713.ルビー Ruby/ Fuchsite (インド産) |
古来、赤色の宝石には(神の御業とも結びつきつつ)大きく分けて二つのイメージが投影されていた。
一つは明々と熾った火あるいは炎である。古代ギリシャでは紅玉を(テオフラストスが)「アンスラックス」と、またローマでは(プリニウスが)「カルブンクルス」(後に英語圏でカーバンクル)と呼んだが、いずれも石炭を意味しており、暗所にあって燠のように赤く輝くイメージに繋がっている。それは暗闇を照らす光であって、ユダヤ旧訳世界において、かの大洪水のとき、昼も夜も定かでない厚い雲に覆われた40日の間、ノアの方舟の中を照らし続けた赤い宝玉の伝説と響きあう。またイスラム世界では、エデンから下ったアダムに神殿を建立すべき場所を示した赤い光−メッカの黒い神石の上を照らした宝玉に響きあう。(補記1)
赤い光は神、あるいは心の裡に聞こえてくる力強い導きの声の、眼に見える現れであって、また一方で夜の闇の中で人が炎を見つめるときに感じる安らぎに連なるものである。それは火への信仰と根を同じくし、火に見入って炎のゆらぎの中に数々の秘蹟を読み取ることと、紅玉を見つめて忘我の境に入ることとは相同的な行為であったと思われる。
ヘッセの「デミアン」の主人公シンクレールは、燃える炎を長い間凝視することによって、「一種の活気と喜びと自我感の高揚と」を得たが、それは宝石愛好家がルビーを眺めて得る喜びに通じており、「ふしぎに快く心を富ますもの」なのであった。(補記2)
もう一つのイメージは血または生命力である。
ルビーのような赤い宝石は、人をはじめとする生き物の活力の源である血を不可避的に連想させる。新訳世界ではまさにイエスが流した血の象徴であり、キリスト教国では統治者が冠に戴く紅玉は、神の子の贖いの下に生かされて在る約束の証ということになっていた。彼はその権威の下に民を治めるのである。極東の島国に住む者としては、ほんとかよーと思うが、ともあれ紅玉は富であり(神の)権威であった。
そして守護の力を持ち、悲しみを払い、病を癒し、毒を打ち消すと考えられた。血が固まったもの(石)であるがゆえに出血を抑えるお守り(薬の原料)とされ、一方で血液を浄化して心臓や脳を健やかにし、活力を生むものとみなされた。(補記3)
(cf.ミュンヘン・レジデンツ1)
東洋では紅玉は聖別された神の血から生まれた石であった。
フェルスマンは、赤い石の故郷は東洋のおとぎ話の国々−インド、ビルマ、タイにあると述べ、赤薔薇色のトルマリン、血赤色のタイのルビー、真紅の清らかなビルマのルビー、暗桜赤色(チェリーレッド)のインドのガーネット、茶赤色のデカンの玉髄(セルドリック)と数えあげ、6世紀頃に書かれたらしいインドの説話を紹介している。
輝く南の太陽がかの大アスラの命の果汁を運んでいたとき、神々の宿敵ランキ王が嵐のように襲いかかった。重たい血の滴りは、シュロの葉映す、空色の水をたたえた川の中に落ちていった。これより後、川はラバナ・ガンガーと呼ばれ、血の滴りはルビーと化した。闇が訪れると石は裡に不思議な炎をともし、その輝きが水を透かしてあたりを金色に染めた、と。(おもしろい鉱物学 邦訳
P.49)
このエピソードはアスラ(阿修羅)神族の王マハーバリ(バリ、マーベリ)に関する伝説に繋がっていると思われる。
マハーバリは地底界の王ビローチャナ(太陽神/毘盧遮那神/光明遍照神)の子で、天界の王雷神インドラとの戦いで命を落とした父にかわって祖父プラフーダの下で育てられた。プラフーダは最高神ビシュヌに帰依して大悟を得た神で、祖父の薫陶を受けたマハーバリは長じて地底界を治め、公正で献身的な王となった。やがてマハーバリは父の仇を討つべく天界に軍を進め、インドラ率いる天神族を掃討して、天界・地上界・地底界の三界を掌握した。彼の治世は喜びに満ち、世界はあまねく光り輝いて富にあふれ、三界のどこにも飢える者はなかったという。
