ひま話 ミュンヘンのレジデンツ博物館 (2022.8.28)


ドイツ南部のバイエルン(ババリア)地方は 1180年にオットー一世がバイエルン公となって以来、20世紀初までヴィッテルスバッハ家の世襲領土であった。同家は家系を辿れることでは欧州有数の古い血統である。バイエルン公は 17世紀前半に(神聖ローマ帝国皇帝を選挙する権利を持つ)選帝侯となり、19世紀初にはフランスのナポレオンに組してバイエルン王国の王となった。王国はナポレオンの失脚後も存続して、ドイツ革命を経て今日のバイエルン州となった。

ミュンヘン旧市街の北側にあるレジデンツはヴィッテルスバッハ家が歴代本拠とした宮殿で、1385年に建造が始まり、増改築を繰り返した。豪華な内装の部屋多数が博物館として公開されている。

内庭の噴水

博物館エリアに入場してすぐのところにある神殿風の装飾建造物。
水盆の周りを洞窟(グロット)に作って貝殻などを埋め込んでいる。両脇に真珠母で飾った人魚姿の海神がいる。イタリアの職人が作ったのじゃないかと想像するが、どうだろう? (バイエルンに海はない)  cf. レジデンツ宝物庫3  イゾラ・ベッラのグロット

茶色大理石の扉口をくぐると、骨董彫像の長大な展示ホール、アンティクヴァリウムがある。二次大戦で大分やられて、現在の姿は戦後の改修を経たもの。建物の修復が完了したのは 1980年だそう。

アーチ形の天井部分はパステル調のフレスコ画で装飾されている。

展示されている石像や正面の立柱は古代ギリシャ・ローマ風。部屋全体の両翼からせり上がる円穹はちょっとロココっぽい? 

装飾絵のモチーフは錬金術の雰囲気があり、西洋アンティーク風なのかエジプト風なのかオリエント風なのか、私には時代や様式のよく分からないテイスト。

廊下のような細長いギャラリー。白地に金の装飾は高雅な雰囲気を醸していいなあと思う。壁面はヴィッテルスバッハ家歴代の肖像で埋まっている。

マイセン磁器(かな?)のコレクション・ルーム

ラピスラズリの化粧板で装飾した礼拝具。紫色の柱は一見チャロアイトだが、当然そんなはずはなく、よく見るとアメシストの晶脈を磨いてある。壇下に小さな扉のついた空間があるが、さて、ここには何を入れたのでしょう。アーチの上の額の中にはいかにも古そうな布切れが入っている。誰か聖人の着用・使用したものだろう。
ラピスの青は天上世界の色であり、紫は神秘家の色である。
三重の冠をかぶる聖母の左肩に十字の王冠をかぶった幼子があり、彼は手にした地球を見つめている。彼らの肌は漆黒。

礼拝具。十字架にイエス・キリストが磔にされ、両掌と重ねた両足の三ケ所を釘で打ちつけられている。脇腹はまだ刺されていない。頭を傾げつつ天を見上げて何事かささやく。頭の上に神秘の色である緑の宝石(エメラルド?)があり、表面に INRI (ユダヤ人の王、ナザレのイエス IESUS NAZARENUS REX IVDAERORUM)の文字がある。すなわち緑色宝石は神の御子の印なのだ。
十字架は赤い宝石(ルビー?)で装飾されている。赤は犠牲の血の色であるが、また天の神の栄光(炎)のシンボルでもある。十字架は空に上る如く長く伸びている。根元には大地があり、さまざまな色の宝石が散りばめられている。
cf. No.713 ルビー (イエスの血)

地上部。淡色の紅トルマリン(あるいは紅水晶?)、紫水晶、めのう、エメラルド(クリソプレーズ?)、トルコ石などのさざれ石が、土の岩窟に半ば埋もれて、富にあふれた絢爛豪奢な地上の生活を暗示している。下の洞には財宝と知恵の番人である緑色のトカゲ(ヘビ)の姿があり、清廉高貴にして癒しの色である白の真珠母を背に負う。
上部に人の頭骨があって、死すべき定めを語る。人の体は神によって土から作られたが、死とともに土と塵にかえり、楽しい地上生活の原資だった富/宝石とともに再び地中の王に委ねられるのである。いつか来る篤きキリスト信仰者の復活の日まで。

