1014.水晶 シート状聚形2 Quartz Aggrigate 2 (インド産) |
インドといえば、西欧人には昔から(伝説の時代から)熱暑の国と聞こえていた。インド人にとってももちろん暑い国である。南部のチェンナイ(マドラス)などは年間の気候が「ホット・ホッター・ホッテスト」と表現されて、片時も涼しい時がない。そういう土地で暮らしていれば冷涼な気候への憧れはひときわ強かろう。高原や山岳地帯の谷間の町、冠雪したヒマラヤ連山を望む麓町はインド人の理想郷のイメージを担う。
ダージリン、シムラー、ムスリーといった北インドの著名な避暑地はイギリス統治時代に開発されたが、今なお西欧人にもインド人にも人気の観光スポットである。旅行ガイド(日本人向けの)を開くと、カシミール地方のスリガナル(シュリナガール)やその先のラダック地方レー(小チベットといわれる)、ガンジス河上流の神仙の町リシュケシュ(ヒンドゥー教の聖地で多数の修行場がある)なども一種の宗教的・精神的背景と共に紹介されている。
スリナガルはインド人のハネムーンのメッカで、湖上に浮かぶホテル(ハウスボート)に滞在して優雅にリゾート気分にひたるらしい。デリーからバスで向かうと、直行便でほぼ
20時間の旅。スリナガルからレーへはさらに 20時間の(悪路を往く)旅である。私も秘境への憧れと共に、いつかこれらの町を旅する夢を持っていたことがあるが、まあ、もし行くとしたら多分飛行機で飛んでしまうだろうと思う。
私がもう一つ気になっている避暑地がある。ヒマーチャル・プラデシュ州のクル渓谷にあるマナリ。約めてクル・マナリ。デリーからスリナガルへ向かうバスの経由地で約
10時間の行程にある。ここもインド人のハネムーン先の定番で、美しい谷間の町だそうだ。今、ネット情報を見ると「バックパッカーの聖地」とあるが、バックパッカーとは山岳を渡るトレッカーのことではなくて、放浪(貧乏旅行)志願の若者たち(昔のヒッピー)のことらしい。クル渓谷は大麻の自生地で、良質の大麻薬が公然と手に入るようだ。
マナリは「マヌのいる場所」の意で、ヒンドゥー教の伝説に、世界に洪水が満ちて人類が滅んだとき、創造神マヌは水が引いた後にマナリで船を下りて人間を再創造したと語られている。人類再誕の地なのだ。マナリの標高は
2,050m、ヒマラヤ杉が聳え緑の草原が広がる。北に40km
のロータン峠は高山植物のお花畑で、かのヒマラヤの青いケシも見られるという。 クル渓谷には「神々の谷」の雅称がある。
さて、話を鉱物に引き寄せると、水晶はパワーストーン・ブームに火をつけた最初の石だったが、90年代には細分化が進んで、さまざまなバリエーションが語られるようになっていた(例えばJ.A.ダウやK.ラファエルの著書参照)。またその産地を踏まえて品質や効能の紹介がなされるようになった。常に由緒を大切にする日本では、殊にネパール・ヒマラヤで採れた「ガネーシュ・ヒマール」が神聖視されているが、クル渓谷産もまた神々の恩寵豊かな水晶として語られる。
もっともクル渓谷に主だった産地はなく、周辺の山岳・渓谷に採れたものが神々の谷、クル渓谷の名を冠したブランド品として流通するのだ、とも言うが…。その説に拠れば、実際の産地はクル渓谷の東側のパールバティ渓谷(マニカラン村)やガルサ渓谷(マニハール村、パルギ村)、サインジ渓谷、バシール山といった地名の土地(のどこか)に属するという。
画像の標本はクル渓谷(マニカラン)産と標識されたもの。マニカランはヒンドゥー教の主神のひとり破壊神シヴァの妻で慈愛の女神パールヴァティの名におう谷間にある村で、標高
1,700m、硫黄の匂いに満ちた温泉地にして信仰の聖地といい、周辺で採れた水晶がこの地で集散されるものらしい。日本でいうと山梨県黒平温泉のようなところか(するとクル渓谷は御岳(みたけ)にあたるか
cf. No.928)。
ヒンドゥー教徒でもない文明の徒が、徒にかの女神の功徳を期待するのは筋違いな気がするが、マニカラン水晶は女神の慈愛と加護とを誰にでももたらしてくれる霊験あらたかな水晶なのであるらしい。
山岳の冷気や霊気をひとは神と観じ、身体の健康にも精神の純化にも結びつけてイメージするのが、万国共通の習いとみえる。
この標本は発達したシート状の脈の両面に無数の水晶が生えているもので、No.1013の脈状標本との比較で紹介する。
極薄いシートの両面にある微小な水晶は比較的上下で方向が揃っているが、厚いシート層を挟んだ水晶は片側だけみても柱軸の方向はランダムとしか思われず、どんな秩序を見出せばいいのか全然分からない。それでもやはり何らかの法則の下に現れ成長して、今ある形に進んだのでありましょう。
補記: No.988の2番目の標本は、インクルージョンのタイプや産状がよく似ていて、おそらく同じ産地のものと思われる。
補記2:女神パールヴァティは、ヒマラヤ山脈の山神ヒマヴァットの娘。ガンジス河の女神ガンガーの姉。象神ガネーシャの母。シヴァ神の最初の妻サティーの転生ともいう。仏教では大自在天(シヴァ)妃、波羅和底。山の神(妻)らしく、怒ると人格が変わってドゥルガーになるという。