454.ぶどう石4 Prehnite (マリ産) |
鉱物に限らず、種に人名をつける習慣は19世紀を通じて徐々に一般化してゆくが、長い間、博物学はまったくお金にならない仕事で、愛好家はもちろん学者方にとっても、功労に対するほとんど唯一の見返りが種に名を留めることだった。それでこのやり方は大方の支持ないし容認を得ていた。
博物学を志す者で、新種を発見し、自らの名をその学名に織り込みたいと夢見ない者はなかった。
現在、鉱物の分野では、記載者名をその新種に付さないことが「不文律」だそうだが、なぜそうなったのだろうか。学問の職業化・専門化と関係がありそうな気もするし、品格や節度の問題という説もあるが、知って面白い話ではなさそうで、不文律はやはり言葉にしないのが花かもしれない。
私は長いこと記載者名ではなく、発見者名をつけないことになっているのだと思っていたが、落ち着いて考えると、現実に記載者が新鉱物の発見にかかわった(その定義は本質的にかなりあいまいなのであるが)人物名をつけた事例は枚挙に暇がないように思われる。ちなみに「楽しい鉱物学」には「自分が発見した鉱物に自分の名前を使わないことが、不文律になっている」とある。味わいある表現だ。 cf.
ゼニックス石、ペツォッタ石、ブラジル石
画像の標本。2,3年前に市場にお目見えし、今や押しも押されぬ定番品となったマリ産。美しいりんご緑色で、エピドット(緑簾石)と共産するナイス・コンビ。その形はマリ産だけに毬状〜♪。
補記1:帝国主義の時代、新たに開発した植民地や支配地の物産を本国に報告したり、博物学的標本を採集して送り出すのは、赴任した役人たちの重要な任務であった。プレーン大佐がぶどう石を採ったのは、だから遊んでいたわけではない。お仕事、お仕事。
彼がオランダ植民地ケープ・オブ・グッドホープの総督を務めたのは
1768年から1780年までだった。
ついでながら、この植民地は 1795年にイギリスの侵略にあってイギリス領となった。グッドホープは巨大な隕鉄が発見された土地としても有名で、この天空鉄は
19世紀初に切り分けられてオランダとイギリスに送られた。その一片が1806年に博物学者サワビーのコレクションに入り、後に鍛造されて刀剣に作られ、ロシア皇帝アレクサンドル一世に献上される。 cf.
隕石の話2
補記2:ドイツの学者ヴェルナー/ウェルナー(A.G. Werner 1749-1817)は、鉱物学を自然科学の一分野として確立したフランスのアウイ(R.J. Häuy 1743-1822)と共に同時代の星であった。鉱物学を地質学(化石の研究なども含む)から独立させたのは彼だといわれている。
補記3:南アフリカは、1652年にオランダ東インド会社の貿易中継地点としてオランダ人が入植を始めて以来、2世紀の間に同国のカルバン教徒を中心に徐々に移民の入植が進んだが、その後、イギリスとの貿易競争が激化するなかで、18世紀の終わりから19世紀の始めまでに、イギリスの支配下に入った。
ぶどう石の発見から70年近く経って南アフリカで2番目の新鉱物が発見されたとき、同地はすでにイギリス領となって久しく、その名も英人化学者に因んで Teschemacherite
とされた。(1846年)
補記4:近年、新種の恐竜発掘ブームに沸く中国では、発見者はもちろん、地方の有力者やら発掘スポンサー企業の会長やら、いろんな語源の恐竜名が誕生していると聞く。
追記:最近刊行された堀秀道著「宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか」には「不文律として申請者の名前をつけることはありません」とある。
「鉱物の世界では、自分が研究して発表するものに、自分の名前を付けないルールがある。人名の場合は、たいてい自分の先生か大先輩、それに関連した研究者、採集者である。」(「新鉱物発見物語」松原聡著 岩波書店刊 2006)
つまり研究者(発表者)としての業績をとるか、(知人・配下に代わって発表してもらい)被顕彰者として種名に残る名誉をとるか、選べということ。
追記2:マリ国の南西国境付近にあるカイ州サンダーレの町付近の低木地帯は、
1994年頃に良質のガーネット鉱床が発見されて以来、地元民が地表を浚ってラピダリー/宝石用のガーネットやビーズ用のぶどう石を採るようになった。これらの原石は主に中国やタイの市場に流れるという。
産地のガーネットはグロッシュラー〜アンドラダイト質のもので、緑れん石やベスブ石、ぶどう石などを伴う。この地域には名前のある採集ポイントが12ケ所以上あるようだ。
2005年のツーソン・ショーの直前に、サディオラ金山産として緑れん石とぶどう石とが共産する美麗標本が市場に現れたが、実際はサンダーレ産だったと見られている。そして画像のような美しいマリ状のマスカット色ぶどう石に、抹茶飴の色をした緑れん石の両頭結晶が組み合わさった標本が、降る雨の雫のごとく五月雨式に市場を賑わせて現在に至る。(2022.1.3)