しかし収まらないのはインドラで、女神アディティに訴えて助力を願う。アディティはヴィシュヌに祈り、聞き届けたヴィシュヌは化身ヴァーマナとして乞食の姿でマハーバリの大祭に現れると、施しをする王に自分が三歩踏むだけの土地がほしいともちかけた。マハーバリが受諾すると、ヴァーマナの体は突然巨大化し、一歩で地底界と地上界とを覆い、二歩目で天界を覆った。ヴァーマナの正体に気づき、もはや三歩目を下す場所がないと知ったマハーバリは自らの頭を踏むように差し出した。その全き献身に感じたヴィシュヌは彼を祝福して、三界最高の地位を保証して去ったという。(補記4)
あるいはヴィシュヌは一歩目で地上界を、二歩目で天界を覆ったので、地底界を守ろうとしたマハーバリは三歩目の下に自分の頭を置いたとの説話もあり、これを天晴れとしたビシュヌは、マハーバリを不死身に変えて末永く地底界を治めさせたという。あるいはこの時落命したマハーバリの体は純粋な帰依心によって聖別され、さまざまな宝石に化したという。(補記5)
だが、フェルスマンが取り上げたのはこれらとは違ったバリエーションである。
天界を追われたインドラは詭計を以てマハーバリに対抗する。彼はマハーバリを騙って、自らを御供に捧げる者は大いなる悟りの境地を得ようと教えた。マハーバリは話を真に受けて、天界神族らの犠牲となって死ぬのだが、彼の信頼は揺らがず全霊をもって身を捧げたので、事実マハーバリは浄化され、純化された存在となった。
インドラの息子スーリヤ(太陽神)はマハーバリの遺体を遠い無辺土に運んでゆこうとしたが、そのときランカー島(スリ・ランカ)を拠とする羅刹の王ラーヴァナが太陽神の飛行を妨害した。スーリヤは取り乱し、(インドラの雷によって切り裂かれた)マハーバリの体は大アジア各地に振り撒かれて落ちていった。彼の血が落ちた深い水たまりは聖別され、以来ラーヴァナ・ガンガーと呼ばれるようになった。その水が流れ下る川の川底で紅玉(ルビー)が見つかる。
マハーバリの体の他の部分もそれぞれ違う宝石になった。歯は真珠に、眼は青玉(サファイヤ)に、肌は黄玉(イエローサファイヤ)に、はらわた(腸)は珊瑚に、骨は金剛石(ダイヤモンド)に、顔の輝きは瑠璃(ラピスラズリ)に、そして雄叫びは猫眼石(キャッツアイ)に化した。
かくヴェーダは、人体のそれぞれの部位に効く石を教える。マハーバリの骨だったダイヤモンドは骨の病気をよくし、紅玉は血を浄化し、黄色や白色のサファイヤは肌によい。ラピスラズリは黄疸に効き、キャッツアイは咳を止める、というわけ。
この説話が示すように、インド圏ではあらゆる宝石が、白い肌とその徳行に光り輝く阿修羅神の霊力を賦与された聖なる物質であったが、なかで紅玉/ルビーは太陽神スーリヤとも結びつけられ、暖かな陽光を象徴している。ルビーの内部には永劫の炎が宿り、その明るい光は何ものにもさえぎられることがなく、水中に投じればその熱によって湯が沸くという。
こうして神々の聖性と武力と権威、光(太陽)と炎、血と活力とが混然一体となって紅玉/ルビーのイメージを形成した。ルビーは宝石の王(ラトナ・ラジ:サンクスリット語
ratnaraj )、または宝石の首魁(ラトナ・ナヤカ)とみなされた。ちなみにスリ・ランカでは羅刹の王ラーヴァナが死際に流した血がルビーになったという説話もある。
ミャンマー(ビルマ)ではルビーは「母なる大地の心臓から滴った血のしずく」と呼ばれて、肌身に帯びる戦士は無敵の力を授かり、戦場にあってけして死なないと信じられたが、その信仰はマハーバリの説話を反映しているとみられ、起源はインドにあると考えられている。
マハーバリの生命力にあふれる力強さと霊力はまた、龍のイメージにもつながっている。
