828.セル石2 Cerite-(Ce) (スウェーデン産) |
ヨーロッパにおいて占星術の歴史は古く、古代ギリシャやローマの人々はこれをカルデアやエジプトからもたらされた技術として敬った。国や民族の運命はしばしば天体の運行に投影された。同様に自然界のあらゆる事物の性質が天体からの諸力に寄せて語られることも頻りであった。
いつ播種・収穫を行えばいいか、いつどこで決戦を行うと勝利が期待できるか、いつ建造物を棟上げすると幸運に恵まれるか、生まれた子をどんな職業につけると成功しやすいか。そうした問いへの答えが天体の配置によって読み解かれた。というのはかつて人々は、物事の生起/収束にはつねにリズム(周期性)があり傾向があると感じていたからで、そのリズムなり変調のダイナミズムは、関連性のある物事に対して同時的に作用するようだったからである。
従って見る目を持つ者は、ある時・ある場所・ある事物を支配する特性を、天体からもタロットからも、投げた骨片の作る模様からも鳥の動きからも、あるいは夢の中で見た出来事からも、読み出せるはずなのだ。それは根本的に不可知と言うほかない神々の隠された力がこの世界に作用する仕方を、それぞれ特有の表現で明かす告知板のようであった。
占術はいわばパターンの発見術であり、確率の計算術である。必ずそうなる(当たる)わけではないにせよ、不明瞭な事態の打開策として頼りになった。受験勉強における「傾向と対策」のようなもので、人がこの世界の動きを読み取れずに迷うとき、占術の知識は目指すべき針路を示し、水先案内たりえたのである。占星術師は、その根拠を天体と星宮との性格に、それらが織りなすパターンに求めた。
同様のことが病気の治療薬や錬金術の処方にもみられた。正しい物質を正しい割合で、正しい順序で正しい時間に、正しい影響力の下に、厳密に行わなければ善果は期待できない。そのための知識もまた占星術の中にあった。そもそも、古代から知られた7つの基本金属(cf.
No,641)は、太陽や月や、その他の惑星によってシンボライズされていた(それはまたギリシャ・ローマの神々のシンボルでもあった)。星宮はこれらに対する化学的処方(か焼、凝結、固化、溶解、蒸留、昇華、等々)を示した。
中世以降、アンチモンやビスマスなど未知の金属が発見された時、それらの性質はまず既知の天体/金属との親和性によって語られた。新しい「元素」が発見されると、対応する未知の惑星が存在するはずだとも考えられた(cf.
No.655)
18世紀以降、こうした言説は次第に鳴りを潜めてゆくが、元素や化学反応は依然として錬金術の(惑星記号を含む)絵記号で表現されていた。
1789年、クラップロートは新しい金属元素に発見されたばかりの惑星の名を与えた。つまり(彼自身が意識していたかどうかは不明だが)、元素ウランと惑星ウラノス(天王星)とは同じ時代に神秘のベールを脱いだ一対の存在と把捉されたわけである。(cf. No.218)
19世紀初前後、フランスのラボアジェやイギリスのドルトンが近代化学の基礎的な考え方を示すと、スウェーデンのベルセリウスは
2,000種の化合物を定量分析して、当時知られていた43の元素の原子量を精密に決定した(1828年)。1813年頃には元素記号を従来の絵文字シンボルでなくアルファベット式の頭文字で表現する方法を提唱していた。(補記2)
その彼にして、セリウムを発見した時は(1803年)、発見されたばかりの新惑星(小惑星)セレスの名を与えることになんの違和感も感じなかったのだし、後にテルルに似た性質の新元素を発見した時も(1818年)、月に因んでセレンと名づけた(cf.No.208、No.735)。
1803年、イギリスのウォラストンが発見した金属は、新惑星(小惑星)パラス(女神パラス・アテナ)に因んでパラジウムと呼ばれた。希土類のひとつと推測された擬元素ジュノーニウムは
1804年に発見された小惑星ジュノー(女神ユノー)に因んでトムソンが名づけた(1811年)。同じく擬元素ヴェスティムは
1807年に発見された小惑星ヴェスタ(女神ウェスタ)に因んで、ギルバートが名づけた(1818年)。地上の物質と天体/神との対応は依然として知識の核として活きていたのである。
