879.フェナス石2 Phenakite (ミャンマー産) |
18世紀初の帝政ロシアの台頭についてロシア帝国の成立とウラル鉱工業の始まりに記したが、これを物質的に支えたのはウラル鉱産資源の開発だった。ウラル山脈の東斜面には鉄、銅、金などの金属鉱石に加えて、さまざまな宝石・貴石の類が出た(上掲リンクページの補記1参照)。エカテリーナ治世下の18世紀後半にはロシア産の石材を装飾用に加工する帝国ラピダリー工場が開かれ、ロシアは宝貴石細工を有力な物産品に数える(孔雀石の話2 補記2)。エカテリンブルクの工場では大理石やメノウ、碧玉、トパーズ等が扱われた。
そして 1830年の10月、タコワヤ川の土手沿いの道で、一人の炭焼き農奴が倒木の根に絡まっていた緑色の石を拾い上げた。名高いウラル・エメラルドの事始めである(No.189)。翌1831年には雲母片岩を母岩とする初生鉱床が発見された。採掘はごく素朴な手法で行われた。川沿いの斜面を掘り崩して溝を作り、あるいは露天掘り穴を穿ち、掘り崩した雲母土砂をトコワヤ川の水で洗って選鉱するのである。春から夏、秋にかけてが採掘シーズンで、長い冬場は極寒のため川が氷結し、また山腹から滑り落ちてくる雪のために採集は事実上不可能だった。
時の皇帝ニコライ一世は、エカテリンブルク工場で入手した宝石のうち最高品質のものは仕上げ加工の後にサンクト・ペテルブルクに送るべしと通達してあった。ところがどういうわけか、直接ドイツに送り出されて、ある皇太子に売られた特級エメラルドのコレクションがあったらしい。いくつかが皇太子妃の身装品にしつらえられ、彼女はこれを身につけてサンクト・ペテルブルクの宮殿を訪問した。ロシア皇后が宝石に感嘆してみせると、皇太子妃は「あら、これはお国のシベリアで採れたものですのよ」と応えたものである。
驚いた皇后がエカテリンブルクの工場監督の居宅を調べさせると、高品質のエメラルドがいくつも隠されていた。監督は投獄された。
トコワヤのエメラルド鉱山は他にもさまざまな宝貴石を産出した。アレキサンドライトはその一つで、伝説には若き皇太子アレクサンドルの成年式の日(1834年)に発見されたとされる(cf. No.79 追記)。最良のアレキサンドライトは「昼間はエメラルドの色、夜は紫水晶の色」と言われた。アクアマリン、フェナサイト(フェナカイト、フェナス石)、蛍石、燐灰石なども出した。
フェナサイトはこの鉱山で初めて発見された鉱物で、無色透明な結晶は水晶にそっくりだった。実際最初は水晶と思われていたが、ありえない形の貫入双晶が気づかれて、別モノと分かった。1833年、ニルス・グスタフ・ノルデンショルドによって記載された(彼はアレキサンドライトの記載者でもある)。No.548に書いたが、水晶(やトパーズ)に似ていることから「欺く」の意で
Phenakite と命名された。
硬度も屈折率も高いので宝石向きだが、カットされることはあまりない。ロシアではトコワヤのほか、イルメニ山地の花崗岩ペグマタイトにトパーズやアマゾナイトと共に産したので、頻りに宝飾品に用いられたが、ほかの欧米諸国では人気が出なかった。無色宝石市場では、軍配はやはりダイヤモンドに上がるのだ。
米国コロラド州のアンテロ山やコロラドスプリングス周辺、メーン州、ニューハンプシャー州に産地があり、ブラジルのミナス・ゼラエス州、ノルウェーのクラゲロ等も古くからの有名産地である。
画像はミャンマー産で、鉱物愛好家の目にはペイナイト狂騒曲の副次効果で市場に現れたレア・ジェムストーンの一つと映る。
とはいえ売り手から見ると、メインのお客さんは鉱物愛好家でなく、パワーストーン方面にあったかもしれない。従前ヘブン・アンド・アース社がモルダバイトに次いで、ブラジル産のフェナス石をダンブリ石、ヘルデル石、ペタル石、ゴールデン・ラブラドライト等と共に高次波動の石として扱っており、希産鉱物ながらあちら系の人々にはそれなりに知名度があったのである。
フェナサイトは「第三の眼」のチャクラに働きかける最高の石の一つだそうで、ストーンパワーに敏感でない普通の人でも波動を感じられるほどだという。オーラフィールドを瞬時に浄化し、高次領域の存在とのコミュニケーションの通路として用いることが出来るそうだ。
もっとも別のクリスタル・ヒーラー(ジェーンアン・ドゥ女史)は全然違う見解を述べていて、フェナカイトは霊体の石の中でもっとも精妙なもので、霊的エナジーと肉体的意識の間を橋渡しする(境界をぼやかす)としている。また、フェナカイトはあまり頻繁には選ばれない(クライアントが魅かれない)という。この石とワークする前に自身がクリアになっていなければならないからだ。
パワーはともかく、私はこの標本の美しい双晶パターンを見ているだけで幸せな気分になれる。こんな石って、ちょっとないぜ。
補記:ニルス・グスタフ・ノルデンショルド(1792-1866)はフィンランド(当時スウェーデン王国に属した)の南部マントサラに生まれ、ヘルシングフォルス(ヘルシンキ)で鉱物学を学んだ。フィンランドの鉱山査察官の職を得て、1819年にはロシア科学アカデミーの客員会員に選ばれた。その頃にはフィンランドはロシア領(自治権を持つ大公国)となっていたのである。彼はフィンランドやロシア産の新鉱物をいくつか報告している。1828年ヘルシンキに新設された鉱山局の局長に就き、終生その任に留まった。スカンジナビア圏外の科学誌にも多くの論文を投稿したので、ヨーロッパに広くその名を知られた。
彼が報告した鉱物にはアレキサンドライトやフェナサイトのほか、クリノクロアの亜種の菫泥石
kammererite (1841)がある。灰長石の変種の Amphodelite
(双晶産状の赤色石 1832)、錫石の変種でタンタルを含む
Ainalite (1855)、タンタル石に密接に関わる Adelpholite (サマルスキー石(Y)の変種
1855)、 シベリア産の青色燐灰石である Lazur-apatite (1857)
なども報告した。
鉱物学者で極地探検家として知られるアドルフ・エリク・ノルデンショルドの父。
補記2:ミャンマー、モゴック地方パレイニ鉱山産のフェナス石が欧米市場に出回り始めたのは2004年頃からとみられる。三連貫入双晶した六角柱状結晶で、頭部に金緑石に似たV字形の切れ込み(凹部)があり、「ドリルビット」に擬えられる。普通1〜2cmサイズで、稀に3cmに達するものがあるという。たいてい分離結晶だが、白色のペグマタイト母岩のついた標本もある。