| 1056.アメトリン Ametrine with c, 'π, ξ faces (ボリビア産) |




紫水晶(アメシスト)と黄水晶(シトリン)の両方の色を持つ宝石アメトリンは、近年すっかり知名の宝石となっている。一つの水晶の結晶にさまざまな色/濃淡のゾーンが含まれることは古くから知られて、例えば煙水晶と紫水晶の着色要因を考察した E.F.ホールデンの論文(AM誌 Vol.9 /1925)には、紫水晶の着色部はほぼ必ずゾーンを形成しており、菱面体面に平衡な微細なラメラ(薄層)になっているか、あるいは柱軸に垂直に輪切りにした時に現れるタイプの分画(※プロペラ模様またはモザイク状)をなすかのいずれかだとしている。後者の紫色でないゾーンは無色・黄色・煙色だと述べ、このうち黄色ゾーンとの組合せがアメトリンなわけだが、しかし宝石として国際市場で注目されるようになったのは比較的遅く、1970年代のことだった。
南アメリカのブラジル・ウルグアイ・ボリビアのどこか国境付近あたりから原石の流通が始まったが産地は不詳で、当初は純粋な天然産が疑われ、人工処理か合成であろうとの説が説得力を持っていた。人気の高まりとともに流通価格は上昇していったが、1981年に天然または合成紫水晶の熱処理によってアメトリンが作り出せるとの実験結果が報告されると価格暴落が起こった。また優れた水晶合成技術を持っていたソ連では 60年代頃からアメトリンの量産技術が研究されていたといい、実際 94年に新生ロシアが量産を始めている。
とはいえ 70年代に現れたアメトリンはブラジルとの国境に近いボリビアの鉱山に産するもので、その着色も天然由来であることがその後の成り行きから分かっている。実は鉱山のある地域は当時のボリビア政府が民間の資源開発を禁じていた保護区であり、一方ブラジル政府は国内の宝石産業/鉱山の保護政策として国外からの原石輸入を禁じていたことから、違法採掘品が密輸されて国際市場に出回っていたのだった。その後
1989年にボリビア政府が開発を認め、ブラジル政府も原石輸入を解禁したことから公けなアナウンスが可能になった。同年この宝石鉱山の採掘権を取得した
M&M社による民間経営が翌 90年から始まり、以降は積極的な情報開示によるイメージ回復が図られて、アメトリンは再び人気のある宝石となっていったのだった。
宝石専門誌 G&Gの1994年春号は「ボリビアのアナエ・アメトリン鉱山」特集を組んで宣伝に一役を買った。2009年春号にも
GIAスタッフによる前年の鉱山訪問記事が載っている。
鉱山は Anai と呼ばれる。G&G誌によると発音は a-na-e:
アナエだが、日本人にはアナイと聞こえるようだ。17世紀頃、ボリビアの平原湿地帯(グラン・チャコ)にアヨレオ族が居住していたが、スペインのコンキスタドール(征服者)がやってくると、族長は娘を嫁がせて和を結んだ。アナエはその姫君の名で、この時アメトリンを産する鉱山が譲渡されたという由緒が語られる。婚姻の際に女性側の親が持参金として資産を婿に贈る風習はスペイン始め欧州の資産階級では比較的ポピュラーだったが、南米先住民に元来その文化があったのかどうか、私としては少し脚色が入っているのではないかと思う(同様の美化された収奪記録はスペインによるアステカ帝国攻略史にも見られるのであるが)。
しかし宝石イメージの形成にこうした縁起は悪いものでない。ちょうど糸魚川のヒスイを巡って、越の奴奈川姫と出雲の大国主命とのロマンスが、まことしやかに語られているように。
その後、この地域の鉱脈が先住民や宣教師らの指図で散発的に採掘されてきたとされるが、本格的な稼働はやはり
20世紀後半の宝石原石ブームが南米に起こって以降のことである。
鉱床はドロマイト質石灰岩の丘陵地帯の北麓にあり、広域断層帯の一部に含まれる。この石灰岩は厚さ 500mに及ぶ炭酸塩岩層として形成され、浸入してきた熱水による変質作用と珪化作用とを受けて、ドロマイトへの交代部と石英の沈殿・晶出部を作ったとみられる。鉱化帯には鉄酸化物や白色雲母様の細粒の粘土物質も含まれる。石灰岩層は急激な熱水の浸食を受けて、一部は溶解し、一部は爆発的に破砕されて角礫化したとされ、その際の急激な減圧によって炭酸ガスの抜けた熱水は沸騰し、蒸気層と液体層とを共に含む石英(水晶)が晶出したと考えられる。急速な沈殿の後、熱水中の珪酸飽和度が低くなってからは晶出が緩やかになり、比較的大きな結晶を生成したらしい。
アナイ鉱山は開発初期には地表付近に豊富にアメトリンがあったため、露天掘りで採掘されていたが、90年代には坑道掘りが主体となっていた。2008年の訪問記事では
74名の従業員(多くはポトシ出身の先祖代々の鉱夫)が働き、5つの坑道で操業していた。坑道は地下80mまで延びている。