ルビーの中に龍やほかの神獣の姿が見えるという伝説があり、はるか昔、世界に君臨した龍(雌のナーガ)が産み落とした三つの世界卵から、それぞれパガンの王(王朝:849–1298)と中国の皇帝とモゴックのルビーとが生まれたとの由来譚があった。(補記7)
インド圏では優れたルビーを持つ者、これを神に捧げ祀る者は、来世、王に生まれ変わると言われた。
ルビーに龍(帝王)の力を見るイメージはヨーロッパにも渡り、フランスの司祭マルボドス(マルボー:11C)は、ルビーは龍やワイバーンが眉間にそなえる赤く燃え立つ目であると記している。中国の皇帝はもちろん龍(と鳳凰)の子孫である。(cf.軟玉の話2)
龍や蛇の強い生命力は数々の逸話を残しているが、インドのリグ・ヴェーダは不老長寿の永劫の木に実る果実をルビーに譬えている。アユル・ヴェーダはルビーは肝臓を強くし、風邪を治し、不老長寿の力があると教えて、その粉末を用いた長生の秘薬を示唆している。赤色の霊液(エリクサ)は中国(辰砂による練丹薬)やヨーロッパ(レッドアンチモンや炎の石、賢者の石)の赤い秘薬のイメージに繋がる。
かく赤色の宝石は、赤の魔術的な力−炎、熱、生命力、血、そして龍や帝王の力(…くくく、圧倒的じゃないか、我が軍は)−に結びついているのである。
日本人としてこれにつけ加えるとすれば、竹山道雄の「ビルマの竪琴」に描かれたルビーのイメージであろう。
だが話が長くなりすぎたので、稿を改めることにしたい。⇒No.717
補記1:カーバの神石は天降石と伝えられ、かつて隕石と考えられていたが、現在は隕石由来のテクタイト(黒曜石)とされている。この石は一説に天使ジブリール(ガブルエル)が携えてきた預言者アプラハムの紅玉で、人の罪によって黒く変じたという。またカーバの(失われた)神殿はエデンにあった紅玉と3つのランプを祀るために神がアダムに命じて作らせたともいう。ちなみにヨーロッパではルビーが黒ずむのは何か悪いことが起こる前触れだと考えられた。
ノアの方舟の灯火はガーネット(パイロープ)だったとの説が有力(cf.No.212/
本項補記6)。
補記2:ヘッセは「古代は、われわれの意味での科学というものはぜんぜん知らなかった。そのかわり、非常に高く発達した哲学的神秘的心理が研究されていた。その一部から魔術と遊戯とが生じ、しばしば詐欺や犯罪になりさえした。しかし魔術でも高貴な素性と深い思想を持っていた。」と述べている(高橋健二訳「デミアン」)
補記3:血は炎よりも熱い。「フィシオログス」によると、古来アダマスと呼ばれた石(ダイヤモンドか鋼玉(コランダム/ガーネットなど?)は、鉄によって切れず、ノミによって刻めない、すべてを燃やす炎によっても溶けない。しかし雄山羊(鹿)の血の熱さで、柔らかくされる、という。
言い伝えでは、アダマスを割る時は雄ヤギの血に充分に浸けておいて、カナテコの上で何度もハンマーで叩けば成功する、とされていた。してみると、アダマスはへき開性を持った単結晶ではないのであろう。
血の薬効についてはプリニウスがすでに述べており、闘技場で猛獣と闘って傷ついた剣闘士の血を、テンカン患者が飲むこと、時に傷ついた獣の血も飲まれること、病人はそれがもっとも効き目のある療法と信じて、傷口に口をあてて相手の生命のがぶがぶ飲むこと、が記されている。春山は「この風習は中世を通って18世紀までつづき、ルイ十五世は早老を防ぐために国民が子供の血をいれた湯に入ることを非難したことがあった」と書いている(クスリ奇談)。
補記4:ドイツには類話的な伝説があり、王が昼寝をする間に回れるだけの領土をもらえることになった騎士が、馬を駆って周囲をひと巡りし、その内側の広大な土地をそっくり手に入れたエピソードがいくつも伝わっている。(グリム「ドイツ伝説集」参照)
補記5:Wikipedia
(英語版)ではマハーバリの体と宝石の対応が次のように説明されている。
