557.アホー石入り水晶 Ajoite in Quartz (RSA産)

 

 

Ajoite in Quartz アホー石入り水晶

アホー石入り水晶 −南アフリカ、メッシナ鉱山産

Ajoite, Papagoite, Sulfur in Quartz アホー石、パパゴ石、硫黄入り水晶

アホー石、パパゴ石、硫黄、ヘマタイトの入った水晶
 -南アフリカ、メッシナ産

 

外国産の標本の蒐集が日本で盛んになり始めたのはいつ頃からか、言うのは難しい。愛好家によって意見はまちまちだろう。しかし、ひとつのメルクマールとしては、東京の標本商さんたちが海外ディーラーを招いて新宿で開いた第一回国際ミネラルフェアの年、すなわち 1988年、あるいはそれからの数年間あたりがいい線ではないかと思う。水晶をペンダントにして胸にかけたり、手首に巻いたりといったニューエイジのパワーストーンブーム(特に水晶ブーム)は1980年代前半にアメリカで流行し、すでに日本にも紹介されていた、と思うが、原石標本を愛でる高雅な(?)趣味は、まだ一部の人たち(国産標本の収集家を含めて)のものに留まっていた。
そこに「楽しい鉱物学」が出版されて、数年後には「楽しい鉱物図鑑」が出た(1992年)。やや遅れて「日本の鉱物」なども出た。
そうした印刷媒体を通じてフォトジェニックな鉱物標本の魅力に接した人は、蒐集に走るかどうかは別として、随分多かっただろうし、また彼らが実際に標本を手に入れたいと思ったとき需要に応える売り手がぼつぼつと増え始めていた。

南アフリカ産のアホー石入り水晶は、ちょうどその頃、垂涎の的となっていた標本のひとつだった。パステル調のエメラルドグリーンのフロストが、大きめの水晶の尖頭を爽やかに彩り、眼にぱっと飛び込んでくる、際立って美しい標本だった。世界的に人気が高く、当時にしても高価なものだったが、今にして思えば、多少無理をしてでも買っておくべきだったと悔やまれる。その後、鉱山は閉山したとか、坑道が水没したとか、特定の晶洞からのみ産して後続がないとか、さまざま言われて供給がタイトになった。あるディーラーのストックが細々と市場に出回っていたが、値段は上昇の一途を辿った。わずかながらも供給があるために、人気は衰えを知らなかった。
その流れで、つい2年ほど前には日本のある通販業者さんが卸元のストックをそっくり買い取ったというニュースがあり、実際その後、かなりの数の標本がネット上に出た。この出来事は日本でも海外産の標本を集める人たちの厚い層が形成されていて、アホー石入り水晶のような人気品はブツさえあれば右から左へ飛ぶように捌ける市場に成長したことを象徴していた。隔世の感があった。

ところで、それから暫くすると、ストックが尽きたはずのこの石が再び海外ディーラーの通販サイトで頻繁に見られるようになった。ただ結晶は小さかったり不完全だったり、また母岩にへばりつくように横たわっているものが主流で、以前のものとは雰囲気が違う。上の標本はそのひとつである。
どういうわけだ?と首をひねっていたが、先日、Hミネラロジーさんのツーソンレポートを拝読して、やっと理由が分かった。10年ぶりに新しい産出があったのだ。
鉱物界の懐の深さには、脱帽のほかない。

 

追記:メッシナ(ムジーナ)鉱山は、南アフリカ北部リンポポ(旧トランスバール)にある銅山で、ジンバブエとの国境まで 10マイルに位置する。20世紀初頃の、ボーア人の入植時代に開発されたのだが、あるボーア人がアフリカ各地の伝説を頼りに鉱脈を探し回り、このきわめて豊かな銅鉱床を発見したといわれる。古くアフリカでは鋳造して交易に使われた銅貨があり、彼はその採集地を探していたのである。果たして古い採掘跡があったが、何らかの理由で数百年前には廃棄されていた。角礫化の進んだ岩体にほぼ銅鉱物からなる鉱脈が発達し、また空隙に巨大な水晶の結晶が生じている。
メッシナは1904年に始まった町で、当初は採掘した鉱石を荷馬車に乗せて遠く出荷していたが、1914年に鉄道が建設されると、活気あふれる鉱山拠点に発展した。68年に正式に町となった。最盛期は 1980年代といわれ、またこの時期にアホー石パパゴ石シャタック石などの銅の二次鉱物を含む水晶の美晶を出した。鉱脈が尽きて 92年に採掘終了、96年に閉山を迎えた。
ちょうどその頃、付近でダイヤモンドの採掘が始まったため、鉱夫たちはそちらにシフトした。町は今も活況を呈するという。

鉱物市場に流れたアホー石入り水晶の最初のロット(数十点)は1985年にロブ・スミスの発見した晶洞から採れたもので、水晶は小さく、アホー石の含有程度も控えめだったと言う。
次の発見は 1991年6-7月にメッシナ鉱山の第5縦坑であり、キャビネットサイズの超級美麗標本が400点あまりも採れた。10cm大の水晶が群晶する 50cmクラスの標本があったといい、世に知られる(博物館に収まっている)銘品の多くはこの時に出たものである。
ほんのわずかな者だけが採集に携わったといい、流通ルートは限定されていた。その後の閉山もあって 10年間ほどは採り貯めたロットから少しずつ流れる程度で、かなり需給がタイトだった(人気が高すぎた)。

ところが 2007年以降、再び大量のアホー石入り水晶が市場に出てくるようになった。この年の 8月、メッシナにある鉱山のいずれか(メッシナ鉱山かどうか不明)で、地表から 3mの浅所に晶洞が見つかったのだった。レザー(カミソリ)晶洞と呼ばれたそうで、おそらくは幅の狭い、しかし奥行のある空隙だったのだろう。3年間かけて浚われ、大量の美麗標本が市場に現れた。
cf. TU2 (2020.5.30)

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