724.菱苦土石 Magnesite (ブラジル産)

 

 

マグネサイト Magnesite

マグネサイト-ブラジル、バヒア州ブルマド産

 

マグネサイト・菱苦土石(鉱)はマグネシウムの炭酸塩鉱物で、方解石と類質同像、そのマグネシウム置換体にあたる。
Dana 8thを見ると、1807年に成分によって命名されたとある。その成分とは当時マグネシアと呼ばれた物質であるが、今日でいう炭酸マグネシウム、水酸化マグネシウム、あるいは炭酸水素マグネシウム(マグネシア・アルバ)などのいずれとも考えうるものであった。天然のマグネシアを高温でV焼すると、炭酸ガスを発生して酸化マグネシウムが生じる。これもまたマグネシア(マグネシア・ウスタ)と呼ばれた。酸化マグネシウムはごく安定な物質で、ラボアジェは元素だと考えていた。

歴史を辿れば、テオフラストス(BC371-287)が「石について」の中で述べた、(小アジアのマグネシアに産する)「マグネシアの石」は、古代エジプト人が建造物の内壁に用いた白く軽い石材で、滑石(タルク)あるいはマグネサイトだと考えられている。
医家ヒポクラテス(circa BC460-370) は通じ薬に用いる「マグネシアの石」に言及しているが、これは中世期に胃薬(制酸剤)や通じ薬に用いられたマグネシアに等しい性質のものとみられる。
18世紀の初め、ある修道士がローマで「マグネシア・アルバ」、「パルマ伯の粉薬」という秘薬を売っていた。あらゆる病気を治すという触れ込みの白い粉末で、これも上述のいずれかのマグネシウム化合物(おそらく塩基性炭酸マグネシウム)だったらしい。今日では化粧品のクリームや歯磨き粉に混ぜられている。
マグネシアはしばしば石灰石(方解石)と混同されてきたが、18世紀の中頃にははっきり区別されるようになった。そして当時マグネシア土と呼ばれていた鉱物性の土(炭酸マグネシウム)が、マグネサイトと呼ばれることになったのだ。(ほかに海水から作るマグネシアや植物灰から分離できるマグネシアがあった)
デービーが電気分解によって少量の金属マグネシウムを単離したのは1808年で、彼はこれをマグニウムと呼んだ(マグネシウムと呼ぶと、マンガンと混同しやすいからという理由で)。ちなみにシェムニッツ鉱山学校のアントン・フォン・ルプレヒトは、1792年にやや鉄分の混じった不純な金属マグネシウムを調製しており、オーストリアを顕彰してオーストリウムと名づけていた。

マグネサイトの産状はさまざまだが、大規模な鉱床をなすのは堆積岩として存在するもので、窯業関係の炉石材として採掘されている(融点が高く耐熱性がある)。超塩基性岩や塩基性岩起源の広域変成岩中、熱水性の鉱床などにも出る。日本には大規模な鉱床はない。温塩酸で発泡し溶解するが冷塩酸には反応しないこと、硬度と密度がより高いことが方解石との識別ポイントになる。不純なものは長波紫外線で青色や緑色に蛍光(&燐光)することが多い。

方解石は名前の通り、割れば方形(実際は菱面体)に解ける石であるが、自然な自形結晶としては別の多種多様なフォームをとり、菱面形になることは多くない。一方、本鉱の結晶標本はたいてい菱面形を示す(ときに六角短柱状)。あまり大きな結晶にはならないが、エッジの効いた美しい菱面である。
画像の標本はブラジルのバイア州ブルマド産で、今日のベスト産地のひとつと目される。市場には主に本鉱を母岩として、灰緑色や赤ワイン色の灰電気石(Uvite)の結晶がついた標本が出回っており、こういうのを年輩コレクターは一石二鳥とか一挙両得とか、一粒で二度美味しいとか言って喜ぶ。
マグネサイトはふつう白色〜白灰色だが、鉄分を含むと褐色がかってくる。チロルの緑泥片岩中に産するこのタイプの亜種はブロイネル石と呼ばれる。鉄分が優越すれば菱鉄鉱である。ニッケルを含む黄緑色の亜種はガスペアイトと呼ばれ、オーストラリア産は貴石細工に用いられることがある。

cf. ヘオミネロ博物館3

鉱物たちの庭 ホームへ