カテドラル形の礼拝具。人の生活のさまざまなシーンを描いたエナメル装飾の人物群があり、人物の中にはしゃれこうべを手にした者がいたり、どくろ顔の者がある。死神もまた神の御使いであろう。
中ほどに透明な筒が嵌め込まれていて、白っぽいなにやら奇妙なものが納められている。標識に「救い主のスポンジ De spongia Christi」と書かれている。受難の磔刑の時、刑吏の一人がスポンジ(海綿)に葡萄酒と酢を含ませてイエスの口を湿したと伝説にいう、その聖遺物だろう。(補記1)
欧州ではキリスト教の伝来以来、主や伝道・殉教の聖人にゆかりの聖遺物の掠奪収集が大いに流行った。なにしろ聖遺物は霊験あらたかな至高のコレクター・アイテムなのであった。
下の透明な空洞部にも気味の悪いなにかが納められている。

ちなみに画像は差し控えるが、博物館には骨片やらミイラやらを収納して荘厳した器物がたくさん展示してある。私は多分(よく覚えていないが)、この種の器物をみた初めがミュンヘンのレジデンツだったと思う。当時はそれが何なのか知らず、現代の日本人には馴染のない習俗にただただ不気味さを感じ、衝撃を受けた。
しかし欧州では恋人や懐かしい友の髪をペンダントや水晶瓶に入れてつねに肌身につけたり、故人や先祖の生活遺品を大切に受け継いだり、お世話になった人に分けたりといった習慣が少しもキモいものでなく、今でも深い理解を得て生活に根差しているように思われる。

博物館の説明によると、この種の典礼用具や聖遺物は、レジデンツ内の礼拝堂で祀り、使用するために、17世紀初頃から収集に励まれたものらしい。19世紀初に起こった教会の財産没収で補充されたものもあるかもしれない。

礼拝堂の祭壇と思われるが、小規模な音楽演奏に使っているらしい。

マキシミリアン一世(バイエルン公)夫妻専用の礼拝室として 1607年に作られた私用の装飾室。

窓のアーチ部はステンドガラスになっていて、ロイヤルブルーや赤や金の光が差し込む。今風に言えばカラーセラピーの光といえるか。見ていると癒される。

壁一面を覆う大きなタペストリ。セントバーナード犬もいる。つい「ヨーゼフ!」と声をかけたくなる。

こういう部屋が果てしなく続く。

タペストリーというと、辻邦生の「夏の砦」を連想して、いつか読み返したいと思う。こういうアイテムが生活に結びついた人々・時代とはどんなものだろうか。日本に引き移してみると、床の間に軸を掛けて賞玩したり、引き廻した屏風に描かれた絵を眺めて暮らすようなものだろうか。
絵柄(乳児を湯浴みさせたり、寝台の女性に食事を与えたり、外にいる男性に乳児を渡そうとしたり)からすると女性用の部屋に掛けたものか。

いくつかの部屋は壁紙の色で標識されていて、ここは「緑のギャラリー」と呼ばれる。豪華なシャンデリアが下がっている。こういうのを見ると、水晶(ロック・クリスタル)かな、ガラス(ボヘミアン・クリスタル)かな、と気もそぞろになる。cf. No. 22

この部屋は対向して大きな鏡を壁に立ててあり、鏡に映ったシャンデリアがどこまでも奥に繋がっていくように見える。

 

補記1:ウォラギネの「黄金伝説」(51) によれば、刑吏たちが与えたのは没薬と胆汁とを混ぜた酢で、十字架にかけられた者は酢を飲むと早く死ぬと言われていたそうだ。

 

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