ルビー:(地に落ちた)血のしずく。 真珠:心臓(こころ)。 珊瑚:(海に落ちた)血のしずく。 黄サファイヤ:皮膚。 (青)サファイヤ:目。 ダイヤモンド:脳。 ヘッソナイト(セイロン島産の橙〜黄色がかったガーネットの亜種で、肉桂石<シナモン・ストーン>とも呼ばれる):脂肪。 キャッツアイ(サイモーフェン):喉。 トルコ石:感覚器官(神経)。 ムーンストーン:瞳。 水晶:汗。 ラピスラズリ:髪。 など
地に落ちた血はルビーに、海に落ちた血は珊瑚になったとする考えは、「母なる大地の心臓から滴った血のしずく」がルビーとする考えに呼応する。(マハーバリは地底界、すなわち大地の王。その心臓からしたたった血。)
補記6:赤い宝石カーバンクルにはルビー、スピネル、ガーネットなどが含まれるが、古代にはむしろガーネットが多かった、と「青いガーネットの秘密」(奥山康子著
2007)に指摘されている。カーバンクルの語は、「歴史的に、それだけでカボッションに磨いたガーネットを意味してきた」。「古代ギリシャ・ローマ時代に愛でられたカーバンクルの多くは、パイロープであることが、今に残された遺物から知られている。」
なお、パイロープの名はギリシャ語のパイロ(炎)、プローポス(火の眼)に由来する。
ガーネットの名は柘榴の種に由来して、和名ではざくろ石と呼ばれる。ザクロはオリエント世界や中国では多産や豊穣のシンボルで、ギリシャ神話では冥界の食べ物でもある。後のキリスト教世界ではキリストの復活と再生のシンボルとされる。
補記7:パガン王朝はミャンマー最初の王朝で、そのむかし、上ビルマにあったピュー族の驃国を平らげ、イラワジ平野に定住したビルマ族が起源とされる。849年頃パガンに都を築いた。今日のミャンマーの社会構造はパガン王朝の時代に成立した。パガンの王は万物を支配する絶対者であり、仏教の菩薩にあたる存在とみなされた。後世作成された年代記は、ピューソウティ(Pyusawhti:
AD167-242)という人物を始祖(初代王)におき、太陽の精と龍の娘との間に生まれた子としている。また仏教説話にいう、仏教に拠って世界を統治した最初の王マハー・サンマタ(大衆によって選ばれた偉大な者の意)の血統を引く子孫ともされる。実在したかどうか疑わしく、学者方はパガンに王朝が開かれる少し前の、8世紀後半にイラワジ平野に入ったビルマ族の王をモデルに造型された元型的人物とみている。
ピューソウティの母は竜王カーラ・ナーガの孫娘で、地上におりてきた太陽の精に接して3つの卵を生んだ。ある狩人が卵を3つとも盗んで逃亡したが、モゴックのあたりで黄金色の卵を誤って割ってしまった。そうしてルビーをはじめとする無数の宝石が生じた(この土地でルビーが採れるのはそのためである)。その後狩人は激しい嵐に遭って、残った二つの卵も失ってしまった。その一つは茶色の卵であったが、北方の(ティンドゥー、タガウン、あるいは雲南あたりの)小さな王国に流れつき、そこで孵って姫君が生まれた。姫君は後にその国の女王となった。
最後の一つは白い卵で、イラワジ川を流れ下って、ニャウン・ユーに住むピュー族の、子供のない夫婦に拾われた。農民夫婦は卵から生まれた男の子をわが子として育てた。その子がピューソウティで、長じて仏僧Yathekyaungの薫陶を受けた。
つまりビルマの王は太陽と龍の(偉大な力を継ぐ)子孫であり、ピュー族の土地を平和相続した継子であり、仏教を奉じるとの宣言である。一方、この伝説からルビーもまた太陽と龍とに結びつけられていることが分かる。
なお、欧州キリスト教圏では異教徒のことを Pagan (パガン・ペイガン)、異教信奉をペイガニズムと表現する。彼らが「パガンの王」と言うときは「異教徒の王」というニュアンスが重なる。
補記8:bawbadan に発見された44カラットの極上ルビー原石から切り出された20カラットの宝石はドラゴン・ロード(竜王: Gnaga Boh)と名付けられ、ビルマの Tharawadis王に献上された。