615.上八洞石 Johachidolite (ミャンマー産)

 

 

Johachidolite 上八洞石

ジョウハチドーライトのカット石 -ミャンマー、モゴック産

Johachidolite 上八洞石 ジョーハチドーライト

Johachidolite 上八洞石

ジョーハチドーライトの結晶(オレンジ色)、紫色はハックマン石(といわれる) 
−ミャンマー、モゴック北東、Pyan Pyit西方、Pyan Gyi 鉱山産

 

ジョーハチドーの名を初めて耳にしたのは、2007年の春の鉱物フェアでのことだったか。
この種の催しに顔を出すのは久しぶりだったせいか、なんとなく勝手がつかめずにうろうろしていると、あちらこちらで「すごい石がきてるらしいよ」、「ジョーハチドーがあったよ」といった会話が耳に入ってきた。
声の主はおおむね眩しいようなうら若い女性で、それもどうやらレア系宝石鉱物のカット石をコレクションしているタイプの方たちらしい。お気に入りのルース店でこんなのを買ったとか、こういう珍しい石があった、と情報を交換しながら、ジョーハチドーという符丁のような言葉を熱にうかされた調子で唱えては、互いに頷きあっていた。
いかにも日本語めいた響きのその名に、しかし私は心当たりがなく、はてそんな鉱物あったかしらん? 新しい宝石名なんだろうか?などとお気楽に考えていた。
そして実際に石を見ることなく過ごしてしまった(愛好家にあるまじきことだぞ、それは)。私の見た限り鉱物標本店にジョーハチドーはなかったと思う。もっとも早々に売れてしまっていた可能性もあるけれど。

それきり忘れていたその名を再び耳にしたのは、半年ほど過ぎた秋頃だったか。インターネット上の個人コレクションサイトやレア宝石の業者サイトにぽつぽつとルースが出現していた。
いろんな噂をまとめると、ジョウハチドーライトは幻の宝石のひとつで、従来一般コレクターの手に入る機会は皆無に等しかったが、最近ミャンマーのモゴックである程度まとまった産出があったという。小粒とはいえカット石が市場に出回ったのは画期的な出来事といえ、おそらく限定的な産出だろうからすぐに姿を消してしまう、というのが大方の希望的観測だった。が、翌年の春先になると eBayを含めた業者サイトや個人のコレクションブログに、これはまた随分と数が出てくるようになって、また低品質ながら原石標本も提供されるようになった。

近年のレア宝石市場はインターネット経由で情報が速やかに拡がってゆくため需要が急速に立ち上がり、投機的な思惑買いやオークション特有の入札合戦が絡んで初期価格が異常に跳ね上がる。供給側はその機を捉えて火事場のような狂騒の中に商品を続々と投入し、早々に高値で売り抜けようとする傾向がある。「たくさん採れたけど値崩れしないように隠しておく」戦法は流行らないらしい。専売が可能でない限り、即換金する方がリスクが少ないのだろう。
私なども早い時期にと躍起になって手にいれたクチなので、夏前には市場が醒めて値崩れが始まったのを傍観しながら、またやられた…と思ったが、この趣味をやっている以上避けて通れないことではある。
2005年に超希少石だったペイナイト(ペイン石)が急激に流通し、価格が乱高下した成り行きに似ているが、だからといって先例をあてに値下がりを待とうという気にはなれなかった。

それから3年経つが、今でも原石標本はぼちぼち市場に出ている。希少と言われたわりには価格も低めに抑えられている。というかレア宝石市場と違って、標本市場でのジョーハチドーの人気はそもそも初手から盛り上がらなかったのではないか。多くの愛好家は、あるいはペイナイトの教訓をしっかりと生かされたのかもしれない。
ちなみに産地のピャン・ギー鉱山は、かのラピスラズリを産する大理石の山でNo.460 脚注参照)、この石はジョーハチドーと判明するまで、コンドロ石だか斜ヒューム石として扱われていたということだ。外観は地味であり、もしかすると現地ではまったく珍しくないものなのかもしれない。ジョーハチドーに関する情報は未だ乏しく、ほんとうのところは一介の愛好家には分からない。

ジョーハチドーライト(ジョウハチドー石/上八洞石)は、朝鮮半島(現北朝鮮)の咸鏡北道・吉州郡長白面・上八洞で発見され、1942年に日本人の手で記載された鉱物である。当時は日本が半島を実効支配していたので産地に因むその名も日本語読みにされたと思われるが、一方でやや唐渡りの骨董めいた語感があるのも、もともと韓国語由来の地名だからだろう。この地の産状は無色透明から白色の 1mm未満の結晶〜粒状で、宝石にカットされる類のものではなかった。また記載時に提出された成分分析は後に修正を受けることとなり、組成式 CaAlB3O7 の鉱物として IMAに認められたのは 1977年のことだった。
それから20年後の1998年、イギリスの宝石鑑定機関に淡黄色透明の14.02 ctのカット石が持ち込まれ、ジョーハチドーライトの組成に一致することが判明した(硬度は7.5)。産地は明らかでないが、ミャンマーで天然石として取引きされたものだったこと、ホウ素を含む珍しい鉱物であるが、モゴックにはホウ素を含むシンハリ石やダンブリ石、トルマリンなどをよく産することからその周辺で採れたものと推測された(成分的に上八洞石はシンハリ石のマグネシウムをカルシウムで置き換えたようなもの)。これが公認カット石の第一号で、記載から半世紀以上が過ぎていた。以後もこの石が市場に現れることはほとんどなく、また産地も不明のままであった。そんなわけで 2007年を迎えるまで、公知のカット石は世に数点しか存在しなかったのだ。
この年から翌年にかけて新たに(大量に)出回った石は無色〜黄色〜麦わら色〜オレンジ色で、宝石としてもそれなりに美しいものだった。紫外線で強烈な青紫色に蛍光する。朝鮮半島に産する石は燐光性があると報告されているが、ミャンマー産には燐光性がない様子である。(ただ、ハックマナイトと混晶(?)するものは燐光してもフシギでない気がする)

それにしても初めてその名を聞いたフェアですれ違ったあのお嬢さん方は、ジョーハチドーなんて石をよくぞ知っていたものだと思う。世の中にはほんとにマニアックな方たちがいる。

cf.イギリス自然史博物館の標本(原産地)

鉱物たちの庭 ホームへ