ひま話 ミュンヘンのレジデンツ宝物庫3 (2022.10.23)


(続き) そのほか、いくつか気になったものを。

★琥珀のビアマグ
琥珀(こはく)は北欧から地中海世界にかけて古くから知られた宝石で、真珠に次ぐ人気商品だった。古代ローマ時代にはバルト海沿岸からローマ市へ、こはくを運ぶ道が繋がっていた。中世期以降も土地の領主たちの重要な資金源となっていた。近世盛んに採掘されて、装飾小物やインテリア類の化粧張りに用いられた。ミュンヘンはその流通経路の一つ。 cf. No.47

プリニウスは、琥珀は水晶とムーリーン(※不明)に次ぐ贅沢品で、女性の間で愛玩されていると述べた。主に装飾用途だったと思われる。当時、女性の髪の色をこはく色と表現する風があった。琥珀が樹木の樹脂から生じたという見方はすでに知られていたが、一方で太陽の光によって生じた液体(の凝ったもの)とする俗信が古代ローマ末期に至ってもあった。半透明の琥珀で容器を作れば、中に入れた飲み物にその光の影響が及ぶ(琥珀色に染まる)との発想は自然に生じたと思われる。
琥珀は護符でもあったが、薬効があり熱病などに効くとされた。粉をハチミツと薔薇油に混ぜたものは耳の病によく、また視力の弱りを直す。樹脂の噛みもの(ガムのような嗜好品)に混ぜると胃によい(プリニウス)。
17世紀、コペンハーゲン(こはく流通の拠点のひとつ)のオーラム・ウォルムは、琥珀は万能薬で歯痛、ぜんそく、水腫に卓効があると宣伝した。白ワインに溶かしたものを病気の箇所に擦り込むか内服すると治癒ないし予防効果がある、と。
現代ではバルト海産の琥珀から発見されたコハク酸にさまざまな薬効があることが宣伝されている。 cf. No.505   No.506 追記(コハク酸)

という目で見れば、コハクのビアマグはなかなか趣き深い品である。バイエルン(ババリア)人はビアマグを持って生まれてきたと言われるくらいビール好きで、ドイツ最大のビール祭りもミュンヘンで開かれる。各地から人々が集まってきて、祭の期間中、朝から晩までビールを飲んで暮らす。 ビールは健康にいいのだ。琥珀の器で飲めばなおよかろう。 cf. 旅のひとコマ No.11
ドイツでは 19世紀まで蓋付のマグが普通に使われていた。最初に蓋が付けられた理由は 14世紀にペストが流行った時、病気を媒介すると信じられたハエがビールに入らないようにしたという説が有力だそうな。その後は、野外で飲むときに落ち葉や埃が入らない、気が抜けにくいなどさまざまに理由をつけて残った。また蓋を閉めておくとお代わりを注がれない(開けておくと、お代わりが欲しい合図)という奇妙な理由も説かれている。そんならドイツ人で蓋を閉める人はいないのではないか。プロースト(乾杯)!
ついでながらトルコ人には煙草を回し飲みする風習があるが、琥珀の吸い口を使うと病菌が伝染しないと信じられていた。従って他人のビアマグからビールを吞むことがあったとしても、こはく製であれば同じ効能が得られると考えられるので、ちょいと失敬しやすい。

一方、琥珀は中国では虎の魂が凝ったものと考えられているから、琥珀碗で酒を飲むとトラになって不思議はない。
「蘭陵の美酒 鬱金香  玉碗盛り来たる琥珀の光」と謳ったのは、唐代の酒仙、李白である。ハーブ(鬱金)で香りづけした美酒を吞んだと思しいが、ある種の琥珀はヤニっぽい香りを発するので、琥珀碗ならエキゾチックな感じのヤニ香がついていたかもしれない。ギリシャには松ヤニで香りづけをしたレッツィーナというワインがあるし、マスティハ(スキノス)の樹液を溶かしたリキュールも名物。

