79.変彩金緑石  Alexandrite   (ロシア産)

 

 

 

 

クリソベリル −ロシア、ウラル産

クリソベリル(変彩しないタイプ) 半透過撮影 −ロシア、ウラル産
alexandrite
アレキサンドライト(金緑石の一種)  半透過撮影
上の画像:高演色LED灯下/下の画像:白熱灯下
−ロシア、ウラル産

 

ロシアのウラル山脈に、雲母片岩で出来た地層があって、その中から緑色の石が採れる。多くは、六角柱状のエメラルドであるが、ときに写真のような錘状の金緑石が見つかることがある。かつて鉱山仕事に疲れた鉱夫が、夜、小屋の中で、慰みに石を弄んでいたとき、この石は、彼のつらい心を映すかのように、ろうそくの光を受けて暗く赤く染まってみえた。こうして、色変わりする宝石、アレキサンドル石は見出された。以来、この珍しい変種は、ろうそくの光によって真贋を確かめるということになっている。

下に2点の写真を掲げる。左が昼光下で撮影したもの、右は白熱灯の光で撮影したものである。せわしない現代では、ろうそくのほのかな光は、明るい電気の光に変わってしまった。白熱灯でも、十分に色変わりが楽しめるので困ることはない。それでも石を楽しむほどの人ならば、ときには暗がりの中で、石とろうそくと自分とで、生まれるより前の古い時代を、遥かに偲んでみるのもいいではないか。

cf. No.189No.879 ウラルのエメラルド

補記:「…ウラルのイズムルド鉱山でほとんど独占的に産出するこの石は、昼間は暗緑色に、白熱灯やローソクやマッチの火でみると濃いマルーン色に燃え上がり、直射日光では青緑色のニュアンスを持つ優美なすみれ色に感じられる。」「レスコフの小説の中に、『アレクサンドル石の中は、朝は緑、夜は青であった』とある」(フェルスマン「おもしろい鉱物学」(邦訳P.155)
中国ではかつて紅翠玉と訳された。アレクサンドライトの名は N.ノルデンショルドの命名による(1842)。イズムルドはエメラルドのロシア語名。

補記2:松村みね子「草団子」(大正2年)に、「ウラル石」の指環がでてくる。
明治を生きた老女たちが寄り合って懐旧のひとときを過ごしている。ひとりの老女は昔家にいた書生がせっぱ詰まったというので、指環を買うためにとってあったお金を貸した。書生はそのまま何処かへ行って二十何年たった。男は満州やロシアで働いて今は相応な商人になって、先だって訪ねてくると指環を差し出し、一日でも嵌めてくれというので嵌めて歩いているのだという。
鉱物趣味の世界では、 ウラル石 Uralite は「透閃石を緑閃石が置換した塊状結晶(仮晶)」である(cf.No.326)。しかしそれが明治期の良家の女性たちが語る「ウラル石」だろうか。「彼の広い広い雪国の淋しい空の北から南に果てしなく続いている長い山脈の何処かから採ったものであろう。強い淋しい沈んだ光りは見る人の心に透るように見える」、というその石は。私はむしろ、ウラル金緑石(アレキサンドライト)ではないかと考えてみたいのだが。

追記:本文のエピソードは史実を辿ると随分端折ったものである。またアレキサンドライトの名の由来は、この変色石の赤色と緑色とが帝政ロシアのシンボル色(ロシア軍の軍隊色)だったことからロシアを象徴する宝石とされて時の皇帝アレクサンドル二世に献名されたとか、1830年(1831年)のロシア天長節当日にトコワヤのエメラルド鉱山で初めて発見されたことを記念したとか俗説されるが、これも端折ったお話である。そもそも1830年代の皇帝はニコライ一世(1796-1855:在位 1825-1855)で、その第一皇子アレクサンドル二世(1818-1881)が帝位についたのは 1855年のことである。発見年は 1834年とも言われる。ある宝石書は、この石が発見された 1834年4月17日(ユリウス暦)は将来のロシア皇帝アレクサンドルの成年式の当日(16歳の誕生日)だったとしている。しかし本当にこの日に発見されたのかどうかは分からない。

文献によってニュアンスは少しずつ異なるのだが、大枠を辿ってみると、この宝石が 1830年代にウラル地方で発見されたことは確からしい。エメラルド鉱山で採集された緑色の石はロシア貴族レフ・アレクセイビッチ・ペロブスキー伯(1792-1856)に送られ、鉱物学者ニルス・グスタフ・ノルデンショルド(1792- 1866)に鑑定が委ねられた。ノルデンショルドは最初、エメラルドと判断したが、普通のエメラルドよりも硬度が高いことから、もう少し調べてみることにした。そしてある夜、標本をろうそくの灯火の下で眺めると、ラズベリーのような赤色に見えたので大いに驚いたという。その後、礬土とベリリウム土(ベリリウムとアルミニウムの酸化物)の化合物クリソベリルの亜種と確定した。Wiki(英語版)を見ると、彼は二つの色を持つ意でディアフェナイト Diaphanite と呼んだ、と載っているが、Dana 6th その他の鉱物書を参照すると Diaphanite (Diphanite の誤綴)は1846年に Margarite の一種に彼が与えた名と記されている。ちなみに N. ノルデンショルドが変彩クリソベリルにアレキサンドライトの名を示した最初の記録は1842年の刊行物である。
一方、ペロブスキー伯はロシア帝室との親交を深めるためにこの宝石を贈り物とした。
この先は推測だけれども、アレキサンドライトが発見されたのはアレクサンドル二世の成人式より以前のことで、ペロブスキー伯が縁起を立てて、成人式の日にロシアを象徴する新しい宝石が見つかった、未来の皇帝陛下の下でのロシアの繁栄を約束する吉兆であると寿いだのであろう。そして後に許しを得てアレキサンドライトと呼ばれることになったと思われる。 (2019.9.7)

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