思いがけぬ再会 (ヘーベル作 1811年)

"Unverhofftes Wiedersehen" by Johann Peter Hebel
 邦訳 by S.P.S.

 

今からゆうに50年以上もむかし、スウェーデンのファールンで、ひとりの若い鉱夫が、若く愛らしい許嫁にキスをして言った。
「聖ルチアのお祭りの日に、牧師さまが僕たちの愛を祝福してくださる。そうすれば僕たちは夫婦になって、晴れて所帯を始めるんだね」
「いつも安らぎと愛にあふれた家庭になるでしょう」彼のかわいい花嫁がやさしく微笑みながら言った。「だって、あなたは私のすべてなんですもの。あなたがいなければ、お墓の中に入った方がまし、ほかにいくところなんかないわ。」

ところが聖ルチア祭(冬至の祭り)に先立って、牧師が二人の名前を教会に掲げ、「聖なる結婚によって彼らが伴侶となることに反対する、理由なり障害なりを承知のものは申し出るべし」と二度目に告知したとき、死がこれに応じたのだった。
というのもその翌日、若者は黒い鉱夫服を着て−鉱夫はいつでもそのまま葬式に間に合う服を着ているもので−彼女の家の前を通りかかり、普段のように窓を叩いて一度目の朝の「ご機嫌よう」を言ったのだが、二度目の夜の「おやすみ」をいうことはなかったのである。彼は鉱山から戻らなかった。
結婚式で身につけるよう、その朝彼女が赤い縁飾りを縫いつけた、彼のための黒いネッカチーフも無駄になってしまった。もう戻らないことが分かると、彼女はネッカチーフを片づけて、彼を偲んで泣いた。そしてその後もずっと忘れなかった。

その間に、ポルトガルのリスボンは地震で崩れ(1755)、7年戦争が始まって終り(1756-1763)、皇帝フランツ一世は崩御し(1765)、イエズス会が解散を命じられ(1773)、ポーランドは分割され、女帝マリア・テレジアが逝去した(1780)。ストルーエンセは処刑され(1772)、アメリカが独立し(1776)、フランス・スペイン連合軍はジブラルタルを占領できぬまま撤退した(1783)。トルコ軍はシュタイン将軍をハンガリーのヴェテラーニ洞窟に包囲し(1788)、ヨーゼフ皇帝も亡くなった(1790)。スウェーデンのグスタフ王はロシア領フィンランドを征し(1788-90)、フランス革命と長い戦争が始まり、皇帝レオポルト二世は埋葬された(1792)。ナポレオンがプロイセンを征服し(1806)イギリスはコペンハーゲンを砲撃し(1807)、そして農夫たちは種を播いて刈取りをした。粉屋は碾臼を回し、鍛冶屋は槌を打ち、鉱夫たちは鉱脈を追って地底の切羽を掘った。

しかし 1809年の聖ヨハネ祭(夏至の祭り)が巡る頃だった、ファールンの鉱夫らが二つの縦坑の間に通廊を掘っているとき、 300エレ(200m前後)はある深い場所で、礫石と緑ばん水(補記1)の中からひとりの若者の遺体が引き出されたのである。遺体はすっかり緑ばん漬けになっていたが、ほかには特に傷みも変化もみられなかった。面立ちははっきりして年齢も分かるほど生々しく、ほんの一時間前に死んだばかりのように、あるいは仕事の途中でうたた寝をしているかのようにも見えた。
鉱夫らは彼を地表に連れて上がったものの、彼の父も母も、友人や知人たちもはるか昔に死んでしまっていたので、誰一人、眠り続ける若者を知っていると言い出すものはなく、彼の遭難を覚えている者もなかった。ある日地下に降りていったまま戻らなかった鉱夫の、許嫁だったひとりの婦人がやってくるまでは。
灰色の髪をして腰の曲がったその婦人は、杖にすがり、覚束ない足取りでそばによると、横たわった遺体を彼と認めた。そして悲しみにというよりも喜びに我を忘れて、愛しい彼の体に身を投げかけたのだ。嵐のような感情はしばらくおさまらなかった。しかしついに彼女は言った、「この人は婚約者でした」と。

「私はこの50年をずっと喪に服して過ごしました、そして死ぬ前にもう一度、神様が彼に会わせて下さった。結婚式の1週間前でした、この人が地底に降りて、二度と戻って来なかったのは」
いあわせた人々は誰もが悲しみにうたれて涙を流した。花嫁になるはずだった女性はすでに年老いて、若さも美しい面影も失っていたのに、一方の花婿はいまだ若さの盛りをとどめていたから。そして50年の歳月をこえて、老婆の胸には若い日のあの愛の炎が再び灯されたというのに、彼の閉じた唇は微笑みを浮かべることもなく、その眼が彼女を見ることもなかったのだから。
彼女はただ一人彼を知る者であり、その身柄を望んだただ一人の人だったから、教会の墓地に埋葬の用意が出来るまでの間、鉱夫らは遺体を彼女の家に運び入れることになった。そのことがまたみなの涙を誘った。

次の日、墓地の支度がととのって鉱夫らが遺体を引き取りにゆくと、彼女は小箱を開けて、赤い縁飾りのついた黒い絹のスカーフを彼に結んだ。そうして彼女自身は日曜日の晴れ着をまとい、今日が彼の葬儀ではなく、二人の結婚式の日であるかのように、葬列についていった。
人々が教会の墓あなに遺体を降ろすと、彼女は言った。
「あと1日か10日、その冷たい新婚の床でよく眠っていてね。あまり長くは待たなくていいの。 わたし、しないといけないことがまだ少しあるんだけど、でもじきに参ります。すぐにまたその日がくるわ。」
「大地は一度返してよこしたものを、思い直してまた取り戻しにきたりしないわよね」
そう言うと彼女は立ち去り、もう一度振り返って彼を見た。

 

※聖ヨハネ祭り ⇒ファールンの大銅山 補記10参照

補記1:緑ばん水。今日いう緑ばん(緑ばん水)は鉄の水和硫酸塩 Melanterite ないしその溶液を指すが、実際には銅分を含んでいることも多い。殺菌効果や有機物質に対する防腐・保存効果は溶液中の銅イオンの働きである。ファールンは鉄や銅を掘った鉱山で、この「緑ばん水」は両者を含んでいたと考えるのが妥当。銅の水和硫酸塩は今日、銅ばん/胆ばん Chalcantite を指す。
これらの混同については、Cf. No.855 ミョウバンNo.858 苦土毛ばんNo.860 コピアポ石・鉄毛ばん も参照方。

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