年間120トンの石英が掘り出され、2.5〜3トンの宝石原石が採集された。その
3分の1(33%)がアメトリンで、ほか44%がアメシスト、残り23%がシトリンだった。以前には紫と黄色を共に含む部分だけを宝石原石としていたが、それでは歩留まりが悪いので、純粋なアメシストやシトリンの部分も原石として市場を開拓したのだ。アメシストは淡色のものに人気があり、ボリビアではアナヒータの名で呼ばれる。アメトリンはボリビアニータ(ボリビアナイト)の名があり、永遠の愛を証すのだそうな。
アナイ鉱山は熱帯雨林地域にあり、アクセスはかなり困難だそうだが、リンクしている
"Diamond Holiday"の石野田さんらは鉱山主ラミーロ・リベロ氏の快諾を受けて
2018年に現地を訪問され、アメトリンの巨晶が眠る坑道に潜り込まれている。日本人初の訪問者だったらしい。サイトのコラム欄に紀行があり、美麗写真が沢山拝めるので、閲覧をお勧めしたい。サンタクルスから国境の町プエルトスアレスまで夜行バスで10時間、そこからチャーター車で
5時間かけて鉱山に辿り着かれている。ワーカー体験の後で飲まれたタマリンドのドリンクというのが気になってたまりんど。
それとブロック形にラフ研磨品されたハイグレードのアメトリンの写真を見ると、まさにオーラソーマのNo.18バランスボトルだなあと思う。(プロペラ模様のゾーンを持つものは「ミクスタ」と呼ぶらしい。)
さて、石野田さんらの紀行写真には結晶面(主に錐面/菱面体面)のよく整った巨晶が多くみられるが、G&G誌1994年春号には、激しい溶食を受けた遊離結晶が、それまでに2つの晶洞から見つかっているとある。結晶は赤色の粘土中にあり、柱面はほとんど原形を留めず、一方錘面は頭頂部を除いて残存していたものの、柱軸に45度の食孔が生じていた。頭頂部は例外なく溶けて(霜降り状の)平たいC面を生じ、またかなり低角度の錘面も生じていた。晶洞はどちらも鉱化帯の中央付近に位置し、おそらく熱水の流通が晩期まで維持された領域であり、珪酸分について熱水が非飽和になった時期に晶出していた水晶を溶食したと推測される。
このページの標本はこのテの溶食結晶で、G&G誌の描写がよくあてはまる。頭頂部に柱軸に垂直な c面があり、z面(負菱面体面)の上部の稜線(r面とr面の間の境界線)が面化して 'πに相当する面となっている。これは
No.1055のフォーピークス産と共通する特徴だ。ただ面の幅が比較的広く、よく観察すると両側の錘面に対する傾斜は等分でなく、少し一方に傾いているようである。
またNo.1055の標本になく、G&G誌に指摘のない溶食面として、'π面の対面側に、r面とz面の間の境界をなす稜線が面化したと思しい疑似ξ(クシー)面[(1
1 2 2)面]が生じてもいる。これは錘面と同じ傾斜角を持つ。隣合う錘面に対する傾斜は等分になるのが理屈だが、この標本では先の疑似
'π面と同様、少し一方に傾いているようだ。
アメトリンの紫色と黄色の分布には法則性があり、紫色の領域は
r面(正菱面体面)に属し、ほぼつねにブラジル式双晶となっている(ブリュースターフリンジが観察出来る)。
cf. No.985
黄色の領域は z面に属し、ふつうブラジル式双晶はみられない。黄色の領域は紫色領域より鉄分や
OH基(水分)を多く含んでいるという。
cf. No.970 (人為的な腐食によって生じる食像と結晶形態) 錘面の食孔 市川新松博士の観察した食像の図版
補記:アナイ鉱山産のシトリンは天然の発色で、比較的珍しいものだ。現在、商業的に採掘されているシトリンにはマラバ(マデイラ)産(金色〜橙黄色)やリオ・グランデ・ド・スール産、ウルグアイ産(黄色〜橙〜橙茶色)があるが、いずれも熱処理によってその色を得ている。
補記2:アメトリン Ametrine の名は Amethyst の前半 Amet と
Citrine の後半 trine とを t
を重ねて並べた造語と思しい。紫水晶が前にくる。一方
黄水晶が前に来る造語もあって、 Citrine + Amethystine から
Trystine
トリスティンとも呼ばれる。アメシスティンは近山博士の宝石宝飾大事典によると、「赤紫ないし赤紫色の色としての名称的意味をもち、いろいろに使われる。アメシスティン・クオーツといえば、いわゆるアメシスト・クオーツ、和名の紫石英のことであり、云々」と説明されている。
ボリビアナイト Bolivianite の名は近年、ダンダス島産のアトランティサイトに似たボリビア産の貴石(蛍石を含むらしい)を指す語としても用いられている。アメトリン以前には黄錫鉱
Stannite
もそう呼ばれていた。単に「ボリビア産の石」ほどのニュアンスか。