659.輝安銅鉱 Chalcostibite (ルーマニア産)

 

 

Chalcostibite 輝安銅鉱

チャルコスティバイト −ルーマニア、マラムレシュ県、カブニック産

 

イギリスの化学者ロバート・ボイルは、師のジョージ・スターキーと共に「賢者の水銀」を作ったという。(cf. No.657 補記1)
スターキー(1628-1665)は医師で、生来病弱だったボイルの病気を診たのが縁で知り合い、ファン・ヘルモントの流れを汲む実践錬金術をボイルに教えた。彼は錬金術と医術に身命を捧げ、1665年にペストが流行したときには王立協会の医師たちが相次いでロンドンを離れる中、最後まで患者の治療にあたって自らも感染して亡くなった。

賢者の水銀とは、錬金術の過程を経て得られる特殊な水銀(の原理を担う物質)である。アラビア錬金術の導入以来、西洋では物質の根源的要素として2つの元素、能動原理である硫黄と受動原理である水銀が想定されてきた。ふつうの水銀は端的な受動原理の象徴で能動原理とは相容れない。錬金術の作業で硫黄に出会うと、初め相争って食みあうが、過程が正しく進行すると統合されて調和の段階を迎える。こうして双方の原理をそなえた「賢者の水銀」が生まれる。それは揮発性の水銀であり、地の蛇と空の鳥の性質を持ち、不死鳥をシンボルとする一度死んで生まれ変わった AZOTH、太陽(男性)と月(女性)とが合わさった両性具有状態の物質であった。

賢者の水銀の錬成過程の一例は次のようである。
輝安鉱(硫化アンチモン)に鉄を加えて加熱し、アンチモンの星状レグルスを得る。星状レグルスにダイアナの鳩(銀のこと、ダイアナは月の女神)を溶かし込み、ふつうの水銀を加えてアマルガムを作る。乾燥→昇華→アマルガム化のサイクルを7回ないし10回繰り返す。そうして得られるのが賢者の水銀で、金を含むあらゆる金属を完全に溶かし込む能力を持った。それはふつうの水銀(白い月の女王)が、アンチモン・レグルス(アンチモンの小さな王)から霊的な種子を授かって育んだ(産んだ)、生命力(能動性)にあふれる水銀と考えられた。
この処方はアイザック・ニュートンの Clavis(鍵) と題する手稿に残されているものだが、もともとはスターキーがボイルに宛てて1651年に書いた書簡に含まれるテキストであるという。
賢者の石(完全な金、成熟した金、われらが金)とは、賢者の水銀が最終的に(金を溶かし)赤化の段階を経て凝固した物質、いいかえれば結晶化した生命霊気第五元素、エリクシル)にほかならない。

画像は銅とアンチモンの硫化物 (CuSbS2)で、チャルコスティバイトと呼ばれる鉱物。原産地はドイツ、ハルツのヴェルフスベルク。命名は1847年で成分に拠る。黒鋼色の刃状結晶をなし輝安鉱に似るが、あまり大きな結晶にならず通常 4,5センチ止まり。希産種で資源的な重要性はないが、鉱物愛好家には大いに喜ばれる。数年前に流通したモロッコ産は、表面が風化を受けて藍銅鉱に変化した青く美しい結晶標本で、なかなかのものだった。
ちなみに含銅硫化鉄鉱床中に輝安鉱の脈が発達すると、これと黄銅鉱の銅分が反応して本鉱が生成されることがある。

付記:余談であるが、河合隼雄は「昔話と日本人の心」(9章 意志する女性)で「炭焼長者」を考察して、次のように述べている。「無・意識の体現者としての男性と、「女性の意識」の体現者としての女性の結婚、これはやはり聖なる結婚ではなかろうか。聖なる結婚の帰結は、限りない黄金として示されている。」「意義深い結婚が成就し、続いて、主人公たちは多大な黄金を手に入れる。…ここでは女性の能動的なはたらきが重視されるのではなく、夫がもともと持っていた−彼はそれについて無意識であった−潜在的な宝が生かされることになるのである。女性はつねに能動性を発揮するのではない。」
cf. ひま話 金洗いの沢

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