球状の結晶集合体は、凡そあらゆる鉱物種を跨って類例を見出せる。

さて、単結晶形が単結晶であるという想像はひとつの極端である。天然の水晶であれば、単結晶形であってもドフィーネ式やブラジル式やの双晶要素を含まないものはむしろ少数であることは既に述べてきた通りだ。cf. No.972 以降
また、放射集合形はつねに幾何学条件で定まる多結晶体だと想像するのも、ひとつの極端であろう。例えば雪印形の水の結晶のように。例えば No.442(リボン状束沸石)や No.723(鞍形苦灰石)の湾曲面が双晶や連晶の要素を含んで成立するように。
鉱物の組成は純粋な端成分であること自体が珍しく、別の元素の置換や介入による構造の歪み・欠陥を持たないことも普通はありえない(cf. No.953)。そもそも構造の歪みこそが成長を促進する駆動力であり、歪みが累積すると外形の湾曲やねじれを生じうるし、亜平行な等価結晶面が連続して現れて、多結晶的な外観をもたらすこともありえるのだ。マクロモザイク構造もありうる。

あるいはまたこうも思われる。弦楽器を弾けば基音をベースにさまざまな倍音が生じて音色を豊かにするように、元素や化合物がさまざまな電子殻(軌道)を持ちエネルギー的にいくつかの準安定状態を持つように、結晶構造は準安定状態を含めて、多様な、しかし確率的に有意ないくつかの選択的配置(いわば共鳴的配置)を持つのではないか。双晶は明らかにその一種である。同様に多結晶集合体にも選択的に生じやすい結合の仕方があるかもしれない。

画像の標本はシトリンと標識されて出回っているモロッコ産の水晶。宝石的なレモン色でないのでシトリンと呼ぶのが相応しいと思えないが、そう呼ぶ方が売れるのではあろう。
この標本の面白いのは、多結晶体のような、双晶体のような、さまざまな角度に放散する結晶面が組み合わさった複合形状を持つことである。各晶体は幾分傾いてクロスする二つの主概形を基調にまとまっており、その主概形のうちにも亜平行の連晶面が分散する。そしてある程度のサイズに成長した副晶体が、さまざまな角度に放散して現れているのが観察できる。
こういう標本を見ると、自然界には単結晶があり、ランダムな(結晶構造の影響を受けない)多結晶があり、そしてその中間に構造的な影響を緩やかに及ぼし合う複合晶や双晶やがあるのだろうと考えないわけにいかない。
現実の世界はたいてい両極端の合間に、天と地のどこか中間に息づくものである。

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