768.自然砒 Native Arsenic (日本産) |
随分昔のことだが、外国に持っていって喜ばれるお土産に、コンペイトウ(金平糖)を教えられたことがある。小さな球からトゲトゲがたくさん出た、星くずのようなアノ砂糖菓子である。こんなのは日本にしかないんだから、というのだったが、もとはポルトガルから渡来したお菓子(コンフェイト:
confeito)がオリジナルで、後に日本で製法を工夫したものであるらしい。
先日、アメリカから若い人が来たので京都の錦市場や祇園界隈を案内したのだけど、カラフルなコンペイトウが並んでいたので、いろはにコンペイト、ひとしきりテキトーな薀蓄を傾けた。というわけで、今回は鉱物のコンペイトーを取り上げる。
鉱物のコンペイトーはもちろん砂糖ではなく、半金属元素の砒素が成分である。砒素は塊状ないし葡萄状・貝殻状の集合体として産するのが普通だが、福井県の赤谷には自形結晶面の見える数ミリ〜20ミリ程度のコロっとしたイガ球トゲピーが産する。トゲの部分が菱面体結晶の角に相当し、球の内部は針状結晶の放射集合になっているそうだ。流紋岩が風化した粘土の中に埋まっている。
赤谷は明治10年代後半に輝安鉱(硫化アンチモン)が発見されて鉱山が開かれた。輝安鉱と共にトゲ球状の自然砒も大量に出て、その形から金平糖(コンペイトー)と愛称された(堀・楽しい図鑑は「金平糖石」としている)。砒素とアンチモンは相性がよく、しばしば共産するのである。
不便な土地だったので商業的に採算がとれず直ぐに休止されたが、20年代前半に砒素を目当てに再開された。しかしそれも長続きしなかった。その後は大雨の後などに川べりの崩れた土壌から見つかるコンペイトーを、地元の子供たちが拾って玩具にしていたという。
砒素は新鮮なときは錫白色に輝いているが、空気中で速やかに酸化されて変色し、数日で真っ黒になる。風化が進むと表面に白い粉(砒華)を吹き、水に溶けると亜砒酸を含む猛毒となる。子供たちは多分、金属っぽくキラキラ光る新鮮なものを好んで拾ったのだろうが、鉱物愛好家の標本はまず時日を経て変色・風化しているはずである。触った後はすぐに手を洗うべきで、そのままコンペイトウなどつまんではならない。
当時、地元でこそ知られていたコンペイトーだが、中央に情報が伝わるには少し間があったようだ。その間ドイツなどに標本が渡っており(篠本二郎博士が知人より入手した産地不詳の自然砒をただ日本産としてドイツのクランツ商会へ送ったものらしい)、明治25年(1892年)頃、フライベルク鉱山大学のステルツネル教授から産地について照会を受けた和田維四郎は、この時初めて存在を知って、百方捜索して赤谷産であることをつきとめたという。そして30年代には欧米各国の博物館に赤谷産の標本が並べられていた。自形結晶の砒素は世界的に珍しかったのである。
こういうクラシックな標本は日本ではすぐに絶産となりがちだが、幸いなことに今でも産地にズリが残っており、コンペイトーや輝安鉱を拾うことが出来るらしい。わりとコンスタントに採集報告があり、標本も見かける。
一方、先日上梓されたムーアの「鉱物発見概要」(2016)は、赤谷の自然砒を「くすんだ灰色の球はまったくもって魅力に欠けるが、結晶した自然砒の標本としては世界最良のもののひとつ」とし、少なくとも1970年代にはまだ採集可能であったこと、2010年頃も時折市場に標本が出回っていることを記している。してみると、現在世界市場にはそんなに数が出ていないのかもしれない。
ちなみに欧米の鉱物書は有名産地としてたいてい Akatani ないし Akadani の名を載せているのだが、愛称の「金平糖」についてはほとんど言及していないように思われる。コンペイトウは、やはり欧米には馴染みのないお菓子なのだろうか。こんなのは日本にしかないようなのである。
cf. No.67 自然砒 No.652 スティブアルセン(葡萄状の集合体) No.653 鶏冠石(アルセニク)(補記3 砒素の毒性)
補記:自然砒は三方晶系の鉱物だが、斜方晶系の多形がある。Arsenolamprite
(ヒ素の煌めく鉱石の意:和名は輝砒鉱またはアーセノランプライト)は
1886年に記載された。針状・葉片状の放射集合体や塊状のものが知られているが、自形は未報告。自然砒とも共存する。
日本にはまだ輝砒鉱の産出報告がないが、同じ斜方晶系の多形、パラ輝砒鉱が、大分県向野(むくの)鉱山を原産地とする新鉱物として報告されている。
向野鉱山は主に輝安鉱を掘ったアンチモン鉱山だが、ぶどう状の自然砒標本の産地としても有名だった。木下・鉱石図鑑や藤原・日本の鉱物には赤谷のコンペイトーと並んで向野産の標本が紹介されている。1998年頃、地元の愛好家が自然砒と輝安鉱に伴う鉛色金属光沢の微小な結晶に気付き、科博に鑑定を依頼した。当初は輝砒鉱と考えられたが、(結晶構造を示す)X線粉末回折データがまったく異なっていたので、Pararsenolamprite(パラ輝砒鉱)としてIMAに問い、2000年に承認された。自然砒や輝砒鉱は空気中ですぐに酸化されて光沢を失うが、パラ輝砒鉱は酸化を受けずに金属光沢を保つ。どんな仕組みになっているのであろうか。5%程度のアンチモンと、コンマ数%の硫黄を含むという、そのこととなにか関係があろうか。
ちなみに輝砒鉱にはビスマスの存在を指摘した報告があるという。これら三つの多形(同質異像)の安定関係はまだ明らかでない、と加藤昭は指摘している。
補記2:1895年、97年のドイツの文献に本産地の自然砒が記されているという(神保/ Notes on the Minerals of Japan)。
補記3:ムーアが言うように「くすんだ灰色の球はまったくもって魅力に欠ける」。安東伊三次郎 「鉱物界之現象」(1906)には、「越前国赤谷より産するコンペイトウ状のものは有名なり。俗にこれを蝿石という。」とある。 はえ?