(※ 当時、新しく発見された(小)惑星は女神の名を与えられるのが慣例だった。)
化学者たちはひたすら実験を重ねることで、隠されていた物質の本性を探り出し、性質の根本をなす元素を特定していった。その営為は擬装されたパターンと法則性の発見であり、姿を隠し続ける神々の再発見でもあったのだ。
性質の似た元素の3つ組が見出され、やがて元素間の周期律が明確にされてゆく。立役者のメンデレーエフ(1834-1907)は、ある日の夢の中ですべての元素が原子量順に並べられた表を幻視したのだ。彼は目覚めて作成した周期表をもとに未知の元素の存在とその性質を予言してみせた(1870年)。
ちなみに19世紀後半、希土類はその分離過程で数多くの擬元素が報告されたが、多くは分光分析によるスペクトル・パターンの読み違いによるものだった。
画像は暗赤紫色のセル石が暗灰色の鉄褐れん石中に入ったもの。セル石の典型的な標本のひとつで、続原色鉱石図鑑に載っているタイプに同じ。
補記1:ベルセリウスが命名したセリウムとセレンとは星の名(セレス、セレーネ)に因むが、いずれも豊穣の女神に由来する。セレス(ケレース)はローマ神話の地母神で、アプレイウス著「黄金のロバ」ではルキウスが太母なる女神に次のように語りかける。「おんみは慈母ケレースとも呼ばれ、地上の作物の創造主であらせられます。おんみは娘を探し得た喜びから、太古の食料だった樫の実の代わりにそれよりもっと甘い食物を授けて、未開の人々を養い給うて、今日に至るもエレウシナの野に顕現し給う」と。伝説によるとセレスは女盛りの頃、未来の豊穣の乙女(コレ)を探し訪ねたのである。かの乙女は、無垢から誕生した豊穣の女神アフロディテにつながる。(※ブルフィンチの「ギリシャ・ローマ神話」には、女神セレスは冥王ハデス(プルトン)に拐われた娘プロセルピナ(ペルセポネ)を探して回り、ついに一年の半分だけ地上に連れ帰って共に暮らすことを得た、と書かれている。攫われた娘は大地に埋められた穀物の種であり、春に芽吹いて地上に豊穣をもたらす、と。)
一方、セレンは月の女神セレーネ(ヘレナ、ルナ)に因むが、ギリシャでは月は乙女・成熟した女性・老女の3相を持つ太母神であり、後に豊穣の女神アルテミスと同一視された。
元素の性質と神々のイメージとを結びつけることは化学者たちのお気に入りの思考法で、イリジウム(1803年)は虹の女神イリスに、バナジウム(1830年)は豊穣の女神バナジスに、タンタル(1802年)はフリギアの王タンタロスに、ニオブ(1865年)はその娘ニオベに、プロメチウム(1947年)は人間に火をもたらしたプロメテウスに因んでいる。
天体ではヘリウム(1868年)が太陽(太陽神ヘリオス)に、ネプツニウム(1940年)が海王星(海神ネプチューン)に、プルトニウム(1940年)が冥王星(冥王プルート)に寄せられている。
今日では用いられないが、ヴェルスバッハが命名した希土類元素、アルデバラニウムとカシオペイウムも天体(アルデバラン、カシオペア)に由来する(それぞれイッテルビウムとルテチウムのこと。1907年。Cf.No.822
補記1)。
ヴェルスバッハはその4年後、テルビウムは2つの元素に、ツリウムは3つの元素に分離できるだろうと述べた。これを受けて
J.M.エダーは、うち2つにデネビウム、ドゥビウムの名を予定した。それぞれデネブ/はくちょう座α星とドゥベー/おおぐま座α星に因む。
またヨーロッパに因んだユーロピウム(1896年)も語源は女神エウロパにあり、木星の衛星名にもなっている。
補記2:ベルセリウスは元素記号をラテン語名の頭文字から選んだ。ラテン語名はどこの国の研究者にも親しいもので、自国の言葉にする必要がないのが彼の着眼点のひとつである。「フランスの著作家の一人は、これをフランス語の頭文字に置き換えるという、自国民のためだけにする虚栄なことをされている」・・・「真の科学者の多くの方々の賢明な見解によって、この記号を使う利益が幼稚な虚栄のために犠牲にされないことを期待する。」と彼は述べているが(化学の教科書)、フランスの著作家とはビューダンのことである。cf. No.823