653.鶏冠石 Realger (マケドニア産) |
XA族の3つの半金属、砒素、アンチモン、ビスマスの中で、ヨーロッパ世界でレグルス(金属質)が得られたのは、砒素がもっとも早かったようである。
砒素は自然界にも元素鉱物として存在するが(cf.No.67)、通常まとまって産するのは硫黄との化合物で、金属鉱石として硫砒鉄鉱、また赤〜橙色のRealger 鶏冠石や黄色〜橙土色のOrpiment (石黄、雄黄または雌黄:和名の異同は No.587 参照)といった硫化物である。この2種の有毒性硫化砒素は古代から知られ、ギリシャではサンダラッカ、アルセニコン(アルセニク)と呼ばれた。アルセニクはシリア語のザルニカまたはペルシャ語のザルニカーに拠るといい、Orpiment を指す語であった。もともとは「黄色」の意味である。サンダラッカはおそらく赤色を意味するサンド sand、サルド sard に関連しているという。(補記)
これらはほかの金属がそうだったように奴隷たちによって鉱山から掘り出された後、焙焼して医薬品として用いられた。腫瘍などの皮膚病に用いたり、強壮、造血効果があるとされたようである。後世には砒素を含む化粧品が発明され、肌を白くする美顔効果があると信じられた。中国南部では女性の肌を白くするため幼少時から微量の亜砒酸を服用させたらしい。
1世紀、偽デモクリトスとして知られるギリシャの錬金術師は、「アルセニク(石黄)またはサンダラック(鶏冠石)から得られる水銀を用意し、これを硫黄で処理したものを銅と鉄の表面に注げ。その金属は白色になろう」と述べた。ここに言う水銀は白色の金属砒素だという説がある。赤色のサンダラックが辰砂によく似ていることから、辰砂から水銀が得られるように、サンダラックから採られた砒素は水銀の一種と考えられたのだ。もっとも硫化物から得た物質を再び硫黄で処理するとは、些か不可解な処方ではある。砒素によって銅が白くなる現象は銅の銀への転換と解釈され、後世、多くの錬金術師に物質転換の夢を与えることとなる。
昔から人類は、金属や人肌をより白く見せたり、また金色・銀色に見せたりする薬品に心を掴まれる傾向があった。金属を色上げして金のような外観を与えたり、肌を明るくして若くみせたりする処方は、錬金術・長生術のありがちな落ち着き処といえるかもしれない。今日こうした技芸は化学・化粧と呼ばれている。化けるのであるな。
AD300年頃、エジプトのパノポリスに住んだギリシャ人錬金術師ゾシモスは、後世の術師たちの尊敬を集め、その(仮託?)文献が盛んに引用された人物であるが、サンダラックをか焼して三酸化砒素の(有毒性)白煙を作り、さらに還元させて金属質の砒素を得たといわれる。(彼は白色酸化物を「色の精」と、金属質を「第二の水銀」と呼んだ)
ヨーロッパ世界ではアルベルトス・マグヌス(1193-1280) が、Orpiment
を石鹸(オリーブ油を原料とする固形ソーダ?)と混ぜて熱し、砒素を単離したのが初めとされている。1250年のことらしい。
降って、パラケルスス(1493-1541)は、Orpiment
を卵の殻と熱して、銀のように白いレグルスを得る方法を書き残した。17世紀にヨハン・シュレーダーは金属砒素を得る2つの処方を示している。
科学史家のベルトロ(1827-1907)は、硫化物からの砒素の還元はたいして難しくないので、金属砒素はもっと以前から知られていたに違いないと言っているが、おそらくその通りで、たとえギリシャ錬金術の知識がヨーロッパでは失われていたとしても、鉱石を扱う職人の間では金属砒素は古い馴染みの物質であったかもしれない。
中世期以降のヨーロッパの化学者、または錬金術師が砒素やアンチモンを盛んに研究したのは、その化合物に薬効があった(あると信じられた)からである。金属としての利用、つまり金属細工師や冶金師が扱った分野の技能や知識はどちらかというと低くみられがちであった。
しかし彼らの間で昔から経験的に知られていた現象や実践知識が、後に科学者・著述家に伝わって記録され、漸く世に広まったという例はけして少なくないのである。
「鉱山学の父」と讃えられるアグリコラ(1494-1555)は、ヨアヒムスタールで鉱山業の実践知識を見聞した医師であったし、パラケルスス(1493/94-1541)はヨーロッパ各地を遍歴して、知識人や民間の療法家と接して広範な知識を得た医師だったが、鉱山学校の教師であった父について少年期を鉱山町フィラッハに育ち、鉱山学を修めた後に、チロルのジクムント・フューゲル鉱山で働いて鉱山・冶金に関する実践的な知識を得た。
画像の標本はマケドニア、アルシャール産のもの。古くから良結晶の産地として知られた。
追記:アルシャールはギリシャ(マケドニア県)との国境からわずか