琥珀のマグは飲んだ後の洗浄や保管が大変と思われるが、そういうことを自分で考えなくてよいのが王侯貴族の特権である。17C半ば頃の作らしい。

★金属製の盆、容器、蝋燭立てなど
高温で溶融する金属は鋳型に流し込んでさまざまな形状に作ることが出来るし、低温でも展性があるので押し出し・打ち出し細工で細かな模様を描くことが出来る。
正面の装飾盆は冷間板金加工技術の粋を尽くしたもの。各種の宝石や絵入りの小板を嵌めこんで贅沢に意匠を凝らしている。中央の銀円はギリシャ・ローマ風の題材が描かれ、周囲をメダイヨン(楕円状の縁取り)で囲っている。外周の絵も同様で、新古典主義の趣きのある作品。
西欧では 18世紀後半にイタリアのポンペイで遺跡が発掘されたことや(cf. No.886)、ナポレオン軍のエジプトやイタリア遠征を機として、地中海世界の古典芸術が北方(フランス、またドイツにも)の人々の目に触れるようになって、優雅なメダイヨン装飾を流行させた。
ちなみに真珠などの白珠を連ねて円環を作る連珠紋は古くはペルシャに始まり、アケメネス朝を経てギリシャに伝わった意匠といわれる。本品が使用している貴石類はガーネット、シトリン、トルコ石で、ぎらぎら一辺倒の金属の光沢に一定の落ち着きを添えている。なにしろ空白部を残さないのが西欧流だ。
葡萄の紋様が見えるが、古来、多産と豊穣を示すモチーフである。キリスト教では聖体の秘蹟(キリストの血)をワインが象徴し、ブドウの木は「生命の樹」でもあった。イメージ・シンボル事典は、「酩酊・祭り・歓待」、「実り」、「喜び・欲望」、「血・生贄・聖体」、「(若さと死を表わすリンゴに対比して)復活」など、複数の含意を指摘している。

 

きわめて装飾性の高い、というか装飾性を極めることによって役割を果たす室内装飾品。
ローマ風の装束をまとい槍と盾を持った乙女の立像を戴く、ロココ調の流線装飾を多用した作品。
ロココはロカイユ(岩の意)に由来する用語で、ロカイユとはバロック時代(17-18C)に流行した人工洞窟(グロット)や噴水を設えた庭園芸術で多用された、貝殻装飾の岩組のことを言った。(レジデンツ博物館ページ、2、3枚目の画像のような作品)。
ここから、貝殻の曲線をモチーフにしたインテリア装飾をロカイユ(装飾)と言い、その文化・芸術スタイルをロココという。1730年代に最初の流行があり、18世紀後半以降の新古典主義に繋がってゆく。
乙女像の台の両側にバイオリンの柄のような渦巻き装飾があるが、これも巻貝の螺旋形が下地。その下でさらに台座を支えているのは人面獣身の怪物たちで、いわゆるスフィンクスである。スフィンクスは古代エジプト語の「シェセプ・アンク(生ける像)」に由来するギリシャ語。エジプトでは男性の顔を持つことが多いが、シリアやフェニキア、ギリシャでは艶やかな女性の顔をしていることが多かった。西欧の新古典主義はスフィンクスのモチーフを好んで(ナポレオンのエジプト遠征がブームに火をつけた)、しばしば家具調度の装飾に用いた。

★上と同じ頃の作品と思しい。ローマ風の武人装束をまとった女性が裸足を伸ばしてくつろぎ、亀の甲状の台座がフタになって、その下に八角形の容器がある。フタと容器は水晶や縞メノウを卓状に切り出して磨いたパネルを嵌めて窓とし、周囲を多種多様の小さな貴石で埋めて装飾している。古典的なカメオ細工(おそらくメノウ製)も使っている。貴石はトルコ石を多用する他、ガーネット、ペリドット、シトリン、エメラルド、アメシスト、サファイヤ、カルセドニー、ジャスパーなどが認められる。上の画像の赤褐色の石(こはく?)にホタテ貝状に刻んだものがあり、貝殻愛を示している。ホタテ貝は聖イアーゴ(ヤコブ)の象徴だ。cf. No.552
西欧では新大陸の発見以来、未知の世界からさまざまな事物が到来して、新奇好きの人々の血を騒がせてきたが、珍奇物愛好はやがて博物学コレクションという名目を得て学問的に正当化され、文化となった。鉱物標本収集はその大河の一支流であるが、どちらかというと伝統の浅いもので貝殻収集の方が先行した。貝殻愛は鉱物愛より早くに芽生えて、今なおコレクションの王道とされている。時々、毒性物質を含んだり、湧かせたり、放射線を撒いたりする鉱物より、ずっと穏当な収集品かもしれない。
容器の脚が、珠に磨いた水晶のビーズになっているのが何故となく気になる(後付けのような気がする)。

 

