919.ひすい輝石・石英 Jadeite/ Quartz (トルコ産)

 

 

 

Jadeite turkey

Turkiyenite Jadeite

Turkiyenite jadeite

ひすい輝石(淡ラベンダー色)、石英(白色母岩)、橙色は不明
 −トルコ、ブルサ南方60km、オルハネリ(マラサトラル)産

ひすい輝石(ラベンダー色/スラブ研磨片) −トルコ産

 

ブルサという地名は私には懐かしい響きである。
昔憧れのイスタンブールに行った時、そのまま海峡を越えてアナトリア半島側に渡りたくなった。お手軽なところでフェリーに乗り、その晩ブルサに泊まった。翌日には長距離バスでセルチュクに向かったのだが、ただ一泊がいつまでも思い出にある。
まるで知らなかった町の名を旅行ガイド本に尋ねたのは、午後の金色の陽光に輝くマルマラ海を往くフェリーの中で、緑濃き山地や丘陵に囲まれた「緑のブルサ」の名物の一つは降雪だと知った。女性の肌色の美しさを形容するトルコの表現に、「ブルサに降る雪のように白い」という麗句があると書いてあった。
3月上旬の暖かい日だったが、春先の気候は急変することが珍しくない。ブルサの雪が見られたらいいのにと思っていたら、果たして翌朝ホテルの窓を開けると向かいの建物の屋根に白く積もっていた…。

後に、神坂智子の「シルクロード 雪の朝」の中で、ある女性登場人物が「わたしの魂はブルサに降る雪のように 天からあなたをつつんであげる」と語るのに逢って、私は我が意を得たりと喜んだ。
今ネットで調べると、ブルサは 1326年にオスマン朝のオルハン=ベイが東ローマ帝国領から奪取して首都を置いた歴史的都市で、15世紀初まで行政の中心だった(※コンスタンティノープル(イスタンブール)の陥落は 1453年)。世界遺産に登録されている。地中海性気候ながら朝晩は夏でも非常に涼しい。近郊の高山ウルダー(2,543m)はスキーの名所だが、冬場の多量の降雪を雪室に保存しておき、マルマラ海を早船でイスタンブールに運ぶ雪交易商人が、17世紀にはすでに活躍していた。雪は年中都に供給されて、夏場には果汁や砂糖と混ぜてシロップ水(シェルベット)を作って涼をとったという。

さて(長い前置きで失礼)、ブルサの町から南へ60km ほどのブルサ県マラサトラル(オルハネリ)では 淡紫色〜濃紫色のジェードが何トンも採れた。1980年代から「トルコの紫ジェード」「アナトリアのジェード」あるいは「ターキーナイト」(Turkiyenite トルコの石)等の名で貴石市場に出回った。
ひすい輝石を40〜60%ほど含む岩石で、ほかの主要成分は石英という。比重は 3.0前後で、当然ながら一般的なひすい輝石(3.24-3.43)より低く、石英(2.65)より高い。あたりの地質はブルーシスト(青色片岩)に花崗閃緑岩が貫入した接触変成帯。石英と混在するひすい輝石は、ひすい輝石単独よりも高圧条件で生成すると考えられている(cf. No.492)。ところが産出は地表から数m程度の深さまでの範囲に限られるらしい。
共産鉱物にエジリンなどの輝石類、カリ長石ローソン石、少量のモナズ石、雲母(phengite)、風化で生じた絹雲母が挙げられる。赤橙色の辰砂の混在を指摘する報告もある。
上の画像は「紫ひすい」の産状がよく分かる標本で、白色半透明の石英塊を脈状に切って、「紫ひすい」が入っている。同時に橙色の細い脈が平行に走っている。私には何だか分からないが、よく見ると脈の走行と垂直の向きに細針状透明結晶が整列している。「紫ひすい(ひすい輝石+石英)」と(純粋な)石英との境界はきわめて明瞭で、どういう出来方をしたものか不思議である。下の標本は切断研磨片で、鮮やかなラベンダー色を見せる。石の模様も美しく、トルコ産ひすいの貴石としての実力がよく分かる。

この紫ひすいがいつ頃から知られていたかは、あまりはっきりしない。オスマン帝国の宮廷の装飾石材に用いられたという話があるが、裏付けがとれない。
R.カヴァーン著「ジェード」(1991)はジェード好きのバイブル本だが、p.280に1700年前後に製作されたらしい象嵌細工のイスラム玉器が2点掲載されている。キャプションにはそれぞれ緑色ネフライト、白色ネフライトとあるのだが、あるラピダリー商が「自分の目には『トルコの紫ジェード』と同質のものに見える」と指摘しているのをネット上に見つけた。そして私の目にもそう見える、と述べておきたい。ただしミャンマー産のラベンダーひすいのようにも見える(この時代にミャンマー産ひすいがイスラム圏に入っていたとしたら大きな驚きであるが)。
また p.279 の一点も私には濃紫色のジェードのように見える。光源の加減か?

この紫ジェードは何百年も前からブルサ商人の手でインスタンブールに運び込まれていたのかもしれない。

cf. 旅のひとコマ No.12、  グミョーシキ産孔雀石 補記(マルマラ海)

追記:陳舜臣が「シルクロード旅ノート」に書いている。「イスタンブールの南約百キロにあるブルサは、オスマン帝国の古都であるが、絹のまちとしても知られている。絹の道の絹のまちとして、ブルサはホータンとならんで、歴史のロマンの香りを放っているのである。」
シルクロードの東の端は中国(中原)にあり、西の端はローマにある。その間を繋いで繁栄した交易町として、陳氏はホータンとブルサをあげたが、どちらもが玉を産する土地であるのが私には興味深い。