6kmにある、現在はマケドニア国に属する土地である。12C頃から砒素やアンチモンの採掘が行われたが、1913年を最後に閉山している。地表付近に分布する低温熱水性の鉱床を掘った。
閉山以前、本鉱山から出る美しい鶏冠石や石黄標本は銘柄品だったという。画像の標本は小さなものだが、今でも標本を採集できるのらしい。
タリウムが高濃度に濃集しており、タリウムの硫化塩鉱物、ローランド鉱
Lorandite TlAsS2 を産した(原産地、1894年報告、ハンガリーの科学者
Eotvos Lorandに献名)。本鉱を太陽から飛来するニュートリノ粒子の検出器に用いる計画の一環として
1980年代に短期間だがローランド鉱採掘が試みられたことがある。
補記:プリニウスはミツバチが集める物質のひとつにサンダラックを挙げている(巻11-7)。これはイチジクの木から得られるもので、ハチが働いているとき食物の用をするものだと。東風が吹いているときは黒ずんだ色をしているが、北風が吹いているときはもっと良質で赤味がかっている、と。サンダラックの語源が赤色にあることが分かる。
ギリシャでアルセニコンと呼ばれた薬物が砒素でなく
Orpimentであることは、ベックマンも指摘している(西洋事物起源
I-P.279 邦訳)。
補記2:ユングやユング派の心理学者たちは、錬金術文献で言及されるアルセニコンは必ずしも特定の物質を指していないことを指摘している。この語の原義は「男性的物質」、「熱く、他のいかなる物質にも破壊的作用を及ぼしている物質」をすべて内包するが、具体的に何を指すかは文献ごとに解釈をするか、あるいはある種の性質をもった物質として概念的把握する必要があるという(必ずしも「砒素」を指すとは限らない)。
補記3:砒素及び砒素化合物は、医薬、錬金薬として、また毒薬としても古くから知られた。ベックマン「西洋事物起源」には「秘毒」の項があり古代からの毒殺の歴史を概観しつつ、次のように書いている。
「古代の人々ははるかに強力な、現在一般に知れわたっている鉱物性毒薬には精通していなかった。なぜなら彼らの砒素はわれわれの言う雄黄であって、後世になってフランスおよびイタリアに悪魔的完全さをもって持ち込まれた秘毒の主成分を成している、あの有毒な金属酸化物ではないからである。」
雄黄(または雌黄)は硫化砒素で毒性の物質だが、8世紀にはアラビアで雄黄を焼いて作る無水亜砒酸が作られるようになり、後にこれを水に溶いた亜砒酸が毒殺用の薬としてヨーロッパで猛威を奮ったのだった。イタリアのトファーニアという老女に仮託される点滴薬トファーナ水の主成分は亜砒酸と考えられている。日本では石見銀山の無水亜砒酸を用いた鼠取りが有名。cf.
No.354
一方、医薬としては18世紀にイギリスのファウラーが調剤した亜砒酸カリウム水溶液「ファウラー水」がさまざまな難病の治療に用いられ、梅毒治療剤として有名だったサルバルサン(アースフェナミン)も砒素を含んだ。砒素化合物は薬にも毒にもなり、現在も利用されている。
砒素の毒性はレイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962)でも取り上げられ、中毒性・発がん性が説かれている。
「…砒素は、いまでもさまざまな除草剤、殺虫剤の主要成分である。…砒素化合物はたいてい無味無臭なので、ボルジアの時代のはるかまえから、毒殺用に使われてきた。また、砒素は、最初に発見された主要な発癌物質で、いまから二百年ほどまえイギリスの医者が煙突の煤のなかから見つけ出し、癌の原因となることを確認している。云々」(3章)
14章では「砒素に身をさらすとどういうことになるのか」について、鉱山の職業病に触れている。ドイツのシレジア地方の鉱山町の住民が何百年も悩まされた原因不明の病気「ライヘンシュタイン病」は砒素の慢性中毒症だったといい(20世紀半ばに新しい上水道が作られて、影をひそめた)、アルゼンチンのコルドバの鉱山周辺でも、慢性砒素病が風土病のように広がり、皮膚癌が多いという。
ドイツのフライブルク近くの製錬所の煙に含まれる砒素が原因とみられる動植物の病変(腫瘍など)についても触れられている。
砒素の名の由来だが、李時珍は「砒はその性猛烈なること
貔(ひ)の如し」の意だと言う。貔は中国でトラまたはヒョウの類の猛獣。
中国では信州に自然砒(あるいは鶏冠石か石黄)が産し、信石と呼ばれた。「人言」はその隠語。
本草綱目の集解に「そもそも砒石を霜に焼く時には、取り扱う者は十余丈以外の距離の風上に毒を避けねばならぬ。風下の近くは草木までも皆枯死するものだ。又、これを飯に和して鼠に食わせて毒殺するが、またその死鼠を犬猫が食っても皆毒死する。その毒は射網よりも遥かに激烈なものである。」と毒性の甚だしいことを語っている。