★装飾品への水晶の利用はもちろん古いものに違いないが、いつ・どこで、ということがなかなか分からない(勉強中)。この容器は器にもフタにも水晶が使われている…ように見えるが、器の部分はあるいは後付けのガラスなのかも。ただフタの七宝の装飾模様がイスラム風の幾何学パターンを持っているので、すると無色透明の器もイスラム圏で加工された水晶なのかもしれないと思う。ファーティマ朝(10-12C)イスラム王国は、優れた水晶加工技術が花開いて、比較的大型の水晶容器を作っていたことが知られる。十字軍遠征を経て西欧に持ち込まれて、同時期に持ち込まれた聖遺物の容器(レリカリー)に作り直された例が多数知られている。 cf. No.22 追記

 

★ひとつ上と同様のデザインの蓋付碗だが、石材にめのうを用いている。中世期の水晶細工技術は、イスラム圏からイタリアに伝わり、そしてボヘミアやドイツへも伝わったと考えられるが、このテの器の素材に適した大きな水晶が必ずしも地元で得られたわけではない。
一方めのう材なら大きなものが比較的入手しやすく、ドイツのイダー・オバーシュタインでは 15世紀後半、遅くとも16世紀前半にはめのう鉱山が開かれて、地元に水車動力を利用した研磨細工の工房が開かれていた。この石材はその面影が見える気がする(気のせい?)。
イダー・オバーシュタインは長く地元産のめのうを使っていたが、1870年頃に採掘を終え、以降はブラジル産の石を使って世界に冠たる宝石・貴石産業を展開している。

★めのうで作った高脚つきのワイン碗。古代、プリニウスの頃、水晶で作った碗は飲み物を冷たくするというので愛用されたが、めのうの碗もおそらく同様の効果を持つと思われる。しかし酒の水色を楽しむには不適。高脚は器を持つ手の熱が飲み物に伝わりにくくする工夫。

 

★なんか面白いと思って撮った。縞めのうや苔めのうの模様をうまく活かした装飾品。下半身が高坏の形をしているが、実用品では全くなさそう。人の顔立ちが異人風で、アフリカあたりの人々の容貌や装束を想像しながら作ったのではないかという気がする(全くの想像です)。

 

★碧地に血赤色の脈の入った、古典的なヘリオトロープ材を使った高坏。私にはウラルの碧玉細工のデザイン/テイストに思われるが、調べていないので委細不明。いつも後になって、調べておけばよかったと思う。

 

★私としてはあまり見たことのないデザインの石刻細工。使っている素材が大分地味に思われる。
アルカイックな風、西アジア的な風が見えるが、それだけでない気がする。
台の部分には立派な巻き角を持った山羊を追う童子や、葡萄などの果物入りの編み籠を抱えた童子がいて、地中海世界の牧畜を基盤とした文化を示すように見える。西欧の美術品中の童子(プットー)はキリシャ神話の美神アフロディテの子のエロスに発するもので、キリスト教美術では天使の図像表現となるが、この作品の童子は天使らしくない。
基台の上の立像は古代ローマの風があり、頭上に広口の碗を支えている。碗には花の咲いた枝を手にしたふくふくの裸童子が龍に跨る図像がある。龍は蛇に近い姿形で、中国の龍にも似て、この表現が何なのか私にはよく分からない。ネバー・エンディング・ストーリー?
その上に立つ人は何者だか分からない相好で、両脇に怪魚を抱えている。頭に棕櫚冠か月桂冠かターバンを巻き、なんにしても力持ちだ。怪魚(サヨリの類か?)は頭が下にあって、口を開いて先端に輪のある舌を突き出している。なんじゃこりゃ?
彼が支える小さい碗には花束と花綱が刻まれる。頂上に立つ裸身の男性は何だか分からないものを庇のように掲げ、その下部を腰に巻いている。彼の首を(画像では分からないが)小粒の真珠が飾っている。
いつか何なのか分かる日がくればいいと思う。

 

★旅行用の身だしなみセット
当時、銀器製造でパリ最高と謳われたマルタン・ビヨーム・ビエンネの工房で 1812年に製作されたものという。皇帝ナポレオンが二番目の妻マリー・ルイーズ后(オーストリアのフランツ一世の長女)に贈った品。幅 56cmのケースの中に 120点以上の旅行用品が収められている。
食事用具、洗顔化粧セット、筆記具、裁縫具、巻尺、ネジ回し、歯の手入れ用品などが含まれ、素材には金、銀箔、真珠母、鼈甲、象牙、黒檀などが使われているそうだ。まあ、自分で持ち歩くわけでないから…

 

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