613.菱マンガン鉱 Rhodochrosite (ペルー産)

 

 

Rhodochrosite 菱マンガン鉱

ロードクロサイト(赤色結晶)、着床部の黒い皮膜は酸化マンガン鉱ならん
その下の褐色の母岩もいずれはマンガン鉱石
 −ペルー、ウチュチャクア産

 

マンガン鉱物はたいてい黒色〜茶色の地味な色あいの塊や脈として産するもので、特別な思い入れがない限りあまり魅力的でない、と私などは思っているが、他方、バラ輝石イネス石菱マンガン鉱といったいくつかの種は、明るく暖かい赤色系統の色が美しく、心惹かれる。特に菱マンガン鉱に時折ある濃い赤色は実に実に素晴らしいと思う。私はルビーの刺激性・蛍光性の赤色よりも好きだ。
ある時、とあるアクセサリー店のガラスケースにこの石を嵌めた小さな指輪を見つけて吸い寄せられ、指輪をする習慣がないので買うわけもないのに、いつまで石を見つめて時を過ごしてしまったことがある。(こういうのが特別の思い入れなのだ、と言われればその通り)

後々までも思い出してはため息をつく、手に入れなかった標本が誰にもあろうと思うが、私の場合はもうひとつ、イダーオバーシュタインの宝石店で見つけた原石が忘れられない。いま思えばおそらくペルー産だったと思う。黒色母岩に楕円形の丸みを帯びた晶洞が開き、その縁をなぞるように菱マンガン鉱のきわめて透明な、2cmほどの赤い結晶が3ケ並んでついていた。元来が宝石店だし、値札がないので売り物じゃない気もしたが、さすがに黙って引き下がれず、売ってもらえるかどうか訊ねてみた。
店番のおかあさんは、「亭主が仕入れたものだから、彼がいないと値段が分からないし、売っていいものかどうかも分からない」とやんわり仰られた。今にして振り返れば、断りの口上だったと気づくのだけど、私は長い間、亭主が在店だったらなあ、と口惜しく思い出されてならなかった。もちろん、亭主がいたらもっとはっきり断られたかもしれないし、値段を聞いたところでこちらが首を横に振らざるを得なかった公算も高いのだが、若かったので、あからさまに拒絶されないと諦めがつかないということがいくらもあったのだ(かといって、きつく撥ねられれば、それはそれで随分こたえてしまうのだが)。
そういう経験は石に限ったことでない。断られているのに覚らなかった思い出は、何年も後になって気がついて、赤面の思いにひとり身をよじる苦しみである。そんなあれやこれやで、昔のことを忘れたがる習慣がついたようなのだが、私はいったん好きになった人とかモノにいつまでも執着してしまう性質らしく、そうそう都合よく忘れられないこともあるわけダ。
それはともかく、次の機会にお店に立ち寄ったときに原石はなく、以来、あれほどの菱マンガン鉱に出会わない。縁がなかったのかもしれないが、もしいつか眼にすることがあればきっとまた心を燃え立たせることだろう。

菱マンガン鉱を美しいと思う人は多いとみえ、別名ラズベリー・スパーと呼ばれて、その鮮やかで美味しげな色あいが称揚されている。同様の例にメキシコ産のラズベリー・ガーネットや、数年前に市場を賑わせたマダガスカル産のラズベリー・ベリル(ラズベリル)がある。また南アメリカ産の鍾乳状の石は輪切りにすると白と赤の年輪模様がめでたくも悦ばしく、インカローズの名を冠されている。

 

補記:ウチュチャクア鉱山はスペイン植民時代に遡る古い複合金属鉱山だが、近代的な開発が行われたのは 1980年代中頃に入ってである。海抜 4,500mの高地(アンデス山脈中)にある、スカルンを伴う鉱脈型の鉱床で、銀、鉛、亜鉛を掘り、マンガンにも富む。
1985年に菱マンガン鉱の美晶が出始め、90年頃から美しい赤色の結晶標本が市場の人気を集めた。暗色のマンガン鉱石の晶洞に結晶が着床しているのが特徴で、母岩はしばしばネオトス石を含む。数年おきに良品の産出があるらしく、90年代以来、息の長い供給が続いている。

堀博士は菱マンガン鉱を眺めるときは白熱灯下で観賞するべし、と勧められていたが、賛成である。ただ今となっては白熱灯を入手するのが難しい。

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