781.鉄斧石 Axinite -(Fe) (ロシア産ほか) |
ちなみに18世紀末から19世紀初は、鉱物名称の統一期あるいは刷新期だった。前世紀にショールと呼ばれた鉱物たちは、1818年頃にはそれぞれ別の鉱物学的名称を与えられていたようだ。黒色火山性ショールは普通輝石と、八面体ショールは octahedrite
(現 anatase) 鋭錐石と、spathique schorl
はスポジューミン(リチア輝石)となった。緑色ショールは緑れん石(エピドート)、ベスブ石、緑閃石に展開された。ぶどう石は1783年にはクリソライト、ショールの一種と見られていたが、1788年にプレーンアイトとなった。(赤色ショール→金紅石
cf. No.811)
ベスビアスの白色ショールは sommite (霞石の亜種)と、白色柘榴状ショールは leucite (白榴石)となった。白色柱状ショールは
pycnite (脈状トパーズ)
あるいは長石の類に区分された。そしてショールは鉄電気石だけを指すようになった。
こうしてみると、いったいどんな特徴を持った鉱物をしてショールと呼んだのか?と疑問が湧くが、Dana
8th
はこの語はおそらく「価値のない石」を指す言葉だった、と述べている。すれば、もともと村の名に因んだショールは、錫石に似ながら錫の採れないことから、やがて否定的なニュアンスを持つ語に変わっていったのかもしれない。今となってはよく分からないことだが…。
斧石はしかし、鉱物愛好家には価値のある石である(もっとも愛好家のコレクションは、功利的な面では「役立たず」かもしれない)。
上の画像はウラル産の鉄斧石で、ダルネゴルスク産と同時期に(ソビエト崩壊直後に)市場に出回った。透明度が高くぴかぴかに光る面をそなえた鋭利な結晶が人気の的であった。下の画像は土呂久鉱山産のもの。ここは亜砒酸製造による公害の起こった「亜砒焼き谷」として記憶されるが、日本を代表する斧石産地のひとつでもあった。昔から鉄斧石とされてきたが、此の頃はそうとも限らないとの声が上がっている。ちなみに和名の斧石は、「おのいし」、または「ふせき」と訓まれた。
斧石は灰吹き皿などの上で熱すると容易に熔け、ホウ素の存在を示す緑炎を上げるという。
補記:亜極ウラルのサランポールにあるプイバ地区は水晶の大産地として知られる。1936年にアルプス式脈の露頭が発見されて、41年にかけてピエゾ素子用の水晶が採掘された。その後1961年に再開され、ソビエト解体後は標本需要にも応えるようになった。1トンに達する巨大水晶のほか、煙水晶、グヴィンデル水晶、フッ素燐灰石、チタン石、ダトー石、ピンク色蛍石などが出た。そして鉄斧石の美晶も。
鉄斧石を含む脈が最初に見つかったのは 1984年といい、0.5x1x1.5mサイズの晶洞から約30kg
分の標本が採れたという。その後の探査で 1990年に発見された
10/39裂隙は 1.5x9x15mという大晶洞で、高品位標本が200kg
も出た。20cmに達する単晶があった。90年代に出回った標本の多くはこの晶洞のものといわれる。(2021.8.13)
補記2:日本の斧石産地としては、大分県の尾平が第一、宮崎県の土呂久が第二と評される。両者は県境をなす祖母傾国定公園を挟んで南北に位置している。「尾平よいとこ錫どころ」と囃された尾平は古くからの錫産地で、斧石は大蔵、銀じき、晶洞、中小屋の4産地が有名だった。ここから尾平越えのトンネルを南に抜けて西に少しゆくとニクダキ(カモシカ(ニク)が通う崖(ダキ)の意という)、さらに林道を西へ進むと惣見、南へ下ると土呂久である。かつて尾平−ニクダキ−惣見−土呂久のあたりは、斧石、ダンブリ石、ダトー石といったホウ素を含む鉱物の世界的な美晶の産地として名を馳せた。花こう岩マグマから分化したホウ素成分が濃集して石灰岩質と出逢い、カルシウム等と結びあって生じたもの(スカルン鉱物)とみられている。
ついでながら、土呂久(とろく)という地名は戦国時代にこの土地に来た異人技術者トロフに因